第58回日本SF大会 彩こん レポート

大野万紀


 ※このレポートは個人的なメモを元に記載していますので、不正確な場合があります。誤りや不適切な記述があれば訂正しますので、ご連絡ください。

会場のソニックシティ

 今年の日本SF大会は埼玉県さいたま市で、7月27日(土)と28日(日)に開催された、「彩こん」である。
 彩こんは、大宮ソニックシティを会場にした、都市型大会だ。
 台風が直撃するとの予報があり、出発する時にはかなり風がきつく黒雲が流されていて心配したが、着いてみると青空が広がり、台風なんてどこへ行ったの、という感じ。さすがSFファンが集まると天気の子効果があるのだなあ。
 会場は駅から近いが、入り口が複雑でわかりにくい。まずは受付とディーラーズ。見知ったみなさんに挨拶。とはいえ、歳のせいで名前が出てこない人が多いのだが。えーと、確かに記憶にはあるんだけど、誰だっけ? ということで、挨拶できなかった方、ごめんなさい。
 ところでこの建物、どうも建物と建物の間の移動がややこしい。迷ってしまう(と思ったら、やはり暗黒星雲賞を受賞していた)。

 最初に行った企画は「サイバー犯罪と創作」のパネル。

シュッとした若手専門家チーム こっちはヨレヨレおじさんチーム

 青木治道さん、堺三保さん、そしてアニメやマンガなどの設定考証をしている白土晴一さん。お友だちのおじさん軍団だ。こっちが創作側。一方にセキュリティエンジニアの若手のみなさん。兵庫県警と戦っているという大角祐介さん、セキュア軍団の鈴木研吾さん、この企画を考えた創作講座の柴崎さんの息子で、母に引っ張り出されたというサイバーエージェントの柴崎拓海さん。シュッとしたメンバーだ、とおじさんたちに言われていた。
 まずはアニメや映画のサイバー犯罪って、専門家から見てどうなの?と堺さん。「攻殻機動隊」のようにちゃんと考証されているものもあれば、荒唐無稽なものもある。特に「攻殻」は実際の犯罪がそれを追いかけているようなところもあるほどだ。しかし、特にTVドラマではやたらと派手な画面が出てくる荒唐無稽なものが多いとのこと。そんな中で海外ドラマの「ミスター・ロボット」はリアルで良く出来ていたとのことだった。出席者の多くも同意していた。
 とにかく今のサイバー犯罪は自己顕示型よりも金が目的で、見た目の派手さはなく、地味だ。ここでリアルな現実に起こった事件に関わる話や、ICPOに関わる話、ナイジェリアでのサイバー犯罪の話など、とても面白い話があったが、パス。先進国では小さな金額でも、それが国が変われば大もうけになるという、国境を越える犯罪の特殊性の話もあった。国家間のサイバー攻撃は、今はSNSを舞台にしたフェークニュースの形で行われることが多いという。史上最強のハッカーを作るにはアメリカ大統領になればいいというジョークもあるそうだ。また企業のサーバをのっとって、そこで仮想通貨のマイニングをするといった、だれも被害者がいない(サーバのリソースを食うくらい)ような犯罪も増えている。
 そうした現実側に対し、創作側は、やはり「絵にならない」という問題に悩んでいる。監督からちょっとハッカーを出して、といわれるが、頭にあるのはキーボードを超スピードでカタカタやると派手な画面がパッパッと現れて、あら不思議、魔法のように事が進んでいくといったイメージだ。スーパーハッカーというのはファンタジーの魔法使いなのだ。そこで専門家側が、VR犯罪ならこっち側は部屋の中でバタバタしているだけかも知れないが、VR側で派手な画面が見せられるのではないかという。うーん、でもそれって「レディ・プレイヤー・ワン」だよね。そうなると、なかなか攻殻の呪縛からは逃れられない。
 青木さんが、士郎正宗さんが「攻殻機動隊」のサイバー空間のイメージに悩んでいたという話をする。確かにもう40年近く前に今のイメージを作り上げたのだからすごいことだ。VRだとワンパターンになりがちなので、「電脳コイル」のようにARにすれば、リアルな世界にサイバーなものを上乗せできるので面白いのではないか、という意見も出る。
 話はAIやロボットの起こすだろう犯罪や、シンギュラリティにまで及んだ。シンギュラリティについてはみんな懐疑的だったが、それでも特定の領域に限れば、リビジョンごとのシンギュラリティというのはあり得るのではないかという話もあった。脳インタフェースについて、チップを埋め込むような侵襲式と、脳波を使うような非侵襲式があるが、おじさん軍団が侵襲式は電極が錆びたりするみたいで怖いと言っていたのに対し、若者チームが非侵襲式の方がハックされる可能性が高くて怖いと言っていたのが印象的だった。
 最後に日本の現実のサイバー犯罪について。今は都道府県ごとにバラバラなので、ぜひともFBIのような全国組織が必要とのこと。非常に刺激的で面白いパネルだったが、時間があればサーバーやPCでの犯罪だけでなく、今後の自動運転やドローン、ウーバーやIOTへのハッキングといった問題についても聞きたいところだった。

