内 輪   第338回

大野万紀


 今回の内輪では、ネットで入手できる同人誌やネット小説のレビューが3編入っています。京フェスの藤井太洋さんらの座談会でもあったように、書店で買える普通の紙の本の電書化とは別に、書店では手に入らない同人誌や、一冊の本ではなく一編ずつの短篇を個別に販売するアマゾンの Kindle Singleのような動きに、とても興味があるのです。でも、なかなかその手の情報が入手できないのが問題ですね(ぼくはツイッターで知りました)。
 ところで、今回レビューしている藤井太洋さんの「おうむの夢と操り人形」ですが、そのベースとなっているソフトバンクの人間型ロボット、ペッパー君。先ごろ、この10月に各ユーザー企業がペッパー君の契約更改時期を迎えたのに、更新するユーザーが非常に少なかった、という寂しいニュースが流れていました。実をいうとぼくの今いる会社でも、当時ペッパー君のアプリ開発をしようという話があって、いろいろと調べたことがあるのです。クラウド上に置いた別のデータベースから情報を取ってきてお客と対話させようというものでしたが、結局ユーザーが手を引いてその話は流れてしまいました。しかし、ごく単純なことしかできないインタフェースでも、アイデア次第でやれることはいろいろあったはずだったと思います。この小説を読んで、あまりにもリアルなので、その当時の感覚がよみがえってきました。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『改変歴史アンソロジー』 坂永雄一・曽根卓・伴名練・皆月蒼葉 カモガワ文庫
 京大SF研OBによる同人誌。ハヤカワ文庫SF(青背)のイメージで作られている。それぞれの作者の改変歴史をテーマにしたやや長めのショート・ショートや短篇(伴名練は中篇に近い長さがあるが)が収録されているのだが、これがもう商業出版に勝るとも劣らない傑作だ。
 曽根卓「緑茶が阿片である世界」は、タイトル通りの作品。本書の中では一番ストレートなショート・ショートで、緑茶が麻薬だったら、という世界を戦国時代から現代まで、あるアメリカの研究者が書いた書籍の書評という形で描く。結末がちょっと悪ふざけに過ぎる気がするので、改変歴史のディテールはとても面白いのだが、ぼくとしてはやや評価は下がる。
 皆月蒼葉「江戸の花」は、江戸時代、品種改良された朝顔が錦絵を描き出し、錦絵師が失職するという奇想天外なアイデアがベースになった短篇。これが江戸情緒たっぷりの人情ものやミステリの味わいをしっかりと出しており、また舞台となる花絵の大店や勘定会所(取引所)の描写が素晴らしい。カラクリが溢れ、蜜蜂と花の蜜が演算や情報伝達に使われる。この見たこともない場立ちの様子が、いかにも活気があって面白い。ストーリー全体としてはもう少し工夫の余地があると思えるが、この情景を描いてくれただけで満足だ。スチームパンクならぬ朝顔パンク、あるいは蜜蜂パンクだ。
 坂永雄一「大熊座」もあっと驚く傑作。テリー・ビッスン「熊が火を発見する」へのオマージュだが、その後が違う。でもこの改変歴史のアイデア、掌編だからいいのだが、まともに考えると危うすぎ。そこをしっかりと考察してもっと長い作品にすれば、すごい話になると思う。
 しかし作者は、こういうトリビュート作品を書かせると、本当にうまい。ちょっとラファティも入っているかな。
 本書の半分を占めるのが、伴名練「シンギュラリティ・ソヴィエト」。本年度日本SFのベストといえるくらいの傑作! この作品は、アポロが月にいった時に、ソヴィエトでシンギュラリティが起こっていたという改変歴史SFだ(そのころシンギュラリティを起こすようなコンピューターがあったの、なんて聞くのは却下!)。
 とにかく雰囲気がいい。冷戦の続く異界となったモスクワで、迫力満点の異能バトルが展開する。そして最後はやっぱりとっても恐ろしい7歳の女の子が全てをさらっていくのだ。これぞ伴名練クオリティ!。
 考えてみれば、これまで伴名練の作品を読んでつまらないと思ったことがない。早く一冊にまとめて、誰もが読めるようにしてほしい。

