内 輪   第376回

大野万紀


SFファン交流会「SF短編映画『オービタルクリスマス』のキセキ」

 12月のSFファン交流会は12月18日(土)に、「SF短編映画『オービタルクリスマス』のキセキ」と題して開催されました。出演は堺三保さん(製作・監督・脚本・原作、よろず文筆業)、キムラケイサクさん(特撮監督)、池澤春菜さん(作家、声優)。
 ノベライズを担当し星雲賞を受賞した池澤さんはちょうどワールドコンにオンライン出演してきたところで、ほとんど寝ていないとのこと。お疲れ様です。
 「オービタルクリスマス」はクラウドファンディングの出資者にはディスクが配布されましたが、各国の映画祭に出展中でもあり、まだ一般公開されていません。なお予告編はYoutubeでも見ることができます。
 まずは堺三保さんとキムラケイサクさんの映画製作の舞台裏についてのお話。これが面白い。まさに夢を実現しようとする人たちのリアルがありました。
 堺さんはもともと宇宙空間だけCGで作って他のシーンは全部自分で安くあげようとしていたとのことですが、結局ほとんどがキムラさんのCGを使うことに。キムラさんのお話では合成がないのは千葉の海の1カットだけで、お父さんが見る砂浜もCGになってしまったそうです。池澤さんが「唯一出演料を払わなくて済んだのは海だけ?」と聞くと、「それも素材を買ったので出演料あり」と堺さん。
 キムラケイサクさんとのつながりはクラウドファンディングが始まったとき、キムラさんがそれを見ていっちょかみしようと「CGだったらできるので協力させてください」と堺さんにメールしたのがきっかけ。仮面ライダーの変身シーンなどを手がけているキムラさんはもともとSFファンで、高校生のころからSF大会に参加し、さいとうよしこさんとは『スターログ』にお便りを出して以来のつながりがあるとのお話で、それを聞いた大森望さんがびっくりしていました。
 それはともかく、アメリカでの制作ということで、日本とアメリカの違い、アメリカではギルドが細かく口をはさむがブラックな現場ではなく、とてもシステマティックに作業が進むなど、興味深いお話がいろいろと。笑える話が多かったけど、実際は大変だったろうなと思いました。
 池澤さんはノベライズにあたって、映画とは登場人物の性別を変えたり、イスラム教徒の主人公が宇宙でどうお祈りするのかをめっちゃ調べたり、15分の映画では描ききれないドラマ部分を充実させたりという小説ならではの苦労のお話。星雲賞を受賞したノベライズはここで読めます
 また、加藤直之さんに描いてもらったイメージボードのお話も。加藤さんのイメージは細かい設定までとてもよく考えられているのだが、そのままCGにしようとすると大変。窓の外に地球や宇宙空間が見えるとそれだけでコスト増となるので泣く泣く却下。最後に加藤さんご本人がzoomで参加され、普段描かないようなものを色々描けたのが楽しかったと話されていました。
 池澤さんのサプライズ朗読もあって大変楽しいSFファン交流会でした。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『GENESIS 創元日本SFアンソロジーIV 時間飼ってみた 』 小浜徹也・高塚菜月・笠原沙耶香編 東京創元社

 創元日本SFアンソロジーの第4巻。書き下ろし8編と鈴木力による「SFの新時代へ」と題する創元SF短編賞の歩みが寄稿されている。カシワイさんんの表紙と各扉イラスト(各話とも同じだが)がとても可愛くてほのぼのしていていい。書き下ろし8編の内2編は、第12回創元SF短編賞の正賞と優秀賞作品だ。 