 次の企画は、ぼくが参加する「ヴォンダ・マッキンタイア追悼」だ。
 SFセミナーでもやったそうだが、セミナーは都合で出られなかったので、パワポを用意してきた。ところが、事前に会議室のモニターにぼくのノートPCが接続できることを確認していたのだが、いざ繋ごうとするとD-SUBの口はあるのに、あるはずのアナログケーブルがない。HDMIはあるが、ぼくのPCは非対応なので、急遽マックを借りてHDMIで繋ぐが、USB-CとHDMIの変換器を挟んでいるせいか、これも画面が出ない(出たと思ったらすぐ消える)。ちょっとあせったが、結局他の部屋からアナログケーブルを持ってきてもらい、無事にモニターへの接続ができた。
 (パワポはここにあります。ブラウザで閲覧可能です)
 地味な企画だが、そこそこ人が集まってくれた。さすがにかなり濃い人ばかりだった。
 内容は、まずぼくがマッキンタイア=大野万紀の由来を話し(SF研で海外作家をペンネームにするのがはやっていたので作ったもので、実はそれ以上の意味はない)、パワポを中心にマッキンタイアの経歴と、作品、そしてどんな人なのかを(想像を交えて)話し、それから邦訳のある作品紹介をするという流れに、随時小谷真理さんの話を交えて進める。
 小谷さんが、実際にウィスコン(フェミニスト中心のSFコンベンション)で彼女に会った時のエピソードや、ダナ・ハラウェイの『サイボーグ・フェミニズム』を訳したとき、彼女がマッキンタイアをとても高く評価していたという話(とりわけ、未訳だが Superluminal が重要)、そこからマッキンタイアの重要性については今こそ再評価が必要なのではないか、といった話をされる。
 ぼくは『夢の蛇』から、彼女がいわゆる「リケジョ」であり、当時の反科学の風潮には反して、とても深く真摯に科学と人間、社会について考えていたということを語る。そして人となりの話からは、お茶目でオタクで、「高等数学を駆使して」編み物で海の動物(タコなど)のぬいぐるみを作って友だちに配っていたといったエピソードを紹介。会場からは、実際に彼女のサイトで見つけたというタコの編み物の写真を見せていただいた。
 それから<スタートレック>関係の話題へ。これはぼくは(一応TVシリーズはずっと見ていたが)あまり詳しくないので、会場の詳しい人にも参加してもらい、合気道をやっていた背の低い彼女が、実はかなりの日本びいきだったのではないかとか、スタートレック小説の中にもそれらしい要素があるといった話をしてもらう。おそらく彼女が日本に強い関心をもっていたのは確かだろう。
 また小谷さんが、アーシュラ・ル=グィンとマッキンタイアの楽しいエピソードを紹介。マッキンタイアがル=グィンに「ゲド戦記」のアニメ化を勧めたの話は有名だが、これは彼女がダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品を宮崎駿がアニメ化した「ハウルの動く城」を見て、原作より優れていると感激したからだった。ところが実際にアニメになった「ゲド戦記」を見た後、ル=グィンに「ごめんね」と謝ったという。
 まだ70歳という歳で亡くなった彼女だが、最期は友人たちに囲まれて、ある意味しあわせな旅立ちだったのではないだろうか。始めはパワポだけの内容では時間が余ってしまうかと心配だったが、小谷さんや会場の人とも楽しく話ができて、けっこう盛り上がり、時間いっぱいになったのは嬉しかった。みなさんありがとうございます。