『天才感染症』 デイヴィッド・ウォルトン 竹書房文庫
 あまり聞いた記憶がない作者だが、2008年度のフィリップ・K・ディック賞を受賞している75年生まれのアメリカ人作家である。本書も2018年のジョン・W・キャンベル記念賞を受賞している。
 しかし、このところの竹書房文庫はすばらしい。本書はいかにもアメリカ的なエンターテインメント作品ではあるが、その背後にあるSF的アイデアはとても面白い(ただし、アイデアは面白いのだけれど、ちょっと突っ込み不足でもどかしい面もある)。
 ずばりいえば、アマゾンに生息していた菌(細菌ではなくキノコの菌類)が、人間の脳に感染し(細菌じゃないので感染という言葉が正しいのかどうか。寄生という方がいいのかも)、感染者の知能を増大させ、自ら菌の生存を最適化するように行動させるようになる、という物語である。その菌は、アルツハイマー病を患い、かつての知性の輝きを失っていく主人公の父の知能を劇的によみがえらせ(そこに『アルジャーノンに花束を』の効果的な言及がある)、一方で感染者たちは世界に大混乱を巻き起こしていく。
 物語はアマゾンの奥地から始まり、アメリカでアルツハイマー病の父の介護をしている主人公、ニールの、NSA(国家安全保障局)への就職試験へと続く。
 ニールは数学と暗号解読の才能はあるが、とりわけ天才というわけでもなく、良きアメリカ人としてごく普通の(そして抜けたところも多く、よくやらかす)人間である。彼は試験の暗号解読をコンピューターなしにやってのけ、無事にNSAに就職したのだが、その新人教育のシーンが面白い。ハッカーとして仮想の敵システムに侵入せよという課題に、他の者たちが複雑なプログラムに取り組んでいるところを、彼はある意味とてもずるいやり方で突破するのだ(しかし、この方法こそ、現実のシステム侵入で最も有効な方法とされているものだ)。
 ニールの兄、菌類学者のポールがアマゾンから帰国するが、ニールは兄がずいぶんと変わってしまったことを知る。またNSAの職員として働き出したニールは、南米で広がっていく奇怪で危機的な事態に対峙することになる。環境保全派や反政府テロリストが力をもち、要人を暗殺したり、軍隊を乗っ取って反乱させたりしており、そこに謎の暗号通信が関わっていたのだ。その暗号を解読する中で、それがポールが感染した菌と関係があり、とんでもない事態が進行していることがわかる。それはたちまちアメリカ国内にも波及し、知能が増大した感染者たちと普通人との危機的な衝突が迫る。
 ストーリーはその戦いの進行と、ニールたちの家族や職場の人間ドラマ、そして進化や意識についての科学的・SF的な思弁が並行して描かれていく。そもそも菌には意識も知能もない。意識や知能があるのは人間の方だ。菌が人間を操るのではなく、菌によってニューロンの接続が強化された人間が、菌と人間の共通の利益のために(結果的には菌の進化を有利にする方向で)行動しているのだ。そして菌は強力なネットワークをつくる。菌糸で直接つながる以外にも、人間の共感力やコミュニケーション能力をつかって間接的にもつながるのだ。その巨大なネットワークは、AIがビッグデータを使ってディープラーニングを行うように、自意識をもたなくてもあたかも独自の知能をもったかのように働く。それどころか、コンピューターに忍び込んだ菌は、コンピューターの発する電磁波を読み取って(決してそれ理解するわけではないが)その反応として最適な行動を取れるようになるのだ。こんなものに果たして人類はかなうのだろうか。菌と共生した人間こそ、ポストヒューマンとして人類を継ぐ存在になるのではないか。ポールはそう考える。でもニールはそう考えない。
 そして、一応の結末はつくのだが、誰もが思っているとおり、これは本当の結末ではない。局所的にはハッピーエンドだが、大局的にはとてもハッピーエンドとは思えない。SF者としては、この後の話こそ、変容する世界の物語こそ読みたいと思うのだ。

