内 輪   第351回

大野万紀


 編集後記にも書きましたが、星敬さんの訃報がありました。星さんのことで個人的に思い出すのは、30数年前のパソコン通信の時代です。星さんはPC-VANというNEC系の大手パソコン通信でSF-SIGオペ(SFフォーラムの管理者のこと)をやっておられ、ぼくも掲示板やメールでのやりとりをしていました。当時はまだ出版社にメール送稿ができないところが多く、SFアドベンチャーの原稿を星さん宛てにメールで送って届けてもらったりもしました。ギスギスすることの多いパソコン通信ですが、いつも人柄どおりの穏やかな感じで運営されていたと記憶しています。その後の各種のリスト作りなど、個人でやっている方はいるでしょうが、日本SFの裏方として公式にSF関連書籍の情報を整理し、網羅的に資料をまとめられていた仕事は、星さんならではのものだったと思います。長い間、本当にご苦労様でした。どうぞやすらかにお休みください。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『営繕かるかや怪異譚 その弐』 小野不由美 角川書店
 5年前に出た『営繕かるかや怪異譚』の続編。同じ海の見える古い城下町が舞台で、営繕屋の尾端が怪異を鎮めるのも同じ。その怪異も、古びた部屋や天井裏、何に使われたかもわからない古い道具といった、そういった住居にまつわるものだ。不気味だが、決して禍々しくグロテスクだったり、おどろおどろしいホラーというのではない、どこかもの悲しさの残る静かで優しい怪異譚が6編収められている。
 「芙蓉忌」では、かつて花街だった古い町の実家に戻って来た青年が、部屋の隙間から芸妓のような女の姿を見る。すすり泣きながら三味線をひくその女に、彼は次第に取り憑かれていく。
 「関守」では、童謡の「とうりゃんせ」に異常な恐怖を抱く女の視点から、読者は彼女の過去へ、そして異界へと連れ去られていく。
 事故で死んだ三毛猫の声が聞こえると息子がいう「まつとし聞かば」。得体の知れない何かがだんだんと迫ってくる中、父親と息子との関係が明らかになっていく。
 「魂やどりて」は古道具をその来歴も考えず乱暴に扱っていた女が、奇怪な現象に遭遇する。
 「水の声」は自分のことばがきっかけとなった事故で水死した子どもの霊が現れるという男の話。古い家に水の臭いが漂う。
 「まさくに」はお祖母さんの家の屋根裏部屋に棲んでいるという幽霊を、引っ越してきた子どもが目撃する。しかしそれは優しい幽霊だという「まさくに」さんなのだろうか。
 どの話もいかにもよくある怪談のように始まり、しだいに家族の歴史や人々の因縁の深みが明らかとなり、わずかなすれ違いや小さな間違いが悲しい物語へとつながっていく。そしてそのからんだ糸を断ち切るように、営繕屋はささやかな手当てを下していくのだ。
 いずれも心に残る話だが、ぼくが一番好きなのは「関守」で、それはそんな人間同士の因縁を越えた、この世界とは異なる「異界」の存在が、夕暮れの神社の石畳の道からふっと立ち現れてくるからだ。「ここはどこの細道じゃ」と――。

『十二国記 白銀の墟 玄の月(3)(4)』 小野不由美 新潮文庫
 待望の続刊。発売後すぐに読み終えた奥さんが、ネタバレしたくてうずうずしているようなので、ぼくも急いで読み終えた。(1)(2)より話の展開は早いので、どんどん読み進めることができる。また各章の中でも細かく視点や舞台が動くので、相変わらず重い話なのだが、次を次をとページをめくることになる。
 漢語が多く、人名一覧がついてないので、この前読んだばかりだというのに主要人物以外は誰が誰かわからなくなってしまう(それはぼくの歳のせいでもある)が、それでもストーリーを追うのにさほど問題はない。驍宗を探す旅はいよいよ大詰めとなり、ついにその姿を見ることができる。李斎らの勢力は大きくなり、これでいよいよ大団円を迎えるかというところで、また急変がある。阿選の側にも動きがある。謎の無気力の原因は明らかとなり、むしろ積極的な変化が出てくる。泰麒は再び追い詰められることになる。大勢の人が死ぬ。
 4巻の後半になって絶望的な状況がますます厳しさを増すが、最終的には戴国の物語には確かに決着がつくので、読者は安心して波瀾万丈のストーリーを読めばいい。そして読み終えた後、やはり最大の謎は謎のまま残っていることに気づく。