 それから星雲賞の贈賞式(こういうのね)に、ホールへ。

ピーター・トライアス 受賞のことば

 第50回 星雲賞は以下の通り。

 ピーター・トライアスの受賞の挨拶で、訳者の中原尚哉さんが「著者とやりとりしながら1年がかりで改稿し、完成させた」と言っていたのを受け、飛さんは『零號琴』の受賞のことばで、「トライアスは書き直しに1年かけたそうだが、私は7年かけた」と語る。
 そして草野原々の受賞の挨拶は、相変わらずのちょっと引くようなパフォーマンス。まあ星雲賞だから、これでいいのだ。

 次の企画「SFと人工知能の過去・現在・未来:フィクションとリアルの交歓」には、遅くなって開始に間に合わず、途中から入った。部屋の中はすでに満員で立ち見も多い。ぼくも後ろから立ち見。
 出演は、慶大SF研出身で人工知能の専門家、筑波大助教の大澤博隆さん、SF作家の長谷敏司さんと山口優さん。お二人ともAIにはとても詳しい作家だ。
 聞いたのは途中からだったが、いきなり脳はコピーできるか、脳も内臓の一部だからコピーできるはずという、すごくSF的で前向きな話題が出る。また機械に感情はあるかという話では、ペッパーくんにも「感情」はあるが、それは人間が言うような感情ではないという。ここでいう「感情」とは正確には「情動」というべきで、それは外界に対する機械的な判断機能――危険だから逃げる、怖い、安全だから近寄る、好ましい――であり、イソギンチャクにも存在するものだ。人間の「感情」は意識が関わるものだからそれとは違う。
 意識が関わると、人間でないものにも容易に感情を見ることができる。長谷さんの『BEATLESS』ではアナログハック――人間の意識のセキュリティホール――によって、人間でないものに感情を誘導される。そして、(人間の)情動のような感情は古い皮質から生じているもので、アフリカのサバンナでは有効だったが、現代の都市生活へはあまり適合しておらず、より高次の、新皮質が生み出す意識による判断が必要となるのでは。
 そこからシンギュラリティの話題になる。先ほどの、アフリカのサバンナでは合理的だったものを未来の生活で克服するには、生物の限定合理性だけではダメで、AIがサポートすることも必要となる。人間は、古い脳がもういいやと判断を放り投げることでフレーム問題(目の前の問題全てには対処できない)を回避しているが、その問題自体を変更し、解決可能な形にいじくることもできる。それはある程度外部化が可能で、AIがサポートする余地がある。
 知能の一部でも外部化すると知能の構造は変わる。ただし共通のテンプレートがないと、互いにコミュニケーションできなくなる怖れもある。トロッコ問題のようなものを、一つだけの判断基準で対処する(東洋では年長者を優先することが多いという)のは危険で、多様な個人同士の合意のプロセスが必要だ。対立は当然あるので、それを認識し、知能同士がどこかに決着点をもつ必要がある。
 さらに会場からの質問に答える形で、次のような話も出た。われわれはロボットや人工知能に対して、それが人間に役立つかどうかの一点で接しており、傲慢すぎる。素直なロボットたちの世界は、ロボットにとってはディストピアだろう。われわれは人工知能を考える際に、どんな未来を目指そうとしているのかを明らかにしないといけないのだ、と。

