続・サンタロガ・バリア  (第213回)
津田文夫


 とうとう梅雨明けしたら、毎日暑くて、ちょっと半日野外で観光ガイドをしたのだけれど、ハゲた部分が日焼けして痛いのなんの、って、どうでもいい前置きですね。

 ようやく読み終わった劉慈欣(リウ・ツーシン)『三体Ⅱ 黒暗森林』上・下は大時代なSFで、そのアイデアとアップデートされた描写を別にすれば、とても現代的とはいいがたいスペースオペラだった。
 人間の思考以外すべてを読み取ってしまう三体星人の智子に対抗するため真の思考を智子に悟られずに思考することが出来ると期待された「面壁者」に、思いもよらず選ばれた主人公と、そしてもう一人の主人公は数百年後に迫り来る三体艦隊に対抗するために創設されたばかりの宇宙軍のエリート、話はこの二人を追って進んでいく。それに「面壁者」の主人公と腐れ縁の如く付きそう脇役として、前作以来のタフガイ史強(シー・チアン)も出てくる。
 「面壁者」は世界中から4人が選ばれて、主人公以外は何らかの形で具体策が見えてくるようになっているが、主人公はのらりくらりとしてとても三体星人に対抗できるようなことをしないまま、宇宙軍のエリート共々三体星人への対抗策が技術的に進んでいるはずの未来へ送り出されて、そしてこの二人が三体星人との戦いに対してそれぞれが驚くべき有効策を繰り出す。そして「面壁者」主人公が説明する有効策の理論が「黒暗森林」であり、フェルミのパラドックスへのひとつの回答となっている。もっともこれは『三体』第Ⅱ部なので、人類の危機は一応の解決を見たようにも見えるけど、結論は第Ⅲ部へと持ち越されている。
 面白いという点ではまったく文句はないけれど、大時代過ぎるスペオペとしてはいささか鼻じらむことが無いでもない。特に「黒暗森林」のアイデアはラインスター「最初の接触」のヒネリが効きそうな古き良き時代のスペースオペラへのバックボーンとして感心はするが、林譲治『星系出雲の兵站』シリーズで喝破されたように、宇宙で種族同士が戦争するためには互いが同程度の文化レベルにある場合に限られるというモダン・スペースオペラの前提からすると、三体人が人類文明のパロディとして描かれていること自体が本来の古き良き時代のスペースオペラから逸脱しているので、「黒暗森林」理論がやや上滑りな印象をもたらす。
 中国現代史を持ち込んだことで、『三体』はかなり不思議な印象を与えるけれど、この『三体Ⅱ』は徹底的にエンターテインメント路線を歩んでいるように見える。さてさて第Ⅲ部はどうなっていることやら。

 自分としてはファンタジーを読みたいとは思っていないのだけれど、それでも読んでしまえば面白い作品に行き当たることもある。前作がなかなかヘンなSFファンタジーだったジャスパー・フォード『最後の竜殺し』は、帯で「ドラゴンスレイヤーに選ばれた少女」とヒロインが表題の「最後の竜殺し」であることを(表紙絵共々)謳ってしまっているが、実はヒロインが先代ドランゴンスレイヤーからいきなり最後のドラゴンスレイヤーに指名されるのは、本文150ページを過ぎてから。全体で340ページの話なので、いかに読んでいるうちに想像がつくとはいえ、その指名を受ける唐突さを楽しむためにも、伏せておいた方が良かったろう。
 というのもこの作品の無上の楽しさは、ヒロインが指名を受けるまでのマジックランドでの日常的ドタバタにあるからだ。ヒロインは複数の魔法使いが所属する事務所の所長代理(所長の魔法使いが行方不明のため)で魔法能力は最低レベル、実は魔法使いの所長の下へ孤児院から奉公に出され早数年、いまは事務所を切り盛りして奉公の年期明けになる16歳がもうすぐの少女だ。この少女が采配する魔法使い事務所には一癖も二癖もあるやや落ちぶれた魔法使いたちが集まっており、おまけにヒロインは見た人が気絶するほど恐ろしい顔をしている魔法生物クォークビーストに懐かれている。
 まあ、お定まりのコメディと云えばその通りだけれど、作者の腕は確かで、読んでいる間は実に愉しい。しかしヒロインがドラゴンスレイヤーに指名されてしまうと、その役割がいかに奇想天外なものであっても、やはり型どおりの物語が待っているのである。もちろん作者の仕上げは上々であって、文句のつけようはないのだけれど、物語の構造がドラゴンスレイヤーをいう鋳型をどれほど変形しようが、可能性は限定されてしまうのだ。その点前半のマジックランドでの日常とその異変の始まりが、定型へと収まる前の夢のような物語空間を現出させて貴重なものとなっている。