 それは戴国の民衆や人々の暮らしには直接関わらないが、世界の運命そのものに関わる謎である。阿選がどうしてこうなったのか、琅燦(ろうさん)は一体何をしようとしていたのか。それはより上位の物語に属する謎であり、想像することはできるが、おそらく作者はその答えを示すつもりはないのではないかと思えてきた。
 それにしても(1)(2)の物語の描き方からして、(4)の後半から大団円までの流れはいかにも急いでまとめた感じがあって、これは本当はもう1冊くらい必要なボリュームではなかったかと思う。あれほど細かなことまで気をつかって描いていたのに、ちょっと説明不足だ。あるいは全体がこれくらいのスピード感でも良かったのかも知れない。この後はオリジナル短篇集が刊行されるとのことなので、それも期待だが、長編も読みたい。システム的な謎解きはしないとしても、末國善己氏の解説にもある芳国の話などぜひ読んでみたいと思う。
 ところで、気になったことをいくつか。(3)の途中に一カ所「仏教寺院」という言葉がでてきてすごく違和感があった。(4)にも「仏」という言葉が出てくる。(1)の「道観寺院」も気になったが、「道教」という言葉は出てこなかったと思うし、道教の神様も出てこなかったので、単に中国風の寺院という意識で読んでいた。でもそこに仏教が出てくると世界の見方が変わってしまう。もちろん日本や中国から来ている人もいるわけだから、そういう宗教がここに根付いていても不思議はないのだけれど、厳密な世界構築がされている中で、ここにきてそういう小さな変化が気になるのだ。またそれ以上に、これまで誰にも自由にできないはずだった妖魔が、人為的にコントロールできるというのもおかしい。初めから読み直せば何かわかるのかも知れないけれど。まあこれだけ長い時間のかかっているシリーズで、齟齬があるのはやむを得ないが、世界システムに関わることなので、ちょっと違和感があった。
 ついでだからぼくの想像による本書のシステム的な謎解きをしておこう。いや、あくまでも一読者の勝手な想像にすぎないのだけれど。そんなの読みたくない人は以下読み飛ばしてください。
 〈十二国記〉がきわめて人工的に構成されたシステムだというのはその地図を見るだけでもわかるだろう。いや、SFじゃないから作ったのは人じゃなく神様でも天てもかまわないのだが(でも水鏡子は世代宇宙船説を唱えていたし、もっと現代的に仮想現実世界としてもいいが、当たり前すぎて面白くないよね)。それはともかくとして、この何百年あるいは何千年も続いたシステムに、今ほころびが生じていることは間違いないだろう。
 ぼくの想像は、本書とそれに至る物語が、泰麒という、十二国のシステムにとって異端、不具合、バグに相当する存在に対する、システム運営側の干渉、バグ調査、不具合対策だったのではないかというものだ。琅燦が「あの麒麟は化け物だ」といい、耶利(やり)が「台輔は面白い」というように、泰麒はこのシステムでは異質な存在であり、システムの不具合なのだ。ちなみに二人とも黄朱(こうしゅ)の者で、十二国の王や麒麟を含む他の人々とは別の階層、秩序、レイヤーに生きているようだ。つまり運営側に近い者だろうと思う――「天」はとても機械的な、プログラム的な存在なので、その背後にあってより人間的な心をもつ運営者、システム管理者がいるように思える。琅燦が阿選に王位簒奪をそそのかしたのも、想定外なその異常の調査が目的で、不具合修正の試みだったのではないかと思う。その点、戴と違って麒麟がいないまま月渓(げっけい)が王として統治している芳は、システム的に正常ではないものの、想定外ではなく、システムの想定する異常系におさまっているということかも知れない。まあ、ただの想像です。

『宙を数える』 東京創元社編集部編 創元SF文庫
 創元SF短編賞の正賞・優秀賞受賞者によるオリジナル短編のテーマアンソロジー。宇宙テーマと時間テーマが同時発売され、こちらは宇宙テーマ。6編が収録されている。いずれの作品も読み応えのある、SFらしいSFがそろった短篇集だ。
