内 輪   第288回

大野万紀


 先月も書いていた74年のMIYACONで上演されたパロディ版「日本沈没」の8ミリ映像ですが、青心社の青木さんの協力が得られることになったので、今度の京フェスの合宿企画としてエントリーしました。10月11日(土)の夜の、さわや合宿で、昔話を語る会を行いますので、どうぞよろしく。

 今月も読書のスピードが回復せず、読み終わったのはやっと3冊。それもみんな国内SFのアンソロジーばかりです。ずいぶんと積ん読がたまってしまったので、秋にはがんばって消化しないといけないのですが。どうなることやら。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『SFマガジン700【国内編】』 大森望編 ハヤカワ文庫
 SFマガジン創刊700号記念の短篇集で、こちらは白い表紙の【国内編】。マンガやエッセイを含め、13編が収録されている。しかし【海外編】がまさにSF傑作選で、真面目で几帳面なアンソロジーだったのに比べ、こちらはずいぶんとマニアックな編集だ。SFに興味があって読んでみようかという初心者や、日本SFのベストを読みたいという中級者をも置いてけぼりにして、「知る人ぞ知る隠れた名作」というマニア向けの作品集になった(もっとも編集後記によれば、さすがに塩澤さんからクレームが入って、もう少し総花的な路線変更があったようだが)。
 もちろん、これは日本SF作家クラブ50周年と重なり、日本SFの短篇アンソロジーが山のように出たため、かぶらないようにした結果だという理由がある。それにしても、伊藤典夫「インサイド・SFワールド この愛すべきSF作家たち」の(下)だけとか、これはどうよと思ってしまう。いや非難しているわけじゃなくて、個人的には箱詰めしてしまった古いSFマガジンを掘り出さなくても読めることがとっても嬉しいのだ。
 本書には、実際に(今のところ)他では読めない傑作がたくさん収録されている。中でも圧巻は秋山瑞人の200枚の中編「海原の用心棒」だ。大戦争による人類滅亡後のクジラSF。迫力ある海洋冒険ものであると同時に、知性をもったクジラたちの可愛らしさと滅亡の寂寥感に溢れた傑作だ。何で単行本にならないのかな。
 貴志祐介のデビュー作となる「夜の記憶」もいい。これもハードな宇宙SFであると同時に海洋SFでもあり、作者のSFマインドが本物であることを示している。何で単行本にならないのかな。
 野尻抱介「素数の呼び声」は少しひねったファースト・コンタクトものの傑作。もう一度いうが、何で単行本にならないのかな。
 桜坂洋「さいたまチェーンソー少女」は〈ラノベ的に「ふつう」〉のサイコパス少女が引き起こす学校襲撃の虐殺テロが、オカルト的、SF的なとんでもない世界に入り込む。これは続編や書き下ろしを加えて近々単行本化されるとのことで、期待できそうだ。
 鈴木いづみ「カラッポでいっぱいの世界」は『鈴木いづみコレクション』にも収録されているが、しかしここに出てくるあのころの固有名詞をかなり忘れてしまっていることに気がつく。カラッポでいっぱいな、痛々しい空気感は、あの時代の(もう少し前か)青年向けマンガや何かと共に思い出す。
 こうしてみると、後半の「知る人ぞ知る」作品がやっぱり強く印象に残るといえる。