「チュートリアル」 円城塔 kindle single
 アマゾンの、短篇1つでも購入できるkindle singleの一編。平易な文章で、難しい数学用語も出てこないし、ルビが独自の意思をもって語りかけてくるわけでもないのに、これがなかなか難しい。街の中に光るセーブポイントが存在する世界。ゲームの世界なんだろうと思われる。誰もがデータで、セーブやロードができる、これはそんな世界についての物語だ。
 だが、ここにモンスターとの戦いはないし、冒険も、ヒーローの立ち向かうべき目的もない。というのも、この世界はチュートリアルなのだから。でも何のチュートリアルなんだろう。
 チュートリアルというのは、普通、ややこしいゲームをマニュアルを読まなくてもできるように、色々と教えてくれる練習用の舞台というようなものだ。でもここではゲームのルールを教えてくれるわけでもなく、どちらかというとそこに存在するセーブポイントについて、ひたすら語る場のように思える。「セーブポイント」というタイトルの方がよかったのではないかと思うほどだ。
 日常性の中に、異物として存在するセーブポイント。それが食用にもできるという、わけのわからない記述が始めの方にあるが、この発想は異様だ。まるで田中啓文だ。円城塔はそんな食へのこだわりを唐突に描くことがある。
 ボーイ・ミーツ・ガールである。この話の主人公は街中のセーブポイントで、また別の話の主人公である彼女に出会う。「この話の主人公」や「また別の話の主人公」というのが主人公たちの名前であり、属性である。おそらく彼らは、世界の外側にいるプレイヤーの意思で動かされるアバターなのだろう。
 セーブポイントからロードされるアバターには、ロードされた時点のパラメータしかないが、別レイヤーにいるプレイヤーの記憶が上書きされている。複数のプレイヤーにより、セーブロードがくり返されるとき、意識の連続性が織りなす世界線は複雑怪奇なものとなるだろう。それは一種のタイムトラベルだ。
 それでも世界は勝手に進んでいく。客観的な世界と、そこに存在する(観測者としての)意識の分岐と連続性、考えるとわけがわからなくなる。にもかかわらず、この小説はそれを「チュートリアル」だというのだ。
 そして最後のシーン。セーブロードをくり返し、もはや誰ともわからなくなった年老いた二人が出会って、静かにお茶を飲む。これって『果しなき流れの果に』へのオマージュじゃないか! ややこしい物語だったにもかかわらず、このラストシーンにはほっとさせられ、心の温まるものがあった。

「おうむの夢と操り人形」 藤井太洋 kindle single
 こちらもkindle singleの一冊。短篇だが、いかにも作者らしい明るい近未来SFで、名前はパドルと変えてあるが、あの店頭で愛想を振りまいているロボット君の未来のお話だ。
 SF的な人工知能とは違う、簡単な会話パターンと行動パターンをプログラムされているだけの人型ロボット。作品中では「人の形をしたスマートスピーカー」と呼ばれている彼ら。それがいつの間にか未来を変えていく。
 AIがどうの、シンギュラリティがどうのという前に、たったそれだけの機械にどれほど潜在的な可能性があるのか。この作品では役目を終え中古品となった彼らの、その後の発展と応用について様々な(すぐにでも実用化できそうな)アイデアが語られる。それに関わっていく主人公たち二人のドラマもとてもいい。
 オリンピック後の日本。主人公の山科保はベンチャー企業のスタートアップにIT基盤の構築を請け負うフリーのエンジニアだ。彼はシステム会社の倉庫に眠っていた中古のパドルを一体、安い値段で入手する。彼と同居している飛美神奈は企業サポーターが仕事だが、パドルのプログラムを自分で作ることもできる。彼女が今取り組んでいるのはフードビジネスで使う台車型の配膳ロボットだ。ちゃんと客のところまで食事を運んでくるのだが、なぜかクレームが多い。そこでこの配膳ロボットとパドルをペアにするアイデアが生まれる。そして……
 でも、そんなお仕事小説としてのドラマも大変面白いのだけれど、このお話の本筋は、いわゆる〈アナログハック〉に、完璧なAIや人間そっくりの体など不要だということ、おうむ返しの会話でも、操り人形でもかまわない、言うならばそこに、機械と人との関係性の中にこそ〈魂〉は宿るということだろう。そうして、あっと驚くようなブレークスルーもないままに、いつの間にか世界は変わっていく……。この感覚! ぼくも、きっと本当だろうと思う。