 1日目の企画はこれで終わり。ホテルに泊まって、2日目の企画へ。朝は少し雨模様だったが、すぐにまたいい天気になった。

 2日目日の最初の企画は「百合SF、合作しました」へ。

麦原さんと櫻木さん 飛さんと溝口さん

 アンソロジー『アステリズム花束を』に収録の「海の双翼」を合作した、ともにゲンロンSF出身の櫻木みわさんと麦原遼さんに、『アステリズム』編集者の早川書房・溝口力丸さんが司会をし、それにゲンロンSFにも関わってきた飛浩隆さんが話を聞くという豪華なパネルだ。
 麦原さんがいかにもリケジョで、低めの声で論理的に話を進める眼鏡っ子なのに対し、櫻木さんはふんわかした雰囲気で当たりが柔らかく、声も高めで可愛らしい感じと、まさに対照的な二人だった。(あくまで見た目だけの第一印象です)。
 まずは麦原さんがパワポを使って合作のポイントや作品の意図について話をする。このまとめ方が論文発表みたいに定式化されていて面白い。合作は人間パートが櫻木さん、AIパートが麦原さんが担当し、会話など双方が関わるところは相談して進めたとのこと。もっとも始めは前半と後半をそれぞれ分担したがそれではうまくいかず、交互に書くことになったという。
 着想の元になったのはNHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」で、自分の言葉を使うのが世界で自分ただ一人だけとなったとき、彼はいったいどう思うのか。すなわち〈言語的な孤独〉がキーワードだという。自然言語を人間に、技術的言語を人工知能に当てはめ、声と身体、光と影――光、物体、その影の三角関係を描くものだ。
 人間で作家の葵(あおい)は、自分を光と自覚していないが光の当たる存在で、AIの硲(はざま)はその影。ひたすら葵を見ている。そして翼人の海(うみ)は不在の視点。何を考えているかわからない。通じない言葉の「共有」をどうするか。硲にはそれを、発信者と受信者の間を補完し、取り持つ役割がある。双方の感情・反応をシミュレートするAIだ。また物語の書かれざる背景にはY染色体の退化があり、女性的なものしか存在せず、生殖は肉体と切り離されている。後付けかも知れないが、と断りつつ麦原さんはそのように作品を語った。
 飛さんが昨年の京フェスのゲンロン合宿で、二人にユニットを組んでみてはと勧めたのが合作のきっかけだとか。二人は打合せをし、言語的孤独と三角関係というモチーフで合意、互いの地の文には手を入れずに会話部分は相互に確認し、Google Documentsでの共同作業をして3月頃に一応完成したという。
 麦原さんの示す合作の諸注意。
 @一方は積極的にいくこと。両方ともが受けや攻めではうまくいかない。
 Aペースがそろわなくても進められる工夫が必要。
 Bやりとりの共通了解を定める。
 Cこだわりポイントが違う方が相互補完できていい。
 溝口さんはこのCについて、理系と文系の合作で当初期待していたものとは逆の魅力が出たという。AIがとても感情的なのに対し、作家は淡白に描かれていると指摘。
 続いて櫻木さんの話。櫻木さんはそれまであまりSFには接しておらず、ゲンロンでほぼ初めてSFに出会った。あらすじを提出する段階で「これはSFじゃない」と言われ、SFへのあこがれと恐怖があったという。恐怖の方はある時吹っ切れたが、あこがれはずっと持ち続けている。そして櫻木さんにとって、麦原さんこそが完全にSFそのものだった。
 花火大会へ行って、麦原さんといっしょに話をしたが、話す内容、興味をもつ点が、ことごとく謎だった。自分には書けないものが書ける人へのあこがれ。そんな時、飛さんからユニットを組んでみてはと言われたのだ。
 ここで溝口さんから、「うーん、重い、まるでのろけ話に聞こえますね」とひと言。大森望に合作の話をすると、「たいてい破綻するよ」と言われた。そこへ麦原さんが「合作って、遠距離恋愛みたいなものですね」。
 うーん、本当に重い。
 合作はなかなか進まなかった。櫻木さんが、『うつくしい繭』を出版してオファーも来るようになり、本職の方も忙しく、麦原さんと約束した日にはまだ書き上がっていなかった。そこで一言「私と仕事とどっちが大事なの!」。
 でもなかなか取っかかりがつかめなかったそうだ。麦原さんには、その時彼女がどう考えているのかわからない。手紙も来ず、まさに別れの危機。それでも分担を変えてやり直し、互いに違う人間だとわかってかえって信頼できるようになった。いったん危機があると人間は結びあえるものです、と。
 このやりとりこそメタフィクションとして小説化してほしいとの声あり。
 櫻木さんは、作品の冒頭に中国の古い刺繍の話を書いた。失われた高度な技術が必要で今は誰も作れない刺繍。言語の孤独。東チモールでは日本語を話す機会が全くなく、すると日本語がしゃべれなくなる。鳥人の言語の孤独にはその経験が反映しているという。葵の鳥人へのあこがれは、そのまま麦原さんへのあこがれだ。そして今年のダブリンのワールドコンへは二人で参加するのだそうだ。
 飛さんは、まさかこんなすごい作品ができるとは思わなかったという。鳥人に対しては二人の思いが重なっている。そして物語の最後で、大切なものが失われる。昔話のように。そのエモーションの大波。そこは二人で一日話し合って決めたそうだが、全てを失ったみじめな鳥人を、櫻木さんは葵が抱きしめてやりたいといい、麦原さんは暴力的に突き放そうとしたという。飛さんはこの話をファンタジーであっても背後にSF的なものがあると評価し、溝口さんは遠距離恋愛の往復ラブレターとしてまとめた。いやー、確かに、色んなレベルで「百合SF」ですね。