 小川一水「未明のシンビオシス」。巨大な地殻変動「大分割(クラッド)」によって関東南部から九州にかけて日本列島の東側がほぼ壊滅した近未来の日本。人口は半減したがそれでも日本の一部は生き残り、仙台を首都として人々は厳しい生活をしている。一方、発達したAIは全世界にあるサーバーを共有しつつ多くの人間型アンドロイドにダウンロードされ、自意識(かどうかはわからないが、本人が自分のアイデンティティを確信しているのだから自意識といっていいだろう)を持つ独立した存在となっている。彼らは人間と同様に犯罪も犯すし、無茶もする。そんな背景で、物語はたまたま同行することになったアンドロイドと人間の男女の、大阪から北海道を目指すロードノベルとなっている。ディテールが面白いが、北海道へたどり着く目的と最後の決断は悲しく辛い。

 川野芽生「いつか明ける夜を」は美しく幻想的な物語。太陽の出ない、闇の夜と月明りの昼だけが続く世界。人々はその月の光さえ忌み嫌い、色のある夢を恐れおののく。危難の時には、神の眷属として代々養われてきた馬が一人の英雄を見出し、東へ向かって邑を救う。ところがこの百五十年あまり、馬のもとに英雄は現れなかった。それが今、馬は一人の少女を乗り手に選んで邑へと戻ってきたのだ。14歳の、何の取り得もない少女を。恐ろしい変化の予兆。物語そのものはやや単調に思えたが、それにしても闇の世界を描写する文章が美しい。闇の中での邑の描写、その音と匂い。動きと揺らめき。

 宮内悠介「1ヘクタールのフェイク・ファー」はドタバタコメディというか、とんでもない不条理SFというか、主人公のとりとめない(改行のない)混乱した心の声をそのままつづった作品。東京のコンビニへ入金しようと出かけた途中、気を失って気がついたらアルゼンチンのブエノスアイレスにいたという話。あまり何も考えないが適応力だけはある主人公は、現地の踊り子ミオに拾われ英語でなんとかコミュニケーションをとりながら彼女の部屋に泊めてもらう。でも結局追い出されて街をさ迷い、ホームレスたちといっしょに酒を飲んで騒ぐ。このホームレスのおっちゃんたちがいい。なぜかすごく頭が良くて、彼が東京からブエノスアイレスへ一瞬で来たのはトンネル効果で落下してきたんだとか、計算してみせる(まあそれってトンネル効果と違うけど)。結局結論はないままに終わるが、とても面白かった。

 宮澤伊織「時間飼ってみた ときときチャンネル#2」は以前に掲載された「宇宙飲んでみた」のシリーズ第2話。同居している天才科学者、多田羅未貴のあれやこれやを配信して生活費の足しにしようとするようとする十時さくらの〈ときときチャンネル〉。前回はコップに入った宇宙を飲んでしまったさくらだが、今回はまるでペットのように部屋の中をウロチョロする「時間」にバンちゃんと名前をつけて(バンダースナッチからだそうな)、飼ってみようという話。バンちゃんの姿は全体的に透明感のある繊細な色彩で足っぽい棒状のものがついている、前も後ろもないハルキゲニアっぽい姿。実は光円錐の境界面を見ているのだと多田羅さんは言う。さくらの饒舌なノリと多田羅の理系なツッコミで話は続き、最後は何だかヤバイ感じで配信終了。面白かった。でも、この光円錐の説明はちょっと変です。

 小田雅久仁「ラムディアンズ・キューブ」は中編。宇宙から来た謎の存在、「ラムディアンズ・キューブ」と呼ばれる巨大物体が都市を覆う現象が発生する。それはおよそ6日間で消滅するのだが、その中では四体の巨人と大量の武装した生体兵器が何種類か現れ、人々を殺戮してまわるのだ。わずかな生存者によってその恐怖は世界中に伝えられている。閉じ込められた人々の中には黒い暗転液に包まれ「暗転兵」に変身する者もいる。不気味な姿で異言を話すが彼らは人間であり、生体兵器と戦うことができるのだ。とはいえ、強力な武器をもつ大量の生体兵器たちにはとてもかなわない。ヒロインの依子が電車に乗っていたとき、この街にラムディアンズ・キューブが現れ、およそ20キロ四方がキューブに閉じ込められてしまう。彼女は電車で知り合ったKという青年と逃げ回ることになるが、Kは暗転兵となって彼女を守ってくれるようになる。依子を守るKと生体兵器たちとの戦いは凄まじい。この超人同士の息をもつかせない異能バトルを描く作者の筆致には大変な迫力があり読み応えがある。何とか数日間を生き延びた二人だが、依子の体に異変が起こる。まるで妊娠したように下腹部が大きくなり、そこに刻印が現れたのだ。物語の後半は大きな力を得た二人が他の暗転兵たちと共にキューブの中枢に戦いを挑み、そしてその後の驚くべき展開が描かれる。それは十数億年にわたる宇宙的な物語であり、SFというよりオカルト的な色彩が濃くなるが、見事に着地している。子供たちをさらっていく(?)クラークのオーバーロードも怖いが、こちらのオーバーロードもはた迷惑な感じ。放っとけや。『2001年』を書いたクラークが後にオーバーロードたちを敵視した気持ちもわかるわ。