 今回も岡本さんからいただいた第3短編集(早ッ)、岡本俊弥『猫の王 King of the Cats』を早速読ませていただきました。
 正面を向いた表紙の黒猫が怖い巻頭の表題作は、いかにもありそうな猫の集会から醸し出されたホラータッチの作品。ボールド体で挟まれる遙か昔のエジプトや中近東あたりの隊商に連れられた猫の視点から描かれる風景は、現代のある意味せせこましい舞台との落差が大きく、結末に向かって両者を繋ぐにはちょっと無理があるような気がする。
 「円周率 Pi Gene」円周率データの入った機器を人体に埋める人体実験に志願した男の話。これはイーガンに近い現代SFホラーで感心しました。今回は登場人物を突き放した形の作品が目立つような気が・・・。
 「狩 Hunting for Vengeance」は、女にイタチの尻尾のようなものが見えてしまうとついその女を追いかけてしまう男の話。小学生の時、中学生の時そして高校生の時、彼は尻尾を持つ娘に執着する・・・。長谷敏司の性犯罪者を題材にした短編を思わせるけれど、この短い作品の狙いは結末のオープンエンドにある。
 「血の味 The Taste of Bloody Flesh」は未来のインドに取材した人工食肉増産をテーマにしたSFホラー。これは見事に落としてある1作。岡本さんが以前インドへ出張した話を思い出しながら読みました。
 「箱 The Box」は、モデルは明らかなんだけれど、『紙葉の家』とか『全滅領域』に出てくる地下室みたいな話をわずかなページ数で展開しているって、そりゃ言い過ぎですね。
 「決定論Determinism」は決定論がずべてを支配する世界で起こる逆転劇。なんだかアシモフか小林泰三が書きそうな小品になっているけれど、アシモフほど人なつこくなく、小林泰三ほど邪悪でもないが、突き放した感じがするのは作者の個性でしょうね。
 「罠 trap」はこれまでの20ページ前後の短いものと違って、この短編集の後半をなすやや長めの短編3作の初編。
 ある日ヒロインは出かけようとして目に見えない壁に阻まれることを知った・・・というところからはじまはるが、割とありがちなプロローグからちょっと予想も付かない方向へ進むある意味不条理SF。ヴォネガットやテッド・チャンが引用されるというところはSFの常道だけれど、ヒロインの迎える結末は一読ですんなり頭に入ってこない。
 「時の養成所 Training Institute for Time Stream Cnservator」は、描き方は現代的だけれど非常にオーソドックスなSF。末尾に「眉村卓追悼として『養成所教官』へのオマージュ」と記された1編。
 最後は集中一番の長い作品である「死の遊戯 Game of Death」。60ページを超えている。物語は最初VR戦闘ゲームの世界の話に見えるものの、断章で構成されていて非常に錯綜している。途中で「ぼく」が出てきて、ようやくこれが「機械の精神分析医」シリーズの1編であることが分かる。岡本さんの最初の短編集『機械の精神分析医』収録のリアリズム思考の短編に較べ、こちらは相当に謎めいている上、「ぼく」による「診断」が下された後でも、VR世界は続いていくのだ。現代SFのエッジを捉えた作品になっていると思える力作。
 ・・・と駄文を連ねたところで、各掲載作品については岡本さんのHPにこの紙ベース短編集にも収録されている大野万紀さんの丁寧な作品解説があるので、そちらを参照してくださいね。

