続・サンタロガ・バリア  (第205回)
津田文夫


 さて何を書こうかなと思ったところへ、眉村卓の訃報が流れた。前回眉村さんが豊田有恒みたいに日本SF作家第一世代の思い出話は書きそうにないなあと書いたけれど、亡くなられたので、もしかしたら遺稿の中にそのようなものがあるかも知れない。
 とても眉村さんの良い読者だったとは云えない人間だけれど、『消滅の光輪』ぐらいまでの代表的な長編は一応読んでいる。短編集の方は10冊も読んでいないかも知れない。『引き潮のとき』の1,2巻は買って読んだが、表紙が変わった3巻以降は読んでない。『不定期エスパー』も新書版で半分くらいの巻数で止めた記憶があるし、それ以降新刊を読まなくなったような気がする。とはいえ、第一世代の特徴ある作家としての眉村卓の印象は『消滅の光輪』までの作品の中で形づくられていたと思う。ご冥福をお祈りします。

 本来は前回取り上げていたはずの小川哲『嘘と正典』は、長編『ゲームの王国』のイメージで読むとちょっと違和感のある短編集。うち3編はどの書評でも言及されているように、題材は大きく変わっていても、父親の遺した何かをたどる話である。残りの3編の内「時の扉」、「最後の不良」は寓話的なスタイルと近未来風俗小説的な違いはあってもサタイア的な構成を採っている。表題作が一番『ゲームの王国』の作者らしい1編で、SFの大枠に対して、自分の研究の情報をアメリカのスパイに渡そうとするソ連の科学者のエピソードをはめ込んだ意欲作、なんだけれど、SFの大枠がソ連科学者の苦悩と決断にあまり釣り合っていない。
 小川哲はSFを書くことに真面目すぎるのかも知れないなあ。

 その点安心して読めてしまうのが、林譲治『星系出雲の兵站 ―遠征―1』。第2部開幕ということで、第1部の主要登場人物がみんな出世しての顔見せ興業というのが本巻の印象。もちろんあたらしいキャラも加わっていて、その新キャラのタイプによって、人類コンソーシアムでの人類間の駆け引きの方が異星人ガイナスの本拠地と思われる星系でのコミュニケーション試行よりもストーリー的に重みを持たされているように感じられる。まあ、まだ序破急の序なので、続きが待ち遠しいというところ。

 SFプロパーの新刊にこれというものがなかったので、積ん読から長編を読もうというので手を出したのが、松崎有理『代書屋ミクラ すごろく巡礼』。松崎有理の短編集は面白いが、そういえば長編は読んでなかったなと思い読んでみた。
 おなじみタコ足大学の心理学研究室の若い女性助教に懸想したミクラは、春休みの研究調査に出た助教を追いかけて、懐が寂しいのも顧みず、ある島に渡る。この島で行われているのが年1回の「すごろく巡礼」という島巡りを兼ねたすごろくゲームで、これに優勝すれば助教とめでたく再会、また巡礼参加者は無料でまかない宿が使えるとあって、当然ミクラは参加する。あとはスチャラカ島巡りである。
 ということで、船医で民族学のおじさんや代書屋の先輩もでてきて、まあいつもの松崎有理ユーモア話ではあるんだが、さすがに長編となるとミクラがひとりですごろく関係の各キャラクターと絡むだけでは、スパイスが足りないようである。もちろん読んでて楽しいのだけれど、ややハラハラドキドキ度に欠ける。短編集『5まで数える』で証明したシリアス&サスペンスほどのものはなくても、みんなノホホンとしているところへちょっとしたサスペンスがあったらなと思いました。