 高山羽根子「ほんとうの旅」。寝台列車での旅を思い立ったわたし。ガラガラのはずだったのに満員で、その乗客のほとんどは「ほんとうの旅」というコンテンツに触発されて、そこに紹介された滝を見に行こうとしているのだという。同席した外国人と思われる女性とわたしは話をする。それは物語と「嘘」について。それはフィクションだけでなく、ノン・フィクション、紀行文、グルメ情報、グーグルマップにまで及ぶ。この物語自体が「嘘」と「ほんとう」の狭間にあるのだろう。

 創元SF短編賞は、溝渕久美子「神の豚」(優秀賞)と松樹凜「射手座の香る夏」(正賞)。

 まずは溝渕久美子「神の豚」。確かにSF味は薄いけれど、これは傑作だ。近未来の台湾を舞台に、人間にも感染する伝染病の発生で豚を初め家畜の飼育が禁止された世界を描き、そこに人間味溢れる日常をユーモアを交えて描いている。一人暮らしの長男が豚になったと次男からの連絡を受け、半信半疑で実家に戻った妹が主人公だが、確かにそこには一匹の可愛い子豚がいた。もちろん豚を飼うことは違法だ。奇想小説のように始まるが、本作はあくまでリアリティにこだわった作品である。彼女は兄の捜索届けを出しつつも、子豚を犬だと偽って目立たぬように飼いながら次男と実家で暮らし、幼なじみのキティがやっている店で働くようになる。この地方では豚の肉を分け合う神猪祭が春節に開かれるのだが、次は彼女たちがその当番に当たっていた。本物の豚が使えないのでここ数年はカップ麺を代用にしたりしていたのだが、キティはもっとちゃんとしたものを使いたいという。かくして二つの物語が進んでいくが、実に見事に両方とも結末がつくのだ。その結末にはしっかりとSF的(近未来的)なリアリティがあり、台湾の社会的背景も過不足なく描かれていてとても面白く、読み応えがあった。物語を支える科学技術的背景は、確かに今現在も存在するものであり、その近未来形ではあるが、そこにはSF的な想像力がある。

 正賞の松樹凜「射手座の香る夏」は北海道SFで動物SFで意識転送SF。人型ロボット(オルタナと呼ぶ)に意識転送して危険作業に従事したり、違法だが動物に意識転送して(動物乗りという)山野を駆け回ったり、そんなことが一般化した近未来。オルタナで作業していた5人の身体が消えてしまうという事件が起きる。5人の意識はオルタナの中に取り残されたままだ。この事件を捜査することになった紗月(さつき)の物語と、紗月の幼なじみだが環境保護の活動家となった美菜(みな)、その娘で動物乗りの若者たちと共に犬になって走る未来(みらい)と美菜の義理の娘である李子(りこ)の物語が交互に語られ、それが伝説の白い狼「凪狼(カーム・ウルフ)」を軸に収斂していく。その背景には臭覚による世界というものがあり、さらに臭覚言語というアイデアが語られる。なかなか意欲的な話で、SF味も十分なのだが、主要登場人物がみんな同じように見えるのと、回想も含めて時系列がわかりにくいのが気になった。それと白い狼が実際に登場するのだが、なぜ北海道にいるのかがよくわからなかった。ここはやはり別の日本なのだろうか。ラベンダーの香りが重要な役割を果たすのも、あの話のオマージュみたいでいいですね。

