続・サンタロガ・バリア  (第133回)
津田文夫


 SF大会から1週間あまりたった。今回は地元にいる古手のSFファンとしてゲストにしてあげるといわれて、ハイハイと返事したのはよかったが、なにも貢献することができない。結局、大和ミュージアム館長講演会の司会でお茶を濁す。ま、一家5人で参加して4人分の参加費を払ったので、そっちで貢献したということにしよう。

 初日は講演会のため、戸館長を車で呉から広島のこいこん会場へ運ぶという、スタッフの仕事をやっていて、結局何も見ずじまい。夜は7500円出して桐山さんとリーガロイヤルホテルでのパーティに参加。飲み物・食い物ともに少ない。高齢化したSF大会参加者が多いというのに、すぐに食い物が無くなるのはいかがなものか。ま、余るよりはいいか。

 2日目は大森望司会の星雲賞受賞者パネル。産総研の後藤さんのハイテンションに圧倒される。内田昌之さんの「はるこん」ソウヤー訳本裏話が面白い。昼飯の食える所に行くと、なぜか安田均さんたちがTRPGのパネルをやっていた。パネル後、大野万紀さんが久しぶりにご挨拶ということで、一緒に安田さんと立ち話。安田さんは若いです。その安田さんの横に若いヒトがいて、そういえばディーラーズルームで売り子をしていた人と思ったら岡和田晃さんだった。この人もすごいハイテンション。皆さんエネルギーに溢れていて、すごいなあと感心する。午後は大ホールにて各種授賞式。暗黒星雲賞が面白かったなあ。会場であるアステールプラザが受賞していたけれど、ゲスト控え室が迷路の先にあって、控え室に荷物を置いて出ていたら2度とたどり着けなかったかも。
 なにはともあれ、のんびりと過ごせた久しぶりのSF大会。お疲れ様でした。

 年に1度のNHK交響楽団を聴きに行ったら、ブラームスの1番が素晴らしい演奏だったので、ビックリ。コンパクトなリズムとクリアな各パートそれでいてスケールを感じさせる。コンマスのソロが久しぶりに耳に残る。尾忠明がこんなにいい指揮者だったとは。見直しました。協奏曲はモーツァルトの20番。ピアノは萩原麻美で、スタインウェイをシャープに鳴らしていた。

 リチャード・パワーズ『幸福の遺伝子』を読んで、何が嬉しかったかというと、「建物なのか地形なのか生物なのか見分けがつかないシュールな物が表紙に描かれた、地球外生命体への詩的な賛美歌。」という1行。これは名前に言及がないものの、明らかにリチャード・パワーズに対する賞賛の言葉。ググるとイラストレーターのリチャード・M・パワーズと表記されている。作家リチャード・パワーズがイラストレーターのリチャード・パワーズを押しのけた形なので、とても嬉しい本人によるフォロー。そして「彼女自身の物語は、ホレイショー・アルジャーからロジャー・ゼラズニーに至るアメリカの創作的虚構のモチーフをさまざまに取り込んだような驚くべき物語だ。」。いや、パワーズを読むのは初めてだったけれど、SFへのオマージュの使い方が素晴らしい(「ゼラズニイ」だったらもっとよかった、って、結局そこかい)。
 物語自体は文系・理系の総合的知識を駆使したいかにも現代アメリカの創作物。トマス・ピンチョンに比べると声がパーソナルで多作なところがちがう。作中最大の謎は、語り手の「私」って誰だよ、と、いつも意識させる書き方(結末では、答えは先の「彼女自身」のように見えるけど、最初の頃の「私」は違うかも)。でもそれは物語を読み進める興味の焦点からすると、大した問題じゃない。表面的には「幸福の遺伝子」の持ち主される娘タッサを追いかけているが、枝葉や裏には別の物語が動いているようだ。その象徴が原題の『Generosity:Enhancement』なのだろう。

