内 輪   第266回

大野万紀


 アマゾンのキンドルストアがついに日本でもオープンしたので、ぼくもついにKindle Paperwhite(3G)を注文してしまいました。といっても入手できるのは12月になってしまいますが。
 翻訳家や洋書読みの友人は、たいていずっと前に米国版のKindleを手に入れて活用していたので、ずいぶん出遅れ感がありますが、これでようやくぼくも電書読みの仲間入りができるというわけです(まあPCではこれまでも読んでいたのですが)。これからいろいろとtipsを教えてもらわないとね。
 本を読むのが目的なので、Paperwhiteで十分だと思うけれど、まだタブレットどころかスマフォも持っていないので、そのうち小さめなタブレットも欲しくなるんだろうな。やっぱりNexusなのかな。とはいえ、翻訳したり原稿を書いたりとなると、PCじゃないとダメだと思うので、KindleとPCの同期についても知っておきたい。購入した1冊を3台までの機器に紐付けできるとは聞いたのだけれど、日本版ではPC用のリーダーがまだないのね。やれやれ。まあ、ぼちぼち勉強していきましょう。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『アレクシア女史、埃及で木乃伊と踊る』 ゲイル・キャリガー ハヤカワ文庫
 〈英国パラソル奇譚〉の5巻目で、最終巻。正直、そろそろこのシリーズも飽きてきたけど、完結編だから買っておこうか、なんて思って買ったのだが、ごめんなさい! とても面白かったです。言葉もちゃんとしゃべれないやんちゃな2歳の幼女を連れての、子連れ冒険譚。想像を絶するドタバタで、もう大変です。
 子育てでドタバタしているアレクシアのもとに、埃及(エジプト)から世界最高齢の吸血鬼マタカラ女王の招待が届き、アレクシアは娘と夫と、それになぜか親友アイヴィとその夫の率いる劇団の一行も一緒に引き連れて、彼の地へと旅立つ。一方ロンドンでは、マコン卿の留守を守るライオール教授と人狼になったばかりのビフィがホンワカした関係になり、そこに人狼団に関わる重大な殺人事件が勃発、物語はエジプトとロンドンの二つに分かれて進行する。エジプトでは、アレクシアの父親もからんだ〈神殺し病〉にまつわる陰謀が発覚し、やがてアレクシアと娘に大変な危機が迫る……。
 確かに本書でこれまでの謎に一応の答えが与えられ、大団円となってお話が完結するのだが、えーと、まああんまりそっちの方は重要じゃないように思う。それよりも行き当たりばったりなアレクシアと、彼女に翻弄される狼男のマコン卿、オオカミこどもや吸血鬼こどもになってはしゃぎ回る幼女(異界族に触れるとその属性を一時的に吸収してしまう力を持っているのだ)、このドタバタに拍車をかけてさらなる混乱を招くアイヴィと劇団員たち――といったキャラクターたちの大騒ぎこそが読みどころなのに違いない。ま、ちょっと疲れるのも事実だけれど。色々とサービスシーンもあっていいのだが、何でこうなるのか、謎が解決したにもかかわらず、やっぱりよくわからない人たち(や人ならぬ者たち)なのだった。