『蒼衣の末姫』 門田充宏 創元推理文庫

 『風牙』シリーズの作者の新作は異世界ファンタジーで、少女と少年の活躍する、ストレートでさわやかな傑作冒険小説だった。
 独特の漢語が使われているので舞台は古代か中世のアジアっぽい雰囲気だが、本書で視点が当たっているのは世界というよりその一地方という感じの一角である。そこは巨大な昆虫に似た冥凮(みょうふ)と呼ばれる凶悪な生物(何種類かいる)が跋扈して人間を襲う世界。人々は一ノ宮から六ノ宮という職能集団ごとの共同体に別れて暮らし、冥凮の襲撃から身を守りつつ暮らしている。一ノ宮は冥凮と戦う戦闘集団であり、最前線に位置しているが、今のところ人間たちの領域に冥凮が入り込むのを防いでいる。その中心にいるのが蒼衣(そうい)という特権的な人々で、彼らは冥凮を滅ぼす力を持っており、人々から尊敬されているのだ。
 だが風向きが変わりつつある。冥凮の攻撃手法がこれまでとは違ってきているようだ。ヒロインの少女キサは蒼衣の一族だが、冥凮を倒す力が弱く、役立たずの〈捨姫〉と呼ばれている。冥凮は蒼衣を狙ってくる性質があるので、彼女はもっぱら冥凮をおびき出す囮として使われてきた。それでも蒼衣には違いなく、黒衣と呼ばれる兵士たちと共に微力ながら戦ってきたのだ。ところが今度の討伐戦では冥凮の戦術が変わり、キサたちの討伐隊はほぼ全滅。キサは凮川(ふうちゅあん)と呼ばれる毒の川に落ち、下流にある三ノ宮の少年、生(いくる)に命を救われる。
 凮川(ふうちゅあん)の毒は冥凮にとって致命的だが人間にとっては害はあるものの即死するほどではない。なので人々はこの川の流れを冥凮から町や砦を守る防壁として使っているのだ。一ノ宮が軍事の町であるのに対して、三ノ宮は商業と交易の町である。ここでは仔凮(つあいふ)と呼ばれる様々な使役動物を飼っていて、他の宮と交易もしている。仔凮の中には巨大な風船のように空に浮かぶものもいる。タイクーンと呼ばれるそれは、仔凮たちの食餌となる凮種を生産する唯一の存在であり、それが三ノ宮に独占的な地位をもたらせているのだ。生はタイクーンの世話を仕事にしている活発でとことん前向きな少年だった。
 キサと同じく、生もはみ出し者である。この町では毎年選ばれた赤ん坊に異能を授けるのだが、生は中途半端で役に立たない能力(体を硬化させる)しか発現しなかったのだ。彼は町の中心から離れた川の中州の砦に、身寄りのない子供たちを集めた老婆と住んでいる。
 そしてボーイ・ミーツ・ガール。キサは生と出会い、再び希望を取り戻す。二人がしだいに打ち解け、互いに自分の知らなかった話をしながら歩く姿はとても微笑ましく心がなごむ。
 一方一ノ宮からはキサの捜索に黒衣のサイとトー、そして戦闘の情報を保持し伝令の役割を果たす墨という任務についたノエが訪れる。彼らは立派な大人であり、戦士であり、宮の政治にも関わっている。そしてついにキサを追って来た冥凮が三ノ宮へと襲来する。
 この世界の人々の暮らしと日常を詳細に、リアルに、そして愛情豊かに描いてきた前半から、後半は冥凮との息詰まる戦いのスペクタクルとなる。戦えるのは一ノ宮から来た三人と、キサと生だけ。相手は戦術を変えて仲間を犠牲にしてでもキサを倒そうとする凶悪な冥凮たち。絶体絶命な危機に、少年と少女はその知恵と、中途半端とされた異能とで立ち向かうのだ。
 いやあ面白かった。物語はストレートで明るく、三ノ宮でキサたちが食べるお饅頭はとても美味しそうで、バトルは迫力あり、堪能した。何よりみな前向きで、悪人が出てこないのがいい。
 虫と姫といえばナウシカを思い起こすが、こちらははみ出し者ばかりである。その中途半端パワーの炸裂が面白く、読み応えがある。
 凮川の流れや地理関係はややこしく、できれば地図があればもっとわかりやすかっただろうと思った。また漢語の使用は雰囲気を出してはいるが、読み方が独特なため、ちょっと戸惑った。凮川と書かれると西宮の人間は夙川(しゅくがわ)と誤読しそうになる。
 この世界の日常は細かく描かれているが、その歴史やここから遠い世界がどうなっているのかはわからない。物語はここで一段落はしているのだが、まだまだ広がる要素は多い。ぜひシリーズ化してもらい、この後のキサたちの活躍を読んでみたい。