 クラーク賞受賞作ローレン・ビュークス『ズー・シティ』は、上質の創作物『幸福の遺伝子』とは打って変わった荒涼とした世界で語られる一種の探偵小説。南アフリカ共和国にあるパートナー動物を強制された元犯罪者たちの街で主人公の女がとる行動はあまり説得力がないが、舞台設定といかがわしいプロットで強引に読ませてしまう。感情移入や読者の好意を誘うようなキャラはいないし、最後まで読んでも何のカタルシスもないけれど、変なユーモアはある。大人向けのコミックにするといいかもしれない。

 今月読んだ大森望アンソロジー1冊目は、大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 極光星群』。冒頭、宮内悠介「星間野球」が直木賞候補作とはえらい落差で笑わせるオーソドックスなコメディ。アクの抜けた田中啓文みたい。上田早夕里「氷波」はマシン側の意識に寄り添う形で書かれた土星の衛星探査。人間シミュレーション型と機械型しかいないので、生身の人間はいないが、「人間て何」テーマの1作。乾緑郎は雑誌掲載時に読んだカラクリ人形物。山口雅也「群れ」は山野浩一の短編のバリエーションに見える。高野史緒「百万本の薔薇」はお得意のロシア物。面白い。會川昇「無情のうた『UN−GO』第二話」はよくできた脚本。SFとしては新鮮味に欠ける。平方イコルスン「とっておきの脇差」はシチュエーションだけで読ませる漫画。何となく懐かしい。西崎憲と円城塔は初出で読んでいる。西崎の「奴隷」は短編集の中では浮き上がって見えた1作。円城の「内在天文学」はその作風からすれば、読みやすい部類だけれど、変な感じはする。瀬尾つかさ「ウェイプスウィード」は長編向きのアイデアを中編で処理したため、物足りない1作だが、オーソドックスな物語づくりに好感が持てる。いつにもまして真摯なSFの考察を入れて見せた瀬名秀明「Wonderful World」は、SFへのオマージュではなくてSFそのものなはずなのに、SFを観察した物語に見える。SF的なアイデアをきっちり披露しているし、ブラッドベリのメタファー(今年はこれに関する言及が増えてます)への想いもいいけれど、何か冷たい物を感じてしまう(「シックス・センス」の感触)。しかし、矢印は素晴らしい。驚いたのが、宮西建礼「銀河風帆走」。まんま、その話。雄大なスケール。一体いつの人ですか。えっ、89年生まれ。そーですか、そーですか。

 ついに出たロバート・F・ヤング『たんぽぽ娘』。伊藤さんの訳者後書きを読みながら、ヤングの欧米での評価の低さがようやく分かった気がする。もともと作家としては上手い人ではなかった。題材はブラッドベリを彷彿とさせる所があるのに、文章そのものが何かの香りを放つようなタイプではないし、エンターテインメント作家としても長編がイマイチ(伊藤さんは「壊れてる」といっている)。すなわち職業作家としては大成しない作家だったわけだ。それでもうまくいった時のヤングの短編はそれなりに感銘を残す。その最良の例が表題作だったわけで、伊藤さんが選りに選った作品集である本書でも基本は古き良き時代(女性は「女の子」に限る)のSFを思わせるものが多い。異色なのは「神風」で「女の子」はその通りだが、爆弾だというところがミソ。まるで「たったひとつの冴えたやり方」だ(ちょっと狂信的だけど、だから「神風」か)。文庫化は早いほうがよいと思います。