 企画の後、『アステリズムに花束を』が櫻木×麦原を除き、男性作家ばかりが収録されている件について溝口さんに聞いてみた。。特別な理由はなく、声をかけたのがたまたま男性作家が多かったということだ。百合に特に男性読者が多いということはなく、その点、海外のLGBT小説とは少し違うかもということだった。

 続いて行ったのは、「小川隆さん追悼」パネル。

中野さん、中原さん、内田さん 大森さん、山岸さん、立花さん

 さる6月13日に突然亡くなられた、翻訳家・編集者・批評家の小川隆さんを追悼し、思い出を語る企画である。参加者には小川さんが主宰していたSFファングループ「ぱらんてぃあ」関係の人が多かったが、その他にも知っている人がとても多い。パネルには中野善夫さん、中原尚哉さん、内田昌之さん、大森望さん、山岸真さん、立花眞奈美さんの各氏。
 なお、小川隆さんというより、この場では本名の小林祥郎さんの方が通りがよかったのだが、このレポートでは筆名の小川隆さんで統一することとする。
 小川さんは「ぱらんてぃあ」を「ファンダムにはしない」といったそうだが、それはプロ意識を持てといった意味だったのだろうか。出身者の多くが今ではプロ/セミプロになっている。
 パランティアとは『指輪物語』出て来る魔法の玉で、世界を見通すものであり、互いに通信することもできる。小川さんは集英社の海外部門関連会社だった綜合社(現集英社クリエイティブ)で集英社ワールドSFシリーズの編集を担当していた。子どもの頃からSFは読んでいたということだが、いわば野良ファンだったのだ。アメリカの海外SF情報誌LOCUSを取り始めたところ、当時LOCUSのエージェントだった柴野拓美さんから連絡があり、宇宙塵と関わるようになった。そして小川さんは、それまでKSFAがほぼ独占していた海外SFの紹介を、81年の8月にぺらぺらの手書きコピーのファンジン「ぱらんてぃあ」で始めることになる。
 山岸真さんも81年に上京するまでファンダムとの出会いはなかったという。渋谷の喫茶店カスミ(後にウエストへ移動)でやっていた金曜会(東京金曜会)に初めていったのは81年の11月か12月。ちょうどその年に小川さんがそこにいた人たちに「ぱらんてぃあ」を配り始めたのだ。
 山岸さんが初めて金曜会に行った時、同じ席に小川さんがいた。そこで次に出る82年の月刊化1号にレビューを書くことが決まった。82年秋には山岸さんが編集人となる。手書き文字は狩野あざみさんが主に書いていたが若い子に回される時もあり、発送は鹿野司さんがやらされていたそうだ。
 その後有料化した時、手伝ってくれる人をSFMで募集した。それを見て、これもそれまで野良ファンだった内田昌之さんが申し込んだ。内田さんはスチャリトクルを読んでいて、そのことを申込書に書いたらすぐ手紙が来て、出てこいと言われた。83年の2月か3月に初参加。その時は山岸さんと小川さんの他、なぜか大森望がいた。2次会には牧眞司さんがいた。
 中野善夫さんが参加したのは83年9月。SFMで申込み、指輪のファンとして「白の乗り手」に属していたが、様子を見に行ったのだという。中原尚哉さんは大学SF研の先輩に連れられて84年か85年に参加した。
 小川さんの文章でみんなが衝撃を受けたのは「SFの本」のコラムだった。その2号に小川隆名義で執筆した「1982年英米SF上半期のベスト作品はこれだ!」というコラムは、冒頭いきなり「じょじょじょーっと、新年はじめてのコラムは思わずちびる82年海外SF大特集なのだ!」で始まる。さらに同誌の「海外SFほっかほっかレビュー」は毎回「福島のエミちゃーん、大分のミエちゃーん、沼津のミカちゃーん、見てますかー?」と連呼するノリだ。ラジオのDJというか、本人はロックなアメリカのDJなんだといっていたそうだ。そしてこの「小川隆」というのは自分とは別人格なのだとも。会場にいる小川さんの奥さんによれば、私生活でもすごくベタなおやじギャグを飛ばす人だったそうだ。なお、「SFの本」には水鏡子も鳥居定夫名義で、やたらと真面目なコラムを書いています。
 83年9月から、「SFマガジン」にも小川隆が登場。「世界SF事情」は、出版事情を踏まえた上で作品紹介するスタイルのごく真面目な文体に変わっていた。
 84年に結婚。奥さんによれば特に意識したことはなく、いつの間にか結婚することになったという。周囲の人はそれが当然と感じていたそうだ。その年のワールドコンへは二人一緒に行く。サイバーパンクが全盛で、ブルース・スターリングと意気投合。ディーラーズではLOCUSのブースに座っていた(エージェントを柴野さんから引き継いだのだ)。アトランタのワールドコンでは、J・P・ホーガンに仕事のアポを取るため、サイン会の会場に行ったのだが、それらしい人がいない。ぽつんと一人いたおじさんに「ホーガンのサイン会は終わったんですか」と聞いたら「ミー!」と言われたそうだ。
 その他にも、様々なエピソードや人となりが聞けて、とても心に残る企画だった。