『年刊日本SF傑作選 さよならの儀式』 大森望・日下三蔵編 創元SF文庫
 漢字四文字のタイトルではなくなった年刊日本SF傑作選2013年版。16編が収録されている。
 その中で門田充宏「風牙」は、第5回創元SF短篇賞の受賞作。今回の受賞作はもう1編、高島雄哉「ランドスケープと夏の定理」が「ミステリーズ!No66」に収録され、単体で電子版も出ている。どちらも読んでみたが、小説としてのできの良さ、面白さは、「風牙」が優っている。ひと言で言えばサイコダイバーものだが、もっとデジタル化されていて現代的な雰囲気がある。他人の記憶を自分の意識にすりあわせるためダイナミックに翻訳辞書を構築するといったアイデアは面白い。ただこの結末にはちょっと肩すかしを食わされた感がある。あと主人公の関西弁が少し気になった。
 ついでに「ランドスケープ~」についていえば、ある意味すごいマッドサイエンティストもので、9兆人のお姉ちゃんと1人の妹に翻弄される男の子の物語であり、宇宙論とデジタル意識をテーマにしたハードSFでもある作品だが、大森望の選評にもあるように、小説としてのまとまりがなく、ピントがあっていない。しかし作者の潜在的な力量は感じるので、一皮むければすごい作品が生まれるような気がする。次回作に期待したい。
 本書の表題作「さよならの儀式」は宮部みゆきの「SF JACK」に掲載されたロボットもの。共感と意識というテーマはすでに現代SFの中心テーマの一つになっていると思える。本書に収録された作品にも多く見られる。
 同じ「SF JACK」に載った冲方丁「神星伝」はニンジャスレイヤー文体を援用した和風スペオペで、めちゃくちゃカッコいい。長編だとしんどいかも知れないので、連作短篇にならないかなあ。
 藤井太洋「コラボレーション」はWEBの端末操作がとてもリアルっぽいシンギュラリティもの。作者の商業デビュー作でもある。
 草上仁「ウンディ」は音楽SFで、異星での生物楽器を使ったバンドがコンテストに挑むさまが描かれるが、ファンタジーではなくSFとしてしっかり描かれている。どんな音がするのかわからないのに、はっきりとその音楽が聞こえてくるような気がする。
 オキシタケヒコ「エコーの中でもう一度」は音響ハードSF。失踪したミュージシャンを録音データから探ろうとする音響ミステリでもある。とても真面目にリアルに描かれていて好感がもてる。このシリーズはもっと読みたい。
 藤野可織「今日の心霊」は必ず心霊写真が撮れてしまうという女性を主人公にしたショートコメディ。
 小田雅久仁「食書」は本を食べるとその中に入り込んでしまうという、わりとありがちなアイデアを、圧倒的な筆力でとても読み応えのある、生々しさの溢れるホラーとした傑作。つい本のページを口に入れてみようとする気にとらわれる。
 筒井康隆「科学探偵帆村」は海野十三トリビュートな奇想SF。
 式貴士「死人妻」はすでに亡くなっている作者の未発表原稿ということだが、未完なのでこれだけでは何とも。
 荒巻義雄「平賀源内無頼控」スチームパンク的なもう一つの江戸時代を描く作品。これは「SFファンジン」に掲載されたものだ。
 石川博品「地下迷宮の帰宅部」は、ロールプレイングゲームの世界で部活をやったらという、何ともユーモラスで楽しい、しかし結末は残酷な物語。
 田中雄一「箱庭の巨獣」は月刊アフタヌーンに掲載されたマンガだが、異様で異形な世界を描いていて、ぼくは酉島伝法の世界と近しいものを感じた。
 その酉島伝法「電話中につき、ベス」はSF大会のプログレスに載ったという小品だが、いつもの異世界と電話がつながっているような作品だ。この言語感覚はやはり独特である。
 宮内悠介「ムイシュキンの脳髄」はロボトミーをずっと精密にしたような架空の脳外科手術を題材に、人の怒りや負の感情と、ある殺人事件を追ったドキュメンタリータッチの作品。
 円城塔「イグノラムス・イグノラビムス」は「SF宝石」掲載の作品だが、何とワープ鳥や宇宙クラゲや火星樹の葉を食材にしたグルメSFにして、〈あらかじめ定められた世界〉における時間と意識をテーマにした本格SFでもある。
 以上16編、いずれの作品も面白く読めたが、まさに現在の日本SFは豊饒なのだなあと思わせる。巻末には創元SF短篇賞の選評と、2013年の日本SF概況も収録されている。

