みだれめも 第239回
水鏡子
※みだれめもに、4月の近況、不完全リスト「た行」の同時投稿を予定していましたが、例によってリストが完成しませんでした。次回はなんとか、4月の近況、5月の近況の同時投稿を目指します。ごめんなさい。
非常事態宣言が解除されて、大阪例会が復活する。しかしまん延防止措置の対象になるので4月からまたアウト。
月の前半に、日経平均の上下動に関係なく、じわじわ下げ続けた持ち株が、後半になって同じく日経平均の上下動に関係なく、大きく持ち直した。日経平均って何?
エヴァ完結編を見に行く。製作期間の長さにも関わらず、三時間を飽きさせない個々の映像はともかく、全体のシナリオや演出の完成度がとんでもなく低い。セリフやシーンの唐突さが目につく。前回はいい意味でそうきたかというのがあったけど、今回は悪い意味でこうきたかという印象。前作最終章は、世界存在規模で展開されたシンジを挟んだレイ/ユイとアスカの嫁姑問題へときれいに収束したものだったが、今回はその結末を意識して、確信犯的にレイとアスカを雑魚キャラに落としていった気配がある。しかし残念ながら代わりとなる完結図式を提示できなかった。
この月ものっぺりとしたひと月で、18きっぷが使い切れずに苦しむ。
日曜ごとに雨だというのに、購入書籍数は261冊。新刊本が『サハリン島』、『チンギス紀⑩』、『海神の島』など12,000円あって、合計金額は45,000円。今年の最高額。クーポン1,500円。なろう129冊。コミック37冊。買い直しを含めてダブり本が25冊。文庫本で読んでいた金井美恵子の単行本が80円であったので6冊拾う。別冊太陽子供の昭和史『名作コミック集』を550円で買って帰るとなんと3冊目のダブり本だった。その他のまとめ買いとしては、尚月地『艶漢 ①~⑫』、山口譲司『エイトドッグス①②』、笠井潔『愛蔵版ヴァンパイア戦争①③』など。『エイトドッグス』は『忍法八犬伝』のコミカライズだが、2冊完結は無いよなあ。でもよくまとめてはいる。
半世紀ぶりで井上靖『蒼き狼』を読む。ぼくが新刊で買ったもしくは買ってもらったたぶん最初の100冊のうちの1冊だと思う。当時ずいぶん気に入っていた記憶があり、ほとんど間をおかず、氏の西域もの『敦煌』『桜蘭』『風濤』を買っている。ほかに読んだものは『しろばんば』『夏草冬濤』くらいで、これは家にないのでどうも図書館読みだったらしい。
さてこの『蒼き狼』、ご存じのとおりテムジン(ジンギスカン)の物語である。ジンギスカンの生涯を1冊の本にまとめるにあたって、著者が話の軸に据えたのは、本人とその息子に関する出生の疑惑である。
母と妻、いずれもメルキト族に略奪され、その前後に懐胎している。そして生まれたのがテムジンと長男ジュチである。
テムジンにとってその疑惑は自らにとって耐えがたきものであり、そこで頼ったものが、氏族の創生伝説であった。彼らは天から来たりし蒼き狼と惨白き牝鹿の子孫であるとの言い伝えだという。ならば自らも狼となろう。そしてジュチも狼となるよう育てよう。それによって出生の疑惑をはらすことができるとした。それが狼として戦い続ける原動力となった。
いや、こんな厨二病的精神論の書であるとは読み返すまで思わなかった。
さらに、略奪された母と妻とが一定の歳月メルキト族に安穏に従って生きたことによる女性不信に苛まれることになる。
こうしたテムジンの心情が陰影となって物語を覆い尽しているのだが、現在の戦記系小説からみて致命的に思えるのは、なぜジンギスカンが巨大帝国を築き上げることができたのか、まるで説得力が伴わないことだ。単純に『元朝秘史』などいくつかの歴史書から事実の経緯を引き写しただけであり、そこに上記の陰影を投射して物語の結構を整えたに過ぎない。作品評価としては中の中まで落ちてしまった。
そのあたりの細部を綿密の嘘だらけに積み上げていったのが北方謙三『チンギス紀』である。第9巻で宿敵ジャムカを倒しモンゴルの統一を果たし、第10巻からは金国、ホラズム帝国との戦いを視野に入れた新局面に至ったところで、ちょっと読み合わせをしようとしたわけである。
北方ジンギスカンが予想以上に話を変えていることに驚いている。
今回は『蒼き狼』に合わせていくつも読み比べたのだが、それぞれに各氏族の力関係とか微妙に異なる。大筋は『蒼き狼』に近い。
もともと持っていた本は、『蒼き狼』とV・ヤン『ジンギス汗』の2冊。後者は、蹂躙されるイスラム圏ホラズムとロシアサイドから書かれたソビエト作品である。