※「ぱらんてぃあ」の印刷方法や参加の年などについて間違いのご指摘がありましたので修正しました。前の方に座っていたのに、歳を取ると聞き間違いが増えますね。まだあるかも知れません。見つけられたらご指摘よろしくお願いします。

 最後に行った企画は、「2020年のリアルライフ」

 藤井太洋さん、長谷敏司さん、吉上亮さんが出演で、ごく近い未来(オリンピック後)の、人工知能、移民社会、労働問題などについてディスカッションするという企画。2部にわかれている長時間の企画だった。
 長谷さんは今年は私用でバタバタしていて新刊が出なかったが、これからどんどん出していく予定とのこと。藤井さんは2020年が舞台の小説を書いているので早く、今年中に出さないといけない。吉上さんは最近はSFよりミステリの方が多いが、最新作『泥の銃弾』は2020年のオリンピックを踏まえてテロ事件を描く作品であり、SFテイストの入った冒険・サスペンス小説だそうだ。
 吉上さんは、シリア内戦の話を書きたかったので、少子化による難民受け入れがオリンピック前に始まると設定し、新国立競技場では狙撃事件を起こすのが構造上難しいので、その前に発生することとしたとのこと。
 藤井さんは東京で小規模な核を使った核テロの話を書いており、サバ案の国立競技場が舞台としてちょうど良かったが、途中で変わることになってその描写ができなかったとの話。東京の人口の2割くらいが移民になると予想して『東京の子』を書いたそうだ。
 長谷さんは、『BEATLESS』について、ギミックの都合でかなり未来に設定しているが、,問題意識は現代のもの。人型ロボットが普及するには百年かかるかも知れないが、荷物運びを4足ロボットがやるのなら50年以内に実現するだろうという。
 今でも警備ロボットならアメリカでは普通に歩き回っている、と藤井さん。監視カメラが歩いているイメージで、抑止力として期待されている。駅の自動改札はアメリカには(中国でも)もうない。ポールが立っていて、カードをそこでピッといわせるだけで、ゲートはない。それだけ公共への信頼は上がっている。背景には与信のリスクがある。その話を聞いて、各店舗がガードしなくても社会全体がリスクを負担するわけだ、と長谷さん。特定の人の犯罪を防ぐというより統計的な意味でより大きな信用を得るということだ。
 人工知能も実態と社会でもたれているイメージとの乖離が大きい。この点についての議論となる。AIもマジックワードだが、人間もマジックワードだ。AIについてのカルチャーが不足している。そこでSF作家に声がかかる。長谷さんが2014年にAIの倫理委員会に関わった時は誰もいなかったが、今では専門家がいる。あと10年ほどすれば色々出てくるのではないかとのこと。
 移民・難民問題について。吉上さんは、今の移民受け入れは絶対ダメ。『泥の銃弾』の改稿中に法改正があったが、移民は認めないが研修生を入れるというダブルスタンダードだ。ろくでもない裏技でなーなーで通してしまい、ごまかしているから良くない。藤井さんは、昔派遣法が変わったとき、どこも正社員を取らなくなってしまった。今度もそうなる。東京都で住民票を持っている人の8%が外国ルーツ。保育園ではクラスに1人はいる。多様な人を受け入れられるかどうかだ。吉上さんが、あちらの警察映画で警察に外国人が入っているのはポリティカルコレクトネスというよりも、実際の必要があってのことだと話す。実際に英語を話さない人々がいるからだ。藤井さんは、移民が話せる、外から見た日本語を理解する必要がある。日本語自体もアップデートされていくという。日本語について、長谷さんは、小説を書くとき主語を省けと言われたが、そういうのは無くなればいいと思うという。
 働き方について。『東京の子』にはフリーランスのサラリーマンが出てくる。会社員を業務委託する。実はすでに始まっており、東京都やタニタはそれをやっている。長谷さんが、ある出版社で編集オフィスを廃止し、どこで仕事をしてもいいとしたが、それでは仕事ができないので、仕方なく自腹で事務所を借りて仕事をしたという話をする。