『夏色の想像力』 今岡正治編
 創元SF文庫の『原色の想像力』をトリビュートした恐ろしく本気なファンジン(といっていいのか)。第53回日本SF大会なつこんの記念アンソロジーである。ネット販売もされている。
 何しろ加藤直之の表紙で、660ページ、プロ作家の、ちゃんとお金が取れるレベルの本気の作品を22編も収録しているのだ。
 円城塔「つじつま」は、産まれてこないで母の胎内で暮らす息子の話だが、そこには無線LANもあり、ガールフレンドたちも入り込んでくる。そのあたりでぼくの想像力も限界を超え、怖い考えになってしまう。ここでもし母も息子を訪問すればどうなるのだろうか。
 つづく倉田タカシの「あなたは月面に倒れている」もガツンとくる。宇宙服を着て月面に倒れている記憶喪失の宇宙飛行士に、月の塵のような謎めいた相手が話しかける。圧倒的でSF的な不条理感。姿の見えない塵やもやのような相手とは、伝統的には「神」だ。だがこのうっとおしさは(いや「神」だってうっとおしいかも知れないが)「悪魔」、というか例の「淫獣」を思い浮かべる。バカ話のようでもあるが、かれの語る饒舌で断片的な物語には、すごくSF的な物語も含まれている。しかしカンガルーに恨みでもあるのだろうか。
 山田正紀の中編「お悔やみなされますな晴姫様、と竹拓衆は云った」は、ハーラン・エリスンのパロディみたいなタイトルでもわかるようにオヤジギャグというか駄洒落がいっぱいではあるが、中身は秀吉の中国大返しをテーマに時をあやつる一族を配した大まじめなバカSF。しかしこれはタイトルから先に思いついた話に違いない。
 宮内悠介「弥生の鯨」は離島ファンタジーというか、メタンハイドレートなども出てくるが、土俗的で古代的な男女の風習を性的な意味で扱った物語。著者にしては新境地の作品ではないのか。
 高山羽根子はショートショート4編。筑波のSF大会のプログレスレポートに掲載されたということで、筑波をテーマにした作品が多いが、科学博を扱った「一九八五年のチャムチャム」と筑波の蝦蟇を扱った「不和ふろつきゐず」が面白かった。
 堀晃「再生」は、どこまでが実体験かはわからないが、ほとんど私小説といっていい写実的で日常的な病気小説。途中でミクロの決死圏になり、2001年宇宙の旅へと続いて、また日常へと帰還する。読み応えがある。
 酉島伝法「金星の蟲」もまた、ごく日常的でリアルな病気小説として始まり、著者の実体験がそのまま描かれたかのような現代日本の職場の風景が活写される。それがふと気づくとあの伝法ワールドの異界へと、滑らかに断絶なく取り込まれ、二つの世界が単に相が違うだけの同じものだとわかるのだ。これはもうベストSF級の傑作。
 飛浩隆「星窓」は「SF JAPAN」に掲載された単行本未収録の作品。こういうのも〈スローガラス〉ものといえるのでは。でもボブ・ショウよりずっと進んで、星窓そのものが現実に作用し始める。
 オキシタケヒコは2編。「夢のロボット」はプログレスレポート掲載の作品で、ロボットアニメが世界を救う。「イージー・エスケープ」は本格的な未来ハードボイルドで、専制的な政府が支配する太陽系から、自由なコロニー連邦へ脱出しようとする主人公と、彼を助ける「逃がし屋」の物語。意外性もあり、すごく面白くて、ぜひこの舞台設定での続編が読みたい。
 理山貞二も2編。「折り紙衛星の伝説」はショートショートだが、金星の開発と子どもの頃の紙飛行機作りとが重なって描かれ、暗い背景ながらロマンチックでさわやかな読後感がある。「百年塚騒動」は、これも原発事故や、現実に存在するトンデモなカルト集団が背景にあって重い作品なのだが、魅力的なキャラクターたちが巨大ロボット風の土木機械とともに活躍する、楽しくて読み応えのある作品となっている。ただ、その書きっぷりは、いちいち書かなくてもわかるでしょとばかりに、省略が多く、ぼんやり読んでいると何が起こったのかわからなくなるので、要注意だ。調子のいい親父がいい味を出している。
 下永聖高「アオイトリ」は鼻行類ばりの架空動物図鑑のノリ(作者自身のイラストつき)で、人々がその探索の旅に出て右往左往するという「世にも奇妙な物語」風の作品だが、何よりもその架空生物たちが魅力的。最後のリバーシブルアルパカモドキが可愛い。
 藤井太洋「常夏の夜」もベストSF級の傑作。自然災害により大きな被害が出たセブ島の復興にあたる人々の物語だが、テーマは量子コンピュータ技術による最新の自動機械たちと、人間とのコミュニケーション・インタフェースにある。テーマ自体はありがちだが、ここでもテクノロジーをオープンにし、リテラシーを広めることで、人類全体の未来を夢見るという、とても前向きで明るい展望が描かれていて嬉しくなる。
 勝山海百合「錘爺」もショートショートだが、中国ファンタジーで、オシラサマとも関わりがあり、諸星大二郎の絵が思い浮かぶようだ。
 三島浩司「焼きつける夏を」は事故で目が不自由になった女性に恋した男が、その女性が昔描いた絵にあった山荘を再現しようとする話で、SF味は薄めだが、山里での生活がリアルに描かれている。
 最後の瀨名秀明「キャラメル」が、これまたベストSF級だ。これは少し不思議な構成をもつロボットSF。東日本の大震災の被災地で、学生たちが作った鳥のように飛行して子どもたちにお菓子を渡すロボットと、人々に電力を補給してもらいながら、放浪の旅をつづける自立型ロボット〈ケンイチ〉との物語。表面的にはロボットに共感やコミュニケーションの生まれる瞬間を扱った、人工知能SFとして読めるのだが、シンギュラリティもののような断絶感はなく、地域の人々の日常生活と連続し、等身大の、手触り感のある物語となっている。ある意味では藤井太洋の「常夏の夜」とも共通したところがある。最近の著者の作品としては、科学技術に対してずいぶん前向きな印象をもった。
 書店で売られない同人誌にこれだけ傑作が載っていていいのか(いいのだ)。


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