『スチームオペラ』 芦辺拓 東京創元社
 「蒸気とエーテルに支配された空想科学世界の完全犯罪」と帯にある。古き良きジュブナイルの文体で、昔の手塚治虫の長編SFマンガのビジュアル(丸っこい絵柄のやつね)を目の当たりにするような、そんな素敵な心地の良い読書体験だった。
 蒸気とエーテルの文明が発達したもうひとつの19世紀。エジソンやテスラやベルヌやウエルズの夢がそのまま実現したような明るい力に満ちたユートピア。女学生のエマ・ハートリーは、父が艦長を務める空中船〈極光号〉の久々の帰還に、港へと急ぐ。その艦内で不思議な少年、ユージンと出会ったエマは、あこがれの名探偵ムーリエさんの見習いとなり、ユージンと共に、不可解な殺人事件や様々な謎に挑戦していくことになる……。
 いやあ面白い。懐かしさもあるが、この世界のわくわく感が素晴らしい。本格ミステリとしても良くできているのだろうと思うが、ごめんなさい、そっち方面は疎いもので、もっぱらクラシックな(まさに「金背」の)SFとして楽しんだ。
 確かに今、〈スチームパンク〉が流行っているのだが、ぼくの印象では本書はちょっと違う。〈スチームパンク〉より、まさに〈スチームオペラ〉というのが相応しい。蒸気で動くレトロな機械が満ちあふれているにもかかわらず、このレトロフューチャーな世界は、懐かしい過去ではなく、懐かしい未来なのだ。とにかく、冒頭、第一章からの世界描写のわくわく感ときたら本当に素晴らしい。それは半端じゃなく、まさにセンス・オブ・ワンダーでいっぱいなのだ。ハードSF的な、現代科学から導かれる未来も素晴らしいものではあるが、その多くは、今の日常の延長線上にある。サイバースペースにしろ軌道エレベータにしろ、すでに驚くべきワンダーな存在ではなくなっている。そしてシンギュラリティを超えてしまえば、もはや何でもありの魔法世界となってしまうだろう。本書はそれをいったんリセットし、夢や希望に、少年少女の目から見た科学の驚きにあふれる未来を再構築した。もちろんそれは〈科学〉とはいえない。本書の科学は白魔法に等しく、むしろ後半では、白科学と黒科学の相剋のようなテーマも現れてくる。でもそれより何より、この蒸気文明のガジェットたち! 幻灯新聞、蒸気辻馬車、羽ばたき飛行機に空中汽車、そしてエーテルエンジンで宇宙空間も飛ぶことのできる、巨大で豪華な空中船。そんな世界に住むエマたちがうらやましいなあ。

『宇宙(そら)へ』 福田和代 講談社
 2031年のオーストラリア沖に建設された宇宙エレベータ。その保守要員として採用された男の、地球から3万6千キロ離れた静止ステーションでの「お仕事」を描く、宇宙のメンテナンスマンの物語である。
 連作短篇の形式で書かれているが、ストーリーはつながっており、軌道上での日常作業や休暇の一こまから始まって、エレベータを破壊しようとするテロリストとの戦いというクライマックスへと続いている。だがテロリストとの戦いといっても、派手な戦闘ではなく、そこはメンテナンスマンの物語なので、いかに宇宙エレベータを破壊から守るかという、アイデアと技術と、地味な作業の連続なのである。シフト勤務や残業、生産性向上活動、キャリアパスの面談といった、まるで現在のIT業界でのお仕事を見るような(作者の実際の経験が反映しているのかも知れない)、とても日常的な話が中心となっている。テロリストの破壊活動に対峙するといっても、警察官や兵士のそれではなく、危機的状況にあっても、どこか日常性が抜けない、緊張感に乏しい(いやそれなりに緊張感はあるのだが、それは大きな運用トラブルに遭遇した保守要員の緊張感である)のだ。
 というわけで、未来の話ではあるのだが、とても身近な感じがする物語だ。SF的というよりも、普通の企業サスペンス小説のように読める。あんまり未来的な感じがしないのだが、それはまあこの小説の方向性からいって、当たり前のことだろう。
 ところでぼくはクラークのファンなので、真空中に生身で放り出されても数十秒であれば無事で、その後は陸に上がった深海魚のような悲惨な状態になるとしても、瞬間的に体が爆発するようなことはないと思っている。この件はそれで決着がついていたのではなかっただろうか。ちょっと疑問に思った。