 藤井さんは、今後リソースが減る中で、豊かに生きるためにはどうすればいいか。倫理を考えることに怯まないようにしたい。野生動物や魚を食べることも10年くらいで無くなるのではないかという。吉上さんは、難民が増えることでこれまで食べられなかった料理も食べられるようになる。言葉はわからなくても味はわかる。世界が少し近づき、変な小説が書きやすくなる。
 ベーシックインカムについて。藤井さんは、一番の問題は財源だが、働かなければ死ぬなんていうのはバグだ。ベーシックインカムがあれば社会が変わる。すると自己実現の仕事よりゴミ拾いの方、必要だが嫌がられる仕事の方が給料が高くなる。社会の格差が平均化する。4〜5千人くらいの町や限界集落で実験してみればいい。年金や手当や生活保護はすべて止めて、ベーシックインカムに集約する。どうやって実現するかより、どうなるかを考え、イメージする方が良い。例えばスペースコロニーの経済がベーシックインカムで動いているとか。
 そしてVRやXRの話へ。吉上さんは、ジュヴナイルで、「電脳コイル」の先にくる話を書こうとしている。XRは意識に作用して変えることができる。味も変えられる。肌に直接作用させるより、目や耳を使って錯覚させる方がローコスト。触覚が再現できれば面白い。藤井さんがいうには、再現するだけでなく、第3の手や後ろを見る目があれば面白い。実際、メガネに着けた小さな鏡で後ろの視界を得ることができる。ほんの小さな像だが、慣れればかなりのことがわかるようになる。また遠近両用コンタクトというものがあり、これは遠近の両方の像を結ぶが、脳はそのうちピントの合った方だけを自動的に処理するようになる。チップを埋め込んだりしなくても、脳が勝手にやってくれるだろう。もっと雑に使えるXRがいい。
 移民の教育についてどう考えるかという問題。日本は、こうするという方針をきちんとした上で、異なる価値観の調整を行うべきだ。母国と日本を行ったり来たりしていると、子どもは教育がうまくいかず、母国語も日本語も話しはできるが読み書きができない子どもになる。基礎的な読み書きを公共機関でしっかり教育する必要がある。私塾はたくさんあるが、それでは格差が広がる。本に総ルビを復活すべきだ。大正のころの児童書には、右によみがなが、左にその意味がルビとしてついているものがあった。教科書は電子化して、表示が変更できるようにする。フォントも間違いにくいものに変える(「さ」と「ち」など間違いやすい)。さがせば結構ある。今の給食はアレルギーにも対応できている。ハラールなどすぐ対応できるはず。といったところで、色々と興味深かったが、閉会式が始まるというのでお開きになった。

 閉会式は各賞の発表。まずセンス・オブ・ジェンダー賞から。大賞は、田中兆子『徴産制』。いつものように寸劇あり。
 レトロ星雲賞は1965年で、日本長編:小松左京『エスパイ』、日本短編:筒井康隆「東海道戦争」、海外長編:レム『ソラリスの陽のもとに』、海外短編:デヴィッドスン「あるいは牡蠣でいっぱいの海」、メディア:「メリーポピンズ」と「大怪獣ガメラ」、ノンフィクション:福島正実『SF入門』だった。
 柴野拓美賞は「コンパック」を毎年主宰している三浦範久さんと、「星界企業」でファン活動し、「宇宙塵」をコミケで売って黒字化した中谷育子さんが受賞。
 そして、いよいよ暗黒星雲賞が始まるというところで、ぼくは時間切れとなって退出。

 いつものように、見たい企画が重なって見られなかったりしたけれど、素晴らしい大会でした。スタッフのみなさん、お疲れ様でした。良い大会をありがとう。


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