 オキシタケヒコ「平林君と魚の裔」は『原色の想像力2』に収録されたデビュー作「What We Want」の続編。コミカルなバカSFと見せかけて実はとても本格的な宇宙SFの傑作である。知的生命を固着型の生物の子孫と泳ぎ回る生物の子孫に分けてみせるのも面白いが、銀河グローバルな通商でひたすら格差が固定化しているという世界設定もいい。何よりちょっとコードウェイナー・スミスを思わせる、兵器なしで戦われる宇宙戦争のシーンが熱い。これ、ぜひ連作長編にしてほしいなあ。
 宮西建礼「もしもぼくらが生まれていたら」も傑作。あるとき地球に小惑星が衝突するとわかる。ただし人類が絶滅するようなものではなく、ひとつの国や地方が大きな被害を受けるという程度のものだ。主人公の高校生たちは、衛星構想コンテストに、宇宙機でこの危機を回避するための対策を提案しようとする。とはいえ高校生のすることだから、自分たちだけの頭の体操からはなかなか広がらない。このあたり、ハードSF的なディテールとともに現実的なリアリティがあってとても良い。やがて小惑星の軌道が明らかになって関東地方に致命的な被害が出ることがわかる。政府も動き出す。そしてこの世界が実は、こちらの世界と一点で決定的に異なる時間線の並行世界であることがわかるのだ。そこからこの作品の真のテーマが現れるのだが、そこはちょっと強引かもと感じた。でも意欲作である。
 酉島伝法「黙唱」は楽器と融合した異生物をフィーチャーしたどことも知れぬ異星での、音楽を武器とする戦いと、そして子育ての物語である。例によって作者特有の造語や特別な読み方の漢字が続出するが、正直いってそろそろマンネリ感があり、もっと普通の文体でもいいのではと思った。お話そのものは面白く、特に異生物の大人と子どもの関係性が印象に残る。
 宮澤伊織「ときときチャンネル#1【宇宙飲んでみた】」はインターネットの動画配信で、同居しているマッドサイエンティスト未喜さんのやらかしたことを配信してお金儲けしようとするさくらちゃんの話。「博士と助手」百合だそうです。今回未喜さんがやらかしたのは宇宙をマグカップに抽出したこと。さくらちゃんがそれを飲んでみると――。というわけで無茶苦茶なんだけど、そんなに無茶苦茶感はなくて、むしろ真面目に宇宙論ハードSFしている雰囲気がある。宇宙論は大好きだ。
 高山羽根子「蜂蜜入りのハーブ茶」もSFらしいSFで、世代宇宙船の中の世界がテーマ。ただし観点はそこでの食生活。食べ物の描写がとてもおいしそうに描かれている。はっきりとは書かれていないが、これは吸血鬼SFでもある。
 トリを飾るのは、久しぶりの理山貞二「ディセロス」。機械の体をもつポストヒューマンな宇宙船乗組員による、地球対火星戦争のある一コマを描く作品だが、とんでもない力作。ハードSFではないと作者は後書きに書いているが、いやハードSFでしょう。そのポイントは、先進波(マクスウェル方程式に現れる、未来から過去へ進む成分。数学的にはあり得るが現実には無視することになっているものだけど、ベンフォードや堀晃の作品には出てきますね)を見ることのできる、ディセロスというガジェットだ。ポストヒューマンたちがそれを装着すると、5分後の未来を普通の視覚と同様に見ることができる。しかも直列につければ10分後、20分後の未来も見ることができる。物語は宇宙船の中に紛れ込んだ火星のスパイとの死闘を描くのだが、そのスパイが誰かというミステリ要素もあり、特にこのガジェットのおかげでそれがとてつもなくこんがらかる。一度読んだだけではややこしくて、ちゃんとイベント間のダイアグラムを書いてみないとわからなくなりそうだ。敵味方が互いにそれを使って相手を出し抜こうとするので、パズル的な要素が強くなり、複雑ではあるが非常に面白い。戦闘シーンにも迫力がある。

『時を歩く』 東京創元社編集部編 創元SF文庫
 『宙を数える』と同時に出たオリジナルアンソロジーで、こちらは〈時間〉テーマ。7編が収録されている。タイムマシンが出てくるようなSFもあるが、〈時間〉というものを人間の営みと関連させ、テーマを拡大した作品が多い。幻想的な作品や、意識と時間の関わりを深掘りした作品、数学的ロジックで切り込んだ作品など、多様なアプローチが見られて面白かった。