 なかなか新作に追いつかないので、さっき買ったヤツから読んでみようと思い読んだのが、伴名練編『日本SFの臨界点〔恋愛編〕 死んだ恋人からの手紙』と同じく伴名練編『日本SFの臨界点〔怪奇編〕 ちまみれ家族』。なぜこれかというと読みやすそうだったし、「2010年代SF傑作選」のような既読で未だに忘れていないような短編ばかりと違って、忘れてたり、読み落としていたりする作品が多かったから。それにしても表紙絵が紛らわしくて年寄りフレンドリーではないなあ
 個人的な趣味で「怪奇編」から読み始めたのだけれど、どうも「恋愛編」が第1巻だったようだ(フツーはそうだなあ)。いまどき「恋愛編」やら「怪奇編」と分けるセンスは年寄り臭いが、若者にはわかりやすいのか。収録作品は必ずしも副題に沿うものとは思えないものが多く、その点はおおらかともいえる。
 収録作にコメントすると、
 中島らも「DECO-CHIN」は異形コレクションで読んだ時の強烈な印象がいまでも尾を曳いているが、前半のディテールを忘れていたので、そういや語り手はロック雑誌のライターだったと再認識した次第。
 山本弘「怪奇フラクタル男」はフラクタル理論をまんま人体に当てはめた小品。初めて読んだけれど、初出が〈小説CLUB〉ということで、わかりやすさとSF的過激さが両立している。タイトルに「怪奇」が入っているけれど、SF読みはこれを「怪奇」とは感じないだろう。
 田中哲弥「大阪ヌル計画」も小品だけれど、田中哲弥の語り口が楽しめる。ちょっと懐かしい岡崎弘明「ぎゅうぎゅう」は「大阪ヌル計画」の拡大版みたいなアイデアだけれど、岡崎ファンタジーらしい叙情性があってほんわかしている。まあSFホラーとも云えるかも。
 中田永一「地球に磔にされた男」は一種の時間ループもので手慣れた一編。これもタイトル以外は「怪奇」な感じはないけれど。作者が乙一と同一人物だと初めて知りました。 イヤ、ホント。
 光波耀子「黄金珊瑚」って、さすがに驚きのセレクション。一体いつの時代かというくらい古いが、古くてもきっちりと抑えられた物語の骨格はそれなりの感慨をもたらす。
 津原泰水のサブタイトル作は津原自身が編んだオリジナルアンソロジーに編者自身が載せたコメディタッチの血だらけ作品。シリアスに描いたら相当血みどろでエロチックになったかも知れない。元本が文庫になったとき買ったけれど、読んだかどうかは忘れた。
 光波耀子と並んでこのアンソロジーの柱となるのが、中原涼「笑う宇宙」。いま読んでもかなりグロテスクで、これは「怪奇編」の名にふさわしい1作。基本は客観性が担保されない宇宙船での登場人物同士の狂った論理のぶつけ合いで、〈奇想天外〉SF新人賞佳作ということで確かに選者の筒井康隆が書き/好きそうな話になっている。
 森岡浩之「A Boy Meets A Girl」は本来「恋愛編」に入っていて当然の宇宙的時間のなかで進行する少年と少女の物語。SFだねえ。
 谷口裕貴「貂の女伯爵、万年城を攻略す」も異形コレクション掲載作。読んだはずだが忘れていた。いま読んでも面白く、書きようによってはライトノベル的な続きものになるかも知れない。
 巻末の石黒達昌「雪女」は、未読の筈なのに既読感がある1作。明らかに他のSF作家とは違ったシリアスなタッチの持ち主で、確かに標題どおりのSFホラーには違いないが、まったく崩れを見せない硬質なリポートといった作風は独特な味わいがある。
 それにしても各作品に付けられたこの超マニアックな解題・解説はナニ。とても30歳ソコソコの人間の書きモノとも思えない。いや1960年代くらいまでのSFの鬼たちはこんなだったかもなあ。やっぱり年寄り臭いか。
 「恋愛編」に移ると、
 いきなり中井紀夫の副題作品ではじまる。これは時間シャッフルの戦地からの手紙もの。関係ないけれど、いやあるか、EL&P「Memoirs Of An Officer And A Gentleman」を思い出す。
 藤田雅矢「奇跡の石」はすばらしくリリカルな1編。これも何か別の東欧を舞台とした作品を思わせる。全然違う話だったと思うけれど。
 和田毅「生まれくる者、死にゆく者」は、和田毅ってダレと思ったら、ちゃんと解説してあったので、そのつもりで読むと、いかにもソレらしい話だった。でも「恋愛編」かねえ。
 大樹蓮司「劇画・セカイ系」もダレだそれ、と思ったらSFマガジンでもおなじみのライターさんだった。タイトル通りのメタライトノベルSF。飯田一史が昔SFマガジンでライトノベル分析したようなポイントをちゃんと押さえているので、読んでる間はよくできてるなあと感心していたけれど、いま思い出そうとしてはやくも内容を忘れていた。
 高野史緖「G線上のアリア」は、初期高野の得意とする改変ヨーロッパでの男性ソプラノ/カストラートの物語。いや高野史緖としか云いようがない。それに続けて扇智史「アトラクタの奏でる音楽」は同じ音楽ものでも京都の女性ストリートミュージシャンがヒロイン。相方も女性なので、いわゆる百合系ですね。再読。
 小田雅久仁「人生、信号待ち」は、一種の落語のようないわゆる関西SFみたいなケッタイな1編。これは確かに「恋愛編」だねえ。
 円城塔「ムーンシャイン」は円城印の典型的1作。再読。
 巻末に据えられたのが新城カズマ「月を買った貴婦人」は竹取物語をヨーロッパ近世史でファンタジーにして見せた1作。35ページしかないのにヨーロッパの複雑な王家や貴族のドラマが背景にあって、かなり重厚な印象を加えている。
 アンソロジーとしては「怪奇編」から読んで良かったなというところ。それにしてもディープなアンソロジーセットだなあ。

 ノンフィクションはまた次回にでも。


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