『再着装の記憶 〈エクリプス・フェイズ〉アンソロジー』 岡和田晃編 アトリエサード

 テーブルトークRPG〈エクリプス・フェイズ〉の世界を舞台にした小説14編が収録されたアンソロジーである。ゲームの世界観を用いたシェアード・ワールド小説集なので、独特の用語やガジェットが出てくるが、それはコラムで説明されているのでゲームを知らなくても特に問題はない。むしろコードウェイナー・スミスやジョン・ヴァーリイの未来史をいきなり読んだ時のような、未知の世界へ放り込まれる高揚感が味わえるかも知れない。
 基本設定は23世紀の、シンギュラリティ後の太陽系が舞台である。ポストヒューマンでサイバーパンクな世界。地球は「ティターンズ」と呼ばれる軍事AIとの戦争で荒廃し、もはや人の住める所ではなくなった。生き残った人類は太陽系の諸惑星に拡散しているが、彼らの魂(エゴ)はデータ化され、肉体は取替可能な義体(モーフ)となっている。義体は人間の体をそのまま使う生体義体(バイオモーフ)と、人工的な合成義体(シンセモーフ)――人型だけでなく、タコやドラゴンや動物型のものもある――に分けられる。状況によっては魂(エゴ)を「分岐(フォーク)」させてコピーを作り、別々の義体を着装して複数の自分が同時に存在することもできるのだ。用語にはとまどうかも知れないが、こういったガジェットは今どきのSFやアニメに親しんでいるなら違和感なく理解出来るだろう。
 一方でこの世界での組織や事件、様々なイベントについてはコメントや解説を読んでおいた方がいいかも知れない。作品の中で説明されているものもあるが、ほとんど説明のないものもあって、何が起こっているのかわからなくなる場合もある。とはいえ、何となく雰囲気はつかめるので、そのまま読んでも別にかまわないだろう。
 では各作品について。

 ケン・リュウ「しろたへの袖(スリーヴズ)~拝啓、紀貫之どの」。原題は「White Hempen Sleeves(白い麻の袖)」なので、紀貫之云々は訳者が付けたのだろう。小説の末尾に紀貫之の和歌が古今和歌集から引用されているのだが、衣の袖(スリーヴズ)に着装する義体(スリーヴ)を重ねたものだ。事実上の不死であるトランスヒューマンの主人公が、死の魅力に取り憑かれ、自分の魂(エゴ)を義体に分岐(フォーク)して危険な場所に行かせ、その死の瞬間の苦闘の記憶を回収して味わうというのが基本のストーリー。いやあトランスヒューマンって趣味悪いね。そんな彼の前に現れた魅惑的な女と意気投合し、二人一緒に同じことをやろうとするのだが……。ここに唐突に出てくるファイアウォールとか連絡役(プロクシ)とかセンティネルとかいう用語が理解を妨げるが(コラムを読めば説明されている)、実はそんな組織の目的と女の意図の方向性がたまたま合致したということなのだろう。そして女は笑いながら袖(スリーヴズ)を振って見せるのだ。

