続・サンタロガ・バリア  (第132回)
津田文夫


 今年も半分終わり、日常が少しずつ変わっていっているはずなのに、大して実感が湧かないのは茹でガエル状態なのかなあと思う今日この頃。読みたい新刊や積ん読本がいっぱいあっても、読む気力がなくなって来ているような気がする。

 早い梅雨入りと言うこともあって、ステレオが聴きづらい。それでも椎名林檎の「いろはにほへと/孤独のあかつき」ぐらいは聴いてみた。東京事変とどう違うのかはわかりにくいが、サウンドはシンプルで、東京事変ほど緊密な感じはない。1曲目と2曲目で声の出し方をまったく違えていて、キーボードがチェンバロとウーリッツアーのエレピというのも対照的で面白かった。クラシックは新譜を全然買ってないが、最近ケンペの「ニーベルングの指輪」1960年版バイロイト・ライヴが新装盤で発売されているのを知って、15年くらい前に京フェスの帰りに四条通のレコード屋で買ったCDボックスセットを引っ張り出してみた。当時で1万円切るくらいの値段だったから、今と変わらない。当時は音質の悪さに辟易した覚えがあるけれど、今聴いてみると数年前に聴いたコヴェントガーデン・ライヴとそんなに遜色があるわけではないのが分かる。こんなに何回も「指輪」を聴くようになるとは、若い頃には想像もしなかったなあ。ビデオはブーレーズ、サヴァリッシュ、レヴァインで見たけれど、いまはブーレーズのDVDだけ持っている。見る暇はないけれど。

 マックス・バリー『機械男』は、エスカレーションが命のジェットーコースター小説。主人公の論理について行けるかどうかはともかく、一旦設定が飲み込めればあとは突っ走るだけ。社長を一撃の下に粉砕する所など笑ってしまった。「字で書いたマンガ」とは昔鏡さんがキース・ローマーの作品を評して使った言葉だったと思うけど、そんな感じ。日本にもラノベを始め、字で書いたマンガはあるけれど、ちょっとニュアンスが違うかな。

 ジェイムス・S・A・コーリイ『巨獣めざめる』上・下は、よくできたスペース・オペラ。でも始まったばっかり。狂言回しの主人公2人が交互に物語を進めていく形式だけれど、この2人がどちらも変なオッサンなのが今風。イギリスのニュー・スペース・オペラほどのエキセントリックさはない。『ハンターズ・ラン』がダニエル・エイブラムスの持ち味で書かれていたことが分かる。でも面白さだけなら『ハンターズ・ラン』の方が上。話の結末は「たったひとつの冴えたやりかた」を思わせる。それとも小惑星版バルンガか。巨獣だしね。この続編が『ブラッド・ミュージック』ということはないだろうな。

 待ちくたびれた森見登美彦『聖なる怠け者の冒険』は、新聞連載時とはずいぶんな変わりようで、あのグチャグチャな展開がこうまでスッキリするかというくらいきっちり整理された物語に化けてしまった。モリミーのブログで長い苦闘の最中が伝わってきたけれど、こういう形で提示されると、幻となった新聞連載版が愛おしくもある。書き下ろし版『聖なる怠け者の冒険』は、ある種、モリミーワールドの集大成ではあるが、女性に対するあこがれと神秘感がやや後退して、物語全体をコントロールする力が強く感じられる。それは物語の組立をとことん追い詰めざるを得なかった結果であろう。魅力的なキャラクターと筋運び、素っ頓狂な設定に素敵な決めゼリフ、どれをとってもモリミー印だから、待ちに待った甲斐はあるけれど、モリミーが変化する兆しも強く表れていると感じられた。新聞連載時の挿絵を集めて、作者と絵師がコメントしたフジモトマサル『聖なる怠け者の冒険【挿絵集】』もセットで買いました、当然。

 宮内悠介『ヨハネスブルグの天使たち』は少女型ロボットゲーム機DX9が各編を繋ぐアイテムとして出てくる連作短編集。表題作が一番印象的で、「夕立」となって落ちていく大量のDX9が出てくるだけで、もうOK。他の収録作ではシビアな世界の運命もよく書けているけれど、それは宮内悠介でなくてはいけないというほどのものとは思えない。バラードというにはまだ血の気が多すぎよう。