 よし長いヤツを読もうと次に手を出したのが、京極夏彦『虚実妖怪百物語 序/破/急』。昨年末刊行の1400ページ近い文庫。
 文庫の裏表紙のあらすじも読まずに読み出したので、読み始めてビックリ、京極自身を含む雑誌『怪』の関係者が実名で登場する内輪小説で、話の大枠のフィクションを演出するのは怪人加藤保憲(荒俣宏『帝都物語』)。基本的なテーマは水木しげる大(おお)先生が、「妖怪が消えた、見えなくても感じられるはずの妖怪が消えた、鬼が妖怪を殺す」と大声を上げることで展開され始める。
 まあ、なんというか40年以上前の大学SF研のファンジンで時折見かけた、あの内輪小説(どうしようもなくバカバカしいけど、登場人物はSF研のメンバー)をエンターテインメントの鬼がハイパワーで実作して見せたというシロモノ。
 京極は実在人物をキャラとして大量投入してみせるが、狂言回しのキャラクターを担わされている妖怪バカで真性バカの若者たち(所謂若輩)は、冒頭に出てくるそのうちのひとりが榎津平太郎(あの榎津+「稲生物録録」の稲生平太郎)というネーミングからして、全員フィクション・キャラであろう。
 内容については言及しないけれど、(妖怪)バカ力(現代の世相に足りないのは無駄を楽しむバカ力(りょく))が日本を救うという夢ものがたりは、京極堂シリーズでも見せていた、いわゆる現代批評になっている。
 物語的には加藤保憲出演料なのか荒俣さんがスーパーマンになっていて大活躍、最後まで読むと物語全体がまるごと水木しげるの追悼になっていることが分かる。

 すこしSFとかぶっているのが、9月の新刊マーガレット・アトウッド『昏き目の暗殺者』。ハヤカワepi文庫に落ちたので、読んでみた。
 物語は2つのパートが交互に語られる形式で、リアルワールドの物語は、現在は老嬢となった主人公の現在時点でのグチ語りと幼年期からの幼年期から結婚後の生活までの回想からなり、一応これが本体といっていい。もう一つのパートは1945年に35歳で自動車で橋から落ちて死んだ(自殺?)妹が書いていたという表題をタイトルとする小説の中身。ということは、この小説は妹の死後の処女作である。
 「昏き目の暗殺者」とは、この妹が書いた小説に登場する得体の知れない男が、これまた得体の知れない女との情事にふけるときに、枕物語として語る三文SF/ファンタジーに登場する盲目の暗殺者のこと。何しろ戦前のSF/ファンタジーなのでパルプ雑誌に載るような古めかしさがあって、それらしいものをつくるアトウッドの腕前は大したものである。この妹が書いた小説自体は、男と逢瀬を重ねる女の視点で語られる。
 老嬢の回想の方は一種の家族サーガにもなっており、こちらも物語上のリアルワールド・エンタメとして読ませるが、アトウッドの仕掛けはあくまでも語り/騙り/カタリの輻輳/複層を織りなすことにあるので、老嬢の語り/騙りの仕掛けは最後に爆発する。そういう意味では作品自体がSFだとも云えるのか。

 ちょっとモリミー成分の補給ということで手を出したのが池澤夏樹個人編集『日本文学全集03 竹取物語、伊勢物語、堤中納言物語、土左日記、更級日記』の巻。
 中学校だか高校の時に習った古典では、堤中納言物語と更級日記が好きだったので、当時現代語訳か何かで読んだ覚えがある。森見登美彦訳「竹取物語」は、姫が求婚者に出す難題を彼らがどう対応したかを語る部分が面白く、モリミー節になっているようだ。ことわざの元となったという説明が異様におかしい。
 ついでなので全部読んでしまったが、驚いたのが堀江敏幸による「土左日記」。なんと「貫之による緒言」と「貫之による結言」が付いていて、本文のメタフィクションぶりを明確に語っている。えーッと思って国会図書館のデジコレで確かめたけれど、当然そんなものは原書にない。訳者の解説的創作なのだった。訳者は女文字/ひらがなで書こうという紀貫之の企みをひらがなで訳すことで、メタフィクションとしての「土左日記」を再構築しているわけだ。「土佐日記」ではないことも、改めて気がついた次第。

 積ん読消化ついでに手を出したのが、大森望編『不思議の扉 ありえない恋』。帯に「十代から楽しめる不思議な味わいの読み切り小説シリーズ第3弾」と謳われている。
 目次は、梨木香歩「サルスベリ」(『家守綺譚』より抜粋)、椎名誠「いそしぎ」、川上弘美「海馬」、スタージョン「不思議のひと触れ」、三崎亜紀「スノードーム」、小林泰三「海を見る人」、万城目学「長持の恋」、川端康成「片腕」という、いま読むと素晴らしいとしか云いようがないラインナップ。今回読んで感心したのは「いそしぎ」だった。
 平成23年2月初刷の文庫がどれくらい売れたのかよく分からないけれど、当時これを読んで面白いと思ってくれた中高生がいたら、その人はいまや20代になっただろう。彼らはこのアンソロジーを思い出すことがあるのかな。

 ノンフィクションはまた次回に。


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