 松崎有理「未来への脱獄」は刑務所もの。タイムマシンが出てくるのだが、それがとてもトリッキーに扱われている。主人公が同房となった囚人は、自分が未来から来た物理学者だと名乗る。主人公は彼と協力して刑務所の中でタイムマシンを作ろうとする。まさか本当にタイムマシンができるとは(その未来人以外)誰も信じていなかったのに、完成したタイムマシンに乗った彼は奇術のように消えてしまう。そして房の壁に残された数字の意味がわかったとき、その驚くべき真相が見えてくる。
 空木春宵「終景累ヶ辻」は古典落語をモチーフにした幻想的な作品。恨みを抱いて死んだ幽霊は三方に別れた辻で行き先を選ぶことになるのだが――。幽霊の選択が時間線を分岐させ、少しずつ終景の違う物語が繰返し繰返し反復される。しかしどの物語も同じように哀しい。その物語の重ね合わせ。重畳現象(ダジャレごめん)。古典の雰囲気を生かしながら、SF的想像力を背景に重ねている。
 八島游舷「時は矢のように」はゼノンのパラドックスを人間の意識の時間に適用したSFだ。ほんの21日後に避けられない破滅が来ることがわかり、実質的な破滅までの時間を伸ばしていこうと、生体AIを使って人間の意識を2倍、4倍と、順次加速していく。まさにオーバークロックだ。そして結末にはまた大きなどんでん返しがある。ただ、発想は面白いのだが、意識だけを加速すればいいというロジックや結末のビジョンにはもう一つ納得できないものがある。何か読み違えたかしら。
 石川宗生「ABC巡礼」は奇想に溢れた傑作だ。ある作者の旅行記に書かれた巡礼コースをファンが同じように回っていくのだが、それを書いた本にまたファンがついて今度はその後を追っていく。そのようにしていくつもの自己言及な繰返しが発生し、しかもそれが重なり合い、互いに影響し合って、前後関係、因果関係も怪しくなってくる。繰返しが多層化されているのではなく、多重化されているのだ。プログラムならバグだし、タイムパラドックスでもあるのだが、この混乱が面白く楽しい。
 久永実木彦「ぴぴぴ・ぴっぴぴ」は奇妙なタイトルだが、一種のタイムパトロールというか、過去を改変して犯罪や事件を未然に防ぐことが可能となった世界の物語。主人公は時間局に所属し、過去へ跳躍しては対象者に声をかけて事件の発生を防ぐのが仕事だ。ところが起こらなかったはずの事件の動画がサイトに流れている。主人公はその謎に絡め取られていくことになる。タイムパトロールのような仕事が事務的なルーチンワークとして描かれているのが面白い。
 高島雄哉「ゴーストキャンディカテゴリー」は数学SF風味のある(風味だけなので恐れることはない)仮想現実SF。人類がVR空間に生きるようになったポストヒューマンの時代。主人公は無数にある仮想都市の中から、引っ越しするのに一番面白い都市を選ぶため、圏論(カテゴリー)をベースにした一種の仮想通貨、ゴーストキャンディを流通させて各都市の計算量を計ろうとする。ゴーストキャンディとは(空木春宵の作品と同様)怪談「累ヶ淵」に出てくる幽霊飴だ。その物語の上に、地球が太陽に呑み込まれる遠い遠い、数十億年も未来へとつながる物語が重なる。やや強引なところがあるが(ポストヒューマンの考えることはよーわからん)、壮大でSFらしい物語である。
 最後の門田充宏「Too Short Notice」は何も無い白い部屋で主人公が目覚めるところから始まる。その部屋には次第に減っていく17桁の数字が表示されているだけだ。そこに〈絶世の美女〉が現れ、彼にこの状況の説明を始める。絶世の美女というが、その概念だけの存在であって、具体的な姿はないのだ。彼女は実はAIで、この部屋は仮想空間、彼は契約により表示されているだけのリソースを与えられ、その範囲内でリソースを自由に使うことによって自分のやりたい事を実現できるのだ。彼の実体は瀕死の状態にあり、残されたわずかな客観時間を仮想空間内の主幹時間として大きく引き延ばされている。しかしリソースを使うことでその意識上の残り時間も減っていくことになる。そんな状況であるにもかかわらず、AIと彼との会話がとても楽しい。よくできた彼女なのだ。彼女のアシストを得ながら、彼は直前までやっていた仕事を思いだし、それを続けようとする。その仕事とは――。ここには狭い仮想空間から宇宙へ、SF的に大きな世界へとつながる高揚感があり、感動がある。傑作だ。

『キュー』 上田岳弘 新潮社