 伊野隆之「カザロフ・ザ・パワード・ケース」では金星の大気の下で働く知性化(アップリフト)されたタコたちが描かれる。人間もタコ型の義体を装着していたりして、この世界ではタコが大流行なのか。知性化された種族はタコだけではなくカラスやオウム、イルカなどもいる。差別があり、アップリフト解放戦線なるものも存在する。保安主任のカザロフはそんな中で横暴な開発公社の上層部に反発しつつも逃げたというタコを追うのだが……。カザロフはごく標準的な大量生産の機械外装(ケース)を装着しているだけだが、とても有能な中間管理職だ。組織の中で悩みつつ、問題を解決しようとする。彼がかっこよく、また渋いユーモアが微笑ましい。

 吉川良太郎「おかえりヴェンデッタ」は作者の久しぶりの作品だ。前に読んだのが「黒猫ラ・モールの歴史観と意見」だから8年ぶりか。うらぶれた火星の町で、大破壊前の地球のスターたちを再現した怪しげなカフェにいるのは、一人の男とその二十年前の姿をした少年。男はこの町を牛耳るマフィアのボス(これまた八本足のタコ!)を殺して命を狙われている。少年は彼のクローンだが、ダウンロード中に見つかって逃げ出すはめになったので、14歳の時点でストップしてしまった。男は少年に、家族の話、自分の人生の物語を語る。同じ自分ではあるが14歳以降のそれは、もう少年には関係のない物語だ。その辺りはまるで時間SFのような味わいがある。そしてマフィアの手が迫り、少年を連れた男はタコの殺し屋と対決する。猫は出てこないのだけど、ノスタルジックで詩的な雰囲気が作者らしくていい。

 片理誠「Wet work on dry land」の舞台も火星。こちらは古き良きスペースオペラの雰囲気をこの世界に持ち込んだような楽しい一編。主人公はオンボロ宇宙船で運び屋をやっている船長、ジョニイ・スパイス。今回は火星に降りて、大きな黒い犬と、ライアーという名の太ったヨウム(もちろんどちらも義体)と共に、金星から逃亡したファイアウオールの裏切り者を探すという仕事を請け負ったのだ。寂れた火星の町の雰囲気もいいし、犬と鳥とおっさんという三人連れも絵になる。義体のない魂(エゴ)だけの存在で船に乗り込むことになったボーイッシュで饒舌な(ホログラムだけだけど)女の子も魅力的で、これは続きが読みたくなる(ネットにはアップされているとのこと)。

 陰山琢磨「脱出拒否者」は一転して硬質なミリタリーSFだ。舞台は大破壊(ザ・フォール)が進行中の地球。戦闘航空宇宙機(ASCV)に搭乗したイリヤ大尉は、シベリアの基地で彼女の支援AI(ミューズ)と雑談しながら出撃を待つ。美しい空は絶好の核戦争日和。ティターンズは人類の軍事施設を操り、巧妙に攻勢を掛けてくる。宇宙への脱出を選択した人類は、その前に地球に残された核戦力をティターンズに自由にされないよう破壊する”制御全面核戦争”を決断した。だがイリヤ大尉は軌道上からそれが制御されない全面核戦争へと転がり込んでいくのを目の当たりにする。彼女は作戦を変更し、極東へ向かって釧路の打ちあげ基地を守ろうと決意する。彼女自身は脱出することもなく――。絶望的な状況のなか、ミリ秒単位の激しい戦いと戦況の変化、その中での人間の意志が描かれて、読み応えのある作品となっている。