『伏 贋作・里見八犬伝』 桜庭一樹 文春文庫
 週刊文春に連載され、去年単行本で出た長編の文庫化。劇場用アニメにもなるのだな。
 伏とは、人であって人でない、犬の血が流れる異形の者たち。江戸の町で普通に暮らしながら、平気で人々を惨殺する。ついに幕府によって懸賞金をかけられ、血なまぐさい狩りが始まる。山で猟師をしていた十四歳の女の子、浜路は、兄に誘われて、愛用の猟銃を背負いながら、江戸へとやってくる。伏を狩って懸賞を稼ごうというのだ。さっそく二人の回りに現れる伏たち。激しいアクションで見事に仕留めつつ、狩人と獲物の不思議な絆を感じる浜路。二人につきまとう瓦版屋、冥土の父は、かの滝沢馬琴で、まさに「里見八犬伝」を執筆中。冥土は冥土で「贋作・里見八犬伝」を書きためていた。それこそが、伏たちの本当の因果を描くものだった。
 馬琴の時代には存在しないはずの江戸城天守閣があるなど、この世界がリアルな現実とは異なるファンタジー世界であることは自明であり、八犬伝から流れてきたもうひとつの(いや、いくつもの世界が重ね合わされているようにも見える)伝奇ロマンな世界なのだろう。テンポのいい、芝居気たっぷりの文章も、物語の中にいくつも物語が繰り込まれている構成も、そんな非リアルさを強調している。
 読みやすい。そして面白く、芝居の中にしっかり入り込んで堪能できる。何といっても、話中話の「贋作・八犬伝」が素晴らしい。この怪異で不気味で哀しく幻想的な物語がたまらなくいい。もちろん、素直ですばしっこい、韜晦などまるでない軽やかな十四歳の女の子猟師、浜路の魅力も爆発だ。伏たちも、「ブレードランナー」のレプリカントみたいに、強くて哀しく、残酷でかっこいい。これでお話は終わりじゃないよねえ。上方編も読みたいなあ。

『アンドロイドの夢の羊』 ジョン・スコルジー ハヤカワ文庫
 ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を元ネタとしたタイトルだが、もちろんパロディではない。羊は重要な役割を果たすが、そもそもアンドロイドは出てこない(電脳空間は出てくるが)。それでも怪しげな宗教や予言書がストーリーの背後にあるのはディック的といえる。もっともスコルジーの場合、そこに「心はこもっていない」のだけれど。
 話は波瀾万丈なスペース・オペラだ。銀河連邦に加入しているが、まだまだ弱小の田舎惑星である地球。”困った隣人”であるニドゥ族は、銀河連邦の中では取るに足らない存在だが、地球にとっては軍事的な脅威で、その覇権の下、従属的な立場にある。そのニドゥ族との貿易交渉の席で、戦争につながりかねない事件が勃発。何とおならを武器にした暗殺事件だ。この問題の解決のため、彼らは遺伝子工学によって作られた特別な羊「アンドロイドの夢」を、生け贄の儀式のために要求してくる。凄腕ハッカーの元兵士(ほとんどスーパーマン)であるクリークは、国務省からその羊を探すよう依頼される。期限はたったの1週間。しかも反ニドゥ族の暗殺者たちがそれを阻止しようと妨害してくる。ニドゥ族はニドゥ族で陰謀を巡らせ、そこに「羊」を信奉する宗教団体がからむ。クリークがやっと見つけた羊とは、体内に「アンドロイドの夢」のDNAを持つ(ただし発現していない)ごく普通の人間の娘だった。二人は宇宙へと脱出、さらに電脳空間では……。
 とまあ派手なアクションと、スコルジーの得意な現代スペース・オペラと、サイバーパンク後の電脳ものと、ちょっと下品なユーモアと、ややこしい陰謀劇と、共に戦った兵士たちの友情と、まあ何だかんだとぶちこまれて、とても面白く読める冒険活劇SFとなっている。
 もっとも、確かに面白く読んだのだけれど、登場人物がやたらと多く、しかも敵味方でかなりキャラクターがかぶっているので、ちょっと混乱したのも確かだ。
 それにしてもディックといい、小川一水といい、コードウェイナー・スミスといい、<羊SF>には実に傑作が多いね。


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