『星系出雲の兵站 1』 林譲治 ハヤカワ文庫
 林譲治の新作は、宇宙戦争を描く本格的なミリタリーSFのシリーズだ。もちろん作者のことだから、軍事面の戦術・戦略だけでなく、政治的・社会的側面もみっちり書き込み、さらにハードSFとしての内容も申し分ない。大変読み応えのある作品である。
 舞台は地球ではなく、およそ4千年前に人類が播種した遠い惑星系。現在そこでは、すでに近距離の恒星間飛行ができるまでに文明が発達しており、AFDと呼ばれる超光速航行の技術まである。もっともこの超光速航行は色々と制限があって、いきなり好きなところへ行けるわけではなく、まず通常の航行で目的地まで行って航路を開拓しないといけないのだが。この世界には、かつての地球文明がおよそ継承されている。だが、そもそも播種船が送られたのは当時の地球文明が異星人の侵略を極端に恐れていたためで、地球の位置などの情報は何も残されていない。
 出雲星系と名付けられた新天地の人々は、やがて近隣の4つの恒星系に進出し、壱岐、八島、周防、瑞穂の植民地を築いた。それぞれの星系は独立し、出雲を中心に人類のコンソーシアムを作って歴史を重ねてきた。中でも壱岐星系は、出雲から20光年と最も遠くて独立心が強く、経済的にも軍事的にも出雲に次ぐ力を持っている。物語はその壱岐星系で、人類のものではない無人衛星が発見されたところから始まる。姿を見せない異星人によって人類は偵察されており、さらに敵対的と思われる活動をしていたのだ。彼らは地球人類が恐れた侵略者なのだろうか。
 この非常事態に、出雲星系を中心とするコンソーシアムの艦隊が動き出す。それは壱岐政府との軋轢を生み、両星系での様々な政治的思惑が渦巻いていく。そしてついに、異星人との戦端が開かれる。異星人の姿も、思考形態も、どこから来たのかも全く不明なまま、事態は壱岐星系の準惑星天涯における軌道エレベーターを巡った激しい戦闘へと至る。どうやら異星人の技術は人類とさほど変わりなく、圧倒的な力を持っているというわけでもないようだ。だがその戦術は、時には全く人類の常識や理解を超えたものとなり、要するに何を考えているのかわからない。後半になってようやくガイナスと名付けられた異星人の姿がわかるが、それは体長2mを越え、片方の腕が極端に長い、異様な人型の生物だった。準惑星天涯での彼らとの白兵戦は、刀や槍を使った、まるで中世の戦争のような奇怪で野蛮なものとなる。かろうじて勝利したものの、本書の最後で明かされるのは、残酷でおぞましい、恐ろしく衝撃的な事実だった……。
 本書に登場する人々はほとんどが軍人かその関係者だが、将来への展望をもちとても頭の切れるエリートか、無能なのに威張っている連中か、そのどちらかといっていい。基本わかりやすくていいのだが、時々キャラがかぶって、あれどっちだったけとなったのも事実だ。
 タイトルにある兵站の問題は最初からクローズアップされている。兵站を整えた側が勝つ。そしてここで兵站というのは単に軍需物資の輸送といったロジスティクスだけでなく、その生産計画まで含めた大きなものである。しかし、ガイナス側の兵站については全く不明なままなのだ。それはこれからクローズアップされていくのだろうか。

『星系出雲の兵站 2』 林譲治 ハヤカワ文庫
 1巻でかろうじてガイナスに勝利した人類だが、その反動もあって、壱岐星系、出雲星系の政治的軋轢が高まり、方や人類の存亡をかけた宇宙戦争の最中だというのに、人類同士の陰謀や主導権争いが熾烈さを増す。またコンソーシアム艦隊も改組され、凡庸な管理者型の人物が司令長官となる。根拠のない楽観論や不十分なコミュニケーションがあっという間に組織をダメにしていく。
 そして再び天涯を巡るガイナスとの戦いが始まり、当然のように人類側は手痛い敗北を帰することになる。どこかで見たような、愚かしい意志決定と追従。そのような中で生まれる英雄とは、まさに兵站の失敗によるものだ。
 2巻でも、ガイナスの側はその真の姿を見せない。戦いはいまだに局地戦のみであり、人類側もまだこれを全面戦争とは認識していない。そんなはずはないのだ。戦闘以外で人類とコミュニケーションを試みようとしない彼らとは、戦いで意思疎通するしかないのだから。
 とりあえず、2巻では悲劇を乗り越え、次のステップへの胎動が描かれる。それにしても本巻の戦闘シーンはすさまじい。宇宙での宇宙船同士の戦闘がわりとあっさりしているのに比べ、天涯の軌道エレベーターの先端にある小惑星に乗り込んだ降下猟兵部隊の戦いは、激しく、そして悲惨だ。まるで第二次大戦の、南洋の島々での戦いのように。
 さて、3巻ではいよいよガイナス側の動きがもう少しはっきりと見えてくるのだろうか。それとも人類側でさらに分裂が深まっていくのだろうか。どうなるにせよ、ますます面白くなっていくに違いない。


THATTA 366号へ戻る

トップページへ戻る