 伏見健二「プロティノス=ラヴ」は宇宙のジャンク屋の物語。彼は宝物――大脱出の時に攻撃されて遺棄された脱出船を発見したのだ。乗っていた金持ちたちは魂(エゴ)を転送して逃げだし、船には抜け殻である肉体(オリジナルモーフ)だけが冷凍保存されて残った。彼はそれを少しずつ秘密裏に売買することで大きな利益を得ているのである。そして次に出荷する肉体を選んでいる時、そこに彼がかつて大ファンだった地球の歌姫、アマリリス=パエトンのモーフを見つけたのだ。衝動的に彼は彼女を解凍するのだが……。それは確かに彼がライブで見た肉体だったがそこに魂はない。音楽の魂とはどこにあるものなのだろう。過去の記憶と意識と肉体との関連性、音楽のミューズとは、美と至高の愛(プロティノス=ラヴ)とは、そのマトリックスの中にあるものかも知れない。

 岡和田晃(原案:齋藤路恵)「蠅の娘」。トランスヒューマンの時代でも、それを拒否し生身で生きることを選択した人々がいる。これはそんな人々(バイオ保守主義者)の総本山、木星系で諜報員となって働く女性の物語である。彼女はあるとき奇妙な経験をする。自分が銃に撃たれて死ぬ経験。銃弾が肉体に食い込む詳細な感覚まで覚えている。にもかかわらず自分は生きていて死んだのは別の女だ。これは白昼夢だったのか。彼女の仕事はナノボットの「蠅」を使って人々の生活を監視することである。蠅の感覚は彼女の感覚と同期している。それを続けているうちに彼女の精神はおかしくなってきたのかも知れない。軍の、組織の非情さと、生身でありながら特殊な能力をもって世界に対峙している主人公の内的な世界の崩壊を描く、短いが印象的な物語である。

 アンドリュー・ペン・ロマイン「宇宙の片隅、天才シェフのフルコース」では消息を絶った伝説のシェフを小惑星帯で探すトランスヒューマン女性が主人公。トランスヒューマンでもハラペコになるのだ。とある放棄されたハビタットで彼女はその伝説のシェフを発見する。彼はここで限られた人だけが訪れることのできる、秘密のレストランを開業していたのだ。だが彼女の支援AIは料理に有頂天になっている彼女に注意を喚起する。ここには何かがあると。そして夜のディナーで彼女はその秘密を知ることになるのだが……。タブーブレーキングで面白いけれど、この手のアイデアは昔から良くあるもので、例えば小松左京の短編ではトランスヒューマンじゃないだけにさらに衝撃的な結末が描かれている。本編はそれを〈エクリプス・フェイズ〉のトランスヒューマンの世界で描いたのが新しいといえるだろう。

 平田真夫「硝子の本」。土星近傍の宇宙空間に100キロメートル以上ある巨大な「本」が見つかる。通りかかった小型宇宙船に乗った主人公と相棒(宇宙船自体が義体で彼の相棒なのだ)は、それが人類誕生と同時期、数百万年前からここにあったことを知る。異星人が作ったと思われるその「本」は一種の脳で、しかも今も活動しているのだ。主人公はその「本」に自分の魂(エゴ)を10秒間だけ転送し、また戻ってくるのだが……。ごく短い作品なので全ての謎が解明されるわけではないが、クラークの「前哨」や『2001年宇宙の旅』のように、宇宙にまで進出した進歩した人類やトランスヒューマンを、さらに上位の未知の存在が見守っているという物語には尽きせぬセンス・オブ・ワンダーがある。

 マデリン・アシュビー「泥棒カササギ」はスタイリッシュな二人称で描かれたトランスヒューマン世界での「不幸せで不運な娘」の物語だ。タイトルになったロッシーニのオペラのように、主人公の「君」は労働者階級の女性だったが、運命に翻弄され、魂(エゴ)を義体から義体へといくつも乗り換えたうえ、義体を他人が操作できるようにするパペット・ソックを埋め込まれて「私」に操られる存在となる。自分の意識がありながら記憶もなく「私」の道具として使われる「君」。ストレートなストーリーラインがないので物語を追おうとすると戸惑うが、最後に彼女を使ってこの「私」なるものが何をしようとしていたのかがわかると、突然物語が逆転し、「君」の物語が「私」の物語となるのだ。