 今年は日本SF大会が広島大会「こいこん」といことで、ゼラズニイ企画なんかできないかなあと夢想したりしたけれど、すぐ挫折。でも2009年に HARD CASE CRIME というミステリのペイパーバック叢書から出た"The Dead Man's Brother"を読んでみた。ペイパーバックを読むなんて久しぶりのような気がする。
 ゼラズニイは95年に亡くなったから、これが出た時は眉唾かと思った。表紙の絵もあまりにありがちなシーンで全然読む気になれないものだったし。で、しばらく買わずにいたんだが、ゼラズニイ企画をもくろんだこともあり、買ってみた。息子のトレントが後書きを書いているので、ゼラズニイの真筆なのは間違いないとはいえ、あまり期待しないで読み始めたのだが・・・。
 早朝、階下の美術画廊に降りてみると、アンティークのナイフで刺された死体が転がっていた。よく見れば死体は昔イタリアで絵画泥棒をしていた頃の仲間ではないか。何なんだ、これは、と思いつつおもむろにコーヒーを湧かし、飲み終えたあとで起きてきた使用人たちに暇を出して、警察を呼ぶ・・・。
 典型的なミステリの出だしだけれど、自宅に顔見知りの死体が転がっているというのに、落ち着いてコーヒーを飲んじゃう主人公。このあたりがゼラズニイのヒーローらしくてグッと来る。そして主人公は警察からCIAの手に引き渡され、殺人事件のもみ消しと引き替えに、イタリアで起きている怪しい動きの調査を依頼される。CIAが主人公を選んだ理由が、科学的調査により主人公の異常な運の良さが証明されたからっていうんだから、ティーラ・ブラウンかオマエは、ってなもの。それにしてもCIAに対するタテのつきかたといい、喋る調子といい典型的なゼラズニイのヒーローで、読みながらニヤけてきて、ああオレはゼラズニイが大好きなんだと改めて感じ入った次第。
 話自体はバチカン資金が横領されてブラジルの反政府勢力/原住民保護運動に流されたのを主人公が探る話。タイトルの「死者の兄(弟)」というのは、横領したバチカンの男とブラジルにいる男が兄弟で、バチカン脱出を図った方がリスボンで死体となったことで、基本的にはブラジルの男を指す。ま、それ自体ミスリードの一種になっているんだが。ミステリとしては訳す価値はあんまりないと思うけど、ミステリ・マガジン辺りでは紹介されたのだろうか。
 ところで、南米のジャングルでディカプリオ似の主人公がマチョエテ刀を持ちながら、黒髪のヘソ出しネエちゃんを抱いて、木陰に隠れながら迷彩服の2人の追手を窺っている表紙絵のシーンは、全部で250ページの本の230ページあたりで出てくるが、実は、刀を手にしているものの女は抱いていない。彼女はこのシーンになる前に主人公と引き離されているのだった。というわけで、こりゃ商売用の看板に偽りありという奴ですね。NESFAが出したゼラズニイ短編全集の別冊"The Ide of October"によると、この表紙絵は1971年頃と推定される校正用原稿に付けられていたものだという。他人の空似にしてもディカプリオだよねえ。また、ゼラズニイが付けた仮題は "Apostate's Gold"『背教者の黄金』で、これはゼラズニイらしい高踏的かつ月並みなタイトル。こんなタイトルでは、ミステリとして売れそうにないことはよく分かる。
 内容やタイトルはどうあれ、ゼラズニイ中毒だった人にはお勧めです。

 日本SF作家クラブ編『日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー 日本SF短編50 V 1983-1992』に収録された作家は、山田正紀を除けば、あまり熱心に読んでいない作家が多い。というのも戦記物に興味がないので、田中芳樹や川又千秋それに谷甲州などのミリタリー・シリーズは全く読んでないし、森岡浩之に至っては今回初めてまともに読んだ気がする。
 山田正紀の〈神獣聖戦〉シリーズの初期短編は、言語を歪ませて言葉自体をSF化しようとする現在の山田SFの原点みたいな作品。話が甘い分今より読みやすいかも。田中芳樹と川又千秋はどちらもカッコいい。栗本薫はオースン・スコット・カードの初期短編を思わせる。中井紀夫と椎名誠は奇想作家系の作品でどちらも面白いが、型のすばらしさでは中井紀夫が勝つ。幻想の質では椎名誠が日本人的によりリアルだけれど。野阿梓はこの作家の典型的お耽美漫画系列の作品で好きだけど、嫌い。草上仁もこの作家の作品としてイメージ通りの1作。谷甲州は英米SFで時々見かけるハイエンド種族(実は戦争中)による進化途中人類育成物語(要はレンズマンですね)。日本のSFとしては珍しいか。今回読んでびっくりしたのが、森岡浩之「夢の木が接げたなら」で、言語学系ハードSFとして逸品だった。筒井康隆やかんべむさしから最近では上田早夕里まで、言語学系SFアンソロジーができそうだ(って、もうあったんだっけ)。

 一気読みを予定して待っていたコニー・ウィリス『オール・クリア』1・2は、予想通りとはいえ、終わらないおしゃべりと、嬉々として描写される空襲下のロンドンの様子が、これでもかといわんばかりに大量に詰め込まれたシロモノ。面白く読めるけれど、SFはどこに行ったんだという不満は常に感じてしまう。時間SFの謎解きは2の方で一応されているとはいえ、これじゃオックスフォード大学史学科は壊滅。ダンワージー先生は立ち直れないのではと、心配になる。

 今回積ん読から取り出したつもりが、手にしたのは今年でたアルヴィ宮本なほ子編『対訳 シェリー詩集 イギリス詩人選(9)』だった。ま、手に取ったのも何かの縁ということで読んでみた。対訳付きとはいえ、原文は非常に難しい英語で書かれていて、庶民向けの詩の型であるバラードが辛うじて読めるくらい。あとはチンプンカンプンだ。
 シェリーといえばSFファンには、メアリ・シェリーの夫で、「オジマンディアス(これは短い)」とか長編詩「プロメテウス解縛(「解放されたプロメテウス」の方が通りがいい)」の人。あとは「冬来たりなば春遠からじ」が末尾の1行として有名な「西風へのオード」くらいか。それから脚注によると「weird」「ワイアード」という言葉を、ホラー/ファンタジー系の意味で使った最初の人でもあるらしい。30歳を前に船の沈没事故で亡くなったこの詩人の作品群を読むと、詩人の持つインテリ的な繊細さと義憤的な荒々しさが感じられる。詩自体のイメージはアルカイックかもしれない。次はキーツでも読んでみるか。


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