その後、『チンギス紀』の刊行に合わせて、「大水滸伝」の続篇であるのに、人名地名が漢字でなくなっただけで、なんともキャラクターや筋立てが覚えづらく距離が生じる気がすることに苛立って、ジンギスカンものをぽつぽつ買って積んでいた。今回拾い読んだのは、津本陽『草原の覇王 チンギス・ハーン』、楳本捨三『ジンギス汗』、ブラウヂン『大統率者 ジンギス汗の謎』、陳舜臣『チンギス・ハーンの一族』、『耶律楚材』、『十八史略』、石川球太『草原の蒼き狼』である。中国史の再構築を行う陳舜臣にとって、ジンギスカンは中華を襲った巨大台風といった印象で、外せないから取り上げているといった淡薄な感じがある。蒙古帝国よりも元朝、天災の翻弄される周囲こそ興味の対象だったようだ。
それにしても、読めば読むほど、誰が誰だかわからなくなる。人名表記がばらばらなのである。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」である。たとえば、比較的統一の取れている母と妻を見てもこのようになる。
母:ホエルン、オエルーン、ウエルン
妻:ボルテ、ブルテ、ビュルテ、ブルウテ
明らかに原音が同じものを、日本語に落とし込むときの異同であるわけだが、こうした異同が主たる将だけでも数十人となる覚えにくいカタカナ名すべてに絡んでいく。記憶の擦り合わせが大変だった。
母と妻に対する不信感から女性すべてへの不信を募らせたとするのは『蒼き狼』だけである。その不信感を取り除いたの唯一の存在がメルキト族から貢がれた愛妾クランであったとするのが『蒼き狼』で、彼女の重要性は他の本でも多く言及されているのだが『チンギス紀』は見事なまでに切り捨てる。母ホエルンも妻ボルテもテムジンの敬愛の対象であり、北方フェミニズム(古い意味)が発露される。あと「蒼き狼」伝説への言及もない。そもそもテムジンの父親については、まあ、後述する。
いちばん「蒼き狼」伝説を象徴的に用いたのは石川球太『草原の蒼き狼』である。少年漫画であり筋立ては簡略化されているが、作者らしい力強い、ある意味きちゃない筆致で読み応え十分である。
「蒼き狼」伝説をきちんと説明づけているのは『大統率者 ジンギス汗の謎』で、テムジンの二四代前の始祖がビュルテー・チノー(灰色の狼の意)という名のチベットの王子であり、その妻の名がマラール・ゴア(白い牝鹿の意)だったという。なお、この説明は他の本には見当たらない。
『蒼き狼』では単純に悪役扱いされていたメルキト族だが、モンゴル草原では、金国の庇護を受けていたタタール、ケレイト族(『チンギス紀』ではケレイト国)の向こうを張る、文明化された強大な氏族であったようだ。
楳本捨三『ジンギス汗』は妻ボルテが強奪されたメルキト族の大攻勢から話が始まる。そこで語られるのは、メルキト族の武器の質、兵団としての兵法の差であり、個々の勇猛では勝てない、それらを凌駕しなければ彼らに勝てないという発見だった。
散文叙事詩とでもいうような奇妙なある意味平板な文章で語られた、津本陽『草原の覇王 チンギス・ハーン』は、文化的に洗練されたメルキト族の貴族が娶ったホエルン(テムジンの母)を、父となるイエスゲイが略奪するシーンから始まる。悪役は明らかにイエスゲイである。『蒼き狼』はホエルンを、まずメルキト族が略奪し、その帰還途中をイエスゲイが襲撃してホエルンを得た、と中立的表現をしている。
ちなみにここをきれいごとに済まして義経伝説的無理を差し込んだのが『チンギス紀』である。
津本陽とは逆に、イエスゲイが娶ったホエルンを襲ったのがメルキト族となっている。救け出したのは関係者に雇われた傭兵団であり、その長と一度だけ精を交わす。それが楊令の忘れ形見である胡土児の後年の姿であるという設定。
テムジンは胡土児から吹毛剣を引き継ぐことになる。
なにより、メルキト族による妻ボルテ略奪が本書の中では発生しない。
他書では、ボルテ奪還の口実を得て、新進とはいえ弱小勢力であったテムジンとジャムカが、父イエスゲイの盟友であった大勢力ケレイトのトウリル・カンと結び、飛躍を成したきっかけとなるのだが、『チンギス紀』においてきっかけとなるのは、テムジンとモンゴル族の覇権を争い続けていたタイチウト氏族に盟友ジャムカが参戦できないよう牽制を続けていたメルキトの一氏族をテムジンが討つことから始まる。戦争とは、他部族を蹂躙し、女や財産を強奪するのが常識であったらしいモンゴルの文化を著者は肯し得なかったようで、なんか物語全体が日本的文化感で塗り固められている気がしないでもない。卑怯なキャラは何人かいるにしろ、基本的に部族間に差別意識が発生しない。これは違うだろうなあと思うけれども、それが故に心地いい。
とりあえず本書を読んで、ジンギスカン像を固めるとどこかで痛い目にあいそうだ。「この物語の登場するのは実在の人物とはかかわりのない人物である」という定番の断り書きが必要そうだ。なにせ、楊令の孫であるわけだし。
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