 石上茉莉「メメントモリ」では金星にあるマジック・トイショップ「玩具館」が舞台。いきなりゾンビの群れに襲われて喰われそうになるVRゲームから始まる。そんな悪趣味な死を小さな結晶体に封じこめ、「ドールハウス」というバーチャル世界に展開したものが売られている。それを作ったのが絵本の中の少女のようなドーリーだ。彼女は玩具館のオーナーであり、自ら様々な義体を作ったり、謎めいた遺物を収集したりしている。一方語り手の男性は生前は地球で高校教師をしていたというごく普通の人間。大破壊の時に魂(エゴ)を生体義体に回収され、金星で古い書籍を中心にした骨董の再現・販売をしている。そんな彼が見つけたのはドーリーの所から間違えて持って来てしまったらしい琥珀のような宝石だった。透かしてみると中には古い町並みが見え、柩があり、そこには美しい男性のヴァンパイアが眠っていた。彼はヴァンパイアに会いたくなって再びドーリーの玩具館を訪れる。そして……。幻想的で耽美なファンタジーのように読めるが、これは人々が実質的な不老不死を実現したトランスヒューマンの世界の話なのだ。SFと異界の幻想はこうして交わり合う。

 待兼音二郎「プラウド・メアリー~ある女性シンガーの妊娠」。トランスヒューマン世界での妊娠・出産とはどんなものなのか。当然人工授精・人工子宮で産まれるのが普通だろう。しかし中には自然分娩を選択する人もいる。この作品の主人公である女性歌手メアリーが入手した生体義体はそんな妊娠した女性のものだった。驚いた彼女は義体の販売店に苦情を言うが、妊娠した義体を第三者が取得した場合、胎児の出産義務があると法令が定めているという。メアリーは義体の元の持ち主を探し出し会いに行くが、今の彼女は事故前にバックアップしていた魂(エゴ)から再生された人格であり、別人といっていい。そこまでは良かったが、この後物語は思わぬ展開を見せる。作者の後書きでは母娘の関係を妊娠小説の形で描いたということだが、そこに「舞姫」の要素を加えたとある。唐突な結末にもう一つ納得がいかないのはそのせいかも知れない。

 図子慧「恋する舞踏会」。これは傑作。見習い調香師のマルは、王侯貴族などいない金星でイェンシャン公を自称する新懐古主義者の著名人に、彼のアシスタントとなる面接を受けることになった。まるで白昼夢のような面接だったが、驚いたことにマルは合格する。次に公に会った時、公はマルに私の相続人となり、後継者を選んで欲しいと依頼する。マイクロ施術によって肉体を変容し、ダンスのレッスンを受け、公の令嬢として舞踏会にデビューするのだ。そしてついに舞踏会の日。それはマルが思っていたもの(読者もちょっとシンデレラストーリーみたいなのを想像していただろう)とは恐ろしく違うものだった。この舞踏会が凄まじい。そしてかっこいい。マルはここで真の相続人となるのだ。ネタバレするから詳しくは描けないが、この(ある意味)ハッピーな高揚感はすばらしい。

 カリン・ロワチー「再着装なんて愛の監獄」の舞台は火星のリトル上海。企業間の闘争でスパイの男は相手企業の女に接触しようとしていた。ところが彼は彼女を愛してしまったのだ。組織は彼を破壊しバックアップからリセットする。忘却された愛。そして「わたし」は彼に精神誘拐(マインドナッピング)され、わたしの頭に彼が棲みついた。彼はわたしに話しかけ、彼女を救うためにある場所へ行こうとする。そこで二人は新たな義体に再着装して組織から逃げおおせ、わたしは解放されるというわけだ。だが「わたし」とは誰なのか。義体をコントロールするのは誰なのか。愛とは究極の兵器なのか。自分が果たして誰なのかも曖昧になるトランスヒューマンの世界で、それは簡単に答えの出せない問いかけなのだろう。


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