 大森望アンソロジー2冊目は、大森望編『NOVA10』。とりあえずシリーズ完結ということで、印象的な作品が多く集まっている。菅浩江「妄想少女」は年取ると身につまされる1作。内臓を支える筋肉は鍛えましょう(って誰に云ってるのか)。柴崎友香「メルボルンの思い出」どういう思い出ですか。奇妙な味タイプか。北野勇作「味噌樽の中のカブト虫」マクシム・カンメラーって確かに虫っぽい名前だよなあーとか思いながら読了。ダジャレオチですか。片瀬二郎「ライフ・オブザリビングデッド」は北野勇作の長編からスピンオフしたような印象。そしてこれはビックリ、33年ぶりの新作という山野浩一「地獄八景」は、いかにもクールダウンした山野浩一らしい地獄話。しかし、メンゲルベルグとはまた古いですね。山本弘「大正航時機綺譚」マニア向けダジャレオチ第2弾。上手い。
 前半のクライマックスは伴名練「かみ☆ふぁみ」。思いついても、読ませる話にするのは至って難しそうな作品。ラノベ時代が到来したから可能になったスタイルか。説得力はないが、面白いのでOK。森奈津子「百合君と百合ちゃん」は十八番の1作。エロと笑いはアナーキズムの基本です。って、そんな話じゃなくて、身も蓋もない結末の一言に笑ってしまった。倉田タカシ「トーキョーを食べて育った」はなぜか河野典生の「機関車、草原に」を思い起こさせる真っ当なSF。
 木本雅彦「ぼくとわらう」は、ダウン症に関して作者の実体験をふまえた作品。題材は全く違うのに、過去に書かれた幾つかの作品(長編もあれば短編もある)と似たような感触がある。円城塔「(Atlas)3」は超絶ミステリなんだろうな。殺され続けるぼくが何なのか、殺し続けるカメラは何なのか。時間や次元はレイヤーですか。違いますか。1行目からパラドックスは怖すぎですね。『地獄の地図制作者たち』と何か関係ありますか。ありませんか。あー、そーですか。
 瀬名秀明「ミシェル」は「Wonderful World」の続編に当たるとのことだが、小松左京のパスティーシュというには力がこもっていて、多分小松作品を別の次元に変換してしまっていると思われる。「ゴルディアスの結び目」にしろ『虚無回廊』にしろ、つまるところ小松左京のパッションの発露だったと思うが、ここではミシェルの全身に白く霜の降りた、立ったままの死体がイメージさせるように、小松左京のパッションは濾過されており、瀬名秀明の今を語る作品へと転換されている。最後の1行が小松左京への手向けの言葉であるにしろ。

 SFから離れると、『本の雑誌』の広告を見ながら読みたいと思いつつ、しばらく放って置いたのだけれど、やっぱり読みたいものは読む。ということで読んでしまったのが高野秀行『謎の独立国家 ソマリランドそして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』
 予想通り面白い。秘境は色々あるが、人間の作りだした秘境社会を探ることが未知の自然を探検することと同じくらいスリル満点の冒険であるとの考えは○。しかし、高野文体が、読みやすさを保証するのと同時にスリル満点なはずの冒険譚をなんだか楽しそうな道中物に変えてしまう。ソマリ民族の社会は氏族で動いていると喝破し、各氏族に源平以来の日本の氏族抗争を当てはめ、ややこしい話を一挙に解決してしまうナンチャッテ構造主義文化人類学を駆使。便秘に苦しみながら、覚醒剤植物カートを噛み噛み、驚くべき情報を引き出すことができるカート集会の不思議。高野文体はいささか冗長ではあるが、この冗長さが無いとこの長さを書き切り、なおかつ読ませることはできなかったろう。売れて当然だが、取材費の回収はできたのだろうか。

 今月の積ん読からの1冊は、文藝春秋編・半藤一利監修『「文藝春秋」にみる昭和史(一)』1995年初刷りの文庫。親本は親本は1988年全3巻だったが、文庫は4分冊。
 これも昭和史の参考本だったはずだが、ずっと積ん読になっていた。昭和元(1926)年の菊池寛の芥川龍之介追悼文に始まり、昭和15(1940)年の小林秀雄のヒットラー評(ただし戦後に発表)まで、46本の記事で構成されている。張作霖爆殺、満州事変、五・一五に二・二六、そして支那事変。暗澹たる記事がほとんどだけど、その中で「阿部定猟奇事件」なんぞはほほえましい。京大滝川事件や東大平賀粛学事件も、延々と続く暗い大きな謎のの中では分かりやすい。集中一番好きなのが、吉川英治が自作『宮本武蔵』連載開始にかこつけて書いた直木三十五への追悼文。立派です。
 


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