 WEB連載していた小説を加筆して、5月に出た本。SFである。そして純文学でもある。帯に、あらすじが書いてあるが、そこに引用されているとおり、これは『太陽・惑星』であり『私の恋人』であり『異郷の友人』であり『塔と重力』であり『ニムロッド』である。つまりこれまでの作者の作品のイメージが再構築され、集大成となっている。とりわけ、ぼくには『太陽・惑星』のリトールドであるように感じた。
 今回の時間軸は満州事変から700年後の未来まで。中心座標は東京オリンピックを3年後にひかえた2017年だ。空間軸は主に日本(淡路島、東京、埼玉、八戸)とテニアン島。第二次大戦、特に広島の原爆が大きなポイントとなっており、キャラクターは「前世は広島の爆心地で太陽と同じ温度で焼け死に、私の中には第二次大戦が入っている」と語る渡辺恭子と、彼女と高校の同級生で、今は東京で心療内科医をしている僕こと立花徹、僕の祖父で、長年寝たきりとなって施設に入っているが、かつては石原莞爾と〈世界最終戦争〉について語り合った仲である立花茂樹、そしていきなり僕を拉致した「等国」なる組織の武藤という男。「等国」は対立する「錐国」との間で世界を巡って争っているのだ。そしてコールドスリープから700年後の未来に目覚め、薄緑色のゼリー状の物体に変化していないただ一人の人間となったGenius lul-lul、彼のサポート役である人造人間Rejected People、そして「声」として様々な状況説明をしてくれる「日本語」。
 本書の主な登場人物はほとんどそれだけだ。物語は現代の極めて日常的な場面と、非日常な出来事、そして時間を超越した、まさにSF的な物語が並行して語られる。人類には〈シンギュラリティ〉もその一つであるいくつかの〈パーミッション・ポイント〉が訪れることになっており、垂直な秩序を目指す「錐国」と水平な平等を目指す「等国」(どちらも「国」ではなく、概念だ)の〈世界最終戦争〉(というが「戦争」ではない)が戦われ、人類は終わらせられるのだ。これってやっぱり『太陽・惑星』の世界観が言葉を変えて再話されているよね。SF的なモチーフが多様されるが、SFとして読むと物足りなさが残る。でも物語はユーモラスで面白かった。恭子さんのキャラクターが魅力的だ。それと「日本語」さんもね。

『星系出雲の兵站 -遠征-2』 林譲治 ハヤカワ文庫JA
 第2部の第2巻。ガイナスの故郷(と思われる)敷島星系へと遠征した人類は星系外縁に機動要塞を建設した。ブライアン五月司令官たちは、ガス惑星の衛星・美和で活動しているガイナスの探査を進めて、少しずつその謎を解明していく。一方、壱岐星系で人類に封じこめられているガイナス拠点では、烏丸司令官によるガイナスの集合知性とのコミュニケーション計画が進行していた。そんな時、拠点から脱出したガイナス戦艦が第二拠点を築こうとしていることがわかり、勝利したはずの人類に再び危機が迫る。さらに進化した未知の機能をもつ新型戦艦が現れ、人類の輸送船団を壊滅させたのだ――。
 このシリーズでは、派手な戦闘シーンもあるが、それよりも地味な、試行錯誤しつつ一歩一歩着実に進めていく活動の方に重点が置かれている。本書でも、敷島星系での探査や、烏丸司令官の意思疎通の試みなどにそれが顕著だ。地味な――でもそれがぞくぞくするような緊迫感を生み、少しずつ少しずつ謎が解明されていき、さらに新たな謎が生じるところに、すごくセンス・オブ・ワンダーを感じる。それはミステリやスリラーの謎であると同時に、きわめて科学的、SF的な謎解きなのである。この地道な手続きが、大きな真実を徐々に明らかにしていく。探偵が容疑者を集めてズバリと謎解きするというのではなく、そんなカタルシスはないが、バラバラな真実が、まだ見えない全体像へと少しずつつながっていくような、驚きと発見がある。とりわけ、敷島星系でのガイナスたちの社会はいったいどのようなものなのか、集合知性の謎とあわせて、今後の展開がとても気になるところである。
 今回も烏丸司令のキャラクターが際立っている。とはいえ、前回に比べればずいぶん大人しくなって、この世界の常識にほとんど回収されてしまったようだ。作者の描くキャラクターの中では飛び抜けて個性的な人物なので、ぜひとももっととんでもない活躍を期待したい。


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