続・サンタロガ・バリア  (第115回)
津田文夫


 今年もひと月が過ぎた。毎年いまごろ歳を拾うけどますます感慨が湧かなくなってきているなあ。
 正月と云うことでニューイヤーコンサートなるものを聴きにいった。シュトラウス系のワルツというのが定番だが、今年はオール・チャイコフスキー・プロ。といっても組曲の「くるみ割り人形」とピアノ協奏曲1番がメインの軽めなヤツだ。久しぶりに聴いた「くるみ割り人形」はチャイコフスキーのポップぶりがよく分かる演奏だった。ピアノの方は三浦友理枝。グラビア系みたいな露出が多いヒトだけれど、演奏は生真面目。いかにも現代的な響きのするピアノには違いないが、鋼のようなこともない代わりにフワっと浮くこともない。まだ何か足りない感じかなあ。オケは広島交響楽団で指揮が金聖響。
 CDはようやくEL&Pの「Mar Y Sol」が来たので早速聴いてみた。やはりこの頃の演奏が一番しっくり来るなあ。ブートばかり聴いているとこの音でも十分楽しめるし。ライナーノートではプエルトリコがとにかく暑くてねえ、汗で指が滑りそうだったよみたいなコメントがいかにもな感じ。初来日EL&Pを甲子園で見たのは72年の7月だったけど、暑かったかどうかは覚えてないなあ。「タルカス」のエマーソンのソロで延々とグリーグの「山の魔王の宮殿にて」のフレーズが繰り返されるのを聴くとあの甲子園を思い出す。聴衆が暴動を起こし、「ロンド」の演奏中に主催者側が電源を落としてコンサートが終わったアレです。
 当時出たこのロック・フェスの2枚組LPは欲しかったけれど、「石をとれ〜ラッキーマン」1曲だけのために小遣いは使えずとうとう買わなかった。

 正月休みに今度こそ読んでみようとピンチョンの『逆光』に手を出したのはいいけれどちっとも前に進まないので、その間に読んだものから。

 小澤征爾×村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』は、どういうつながりかと思ったら小澤征爾の娘と村上春樹の奥さんが友達でとか云う話だった。小澤征爾の療養中から復帰にかけての時期に何回かに分けて村上春樹が小澤にインタビューする形で進む。村上のジャンルを問わない洋楽好きと風変わりな生真面目さは小澤からいろいろな言葉を引き出していて面白い。

 しかしそれ以上に面白かったのが、昨年9月に文庫化された菊池成孔+大谷能生『M/D マイルス・デューイ・ディヴィス三世研究』上・下。内容は基本的に最初の録音から最後の録音までを追いかけたマイルス・デイヴィス伝。もうこれを読んでいる間は変な幸福感に襲われて参った。以前にも文庫で出たマイルスの自伝を読んで興奮した覚えはあるけれど、それ以上かも。一応1940年代後半のチャーリー・パーカーのサイドメン時代から81年の復帰時の「ザ・マン・ウイズ・ザ・ホーン」まで各時期のものを数枚ずつ聴いてきたけれど、マイルス大好きと云うほどのファンではない。高校生から浪人時代にはご多分に漏れず「カインド・オブ・ブルー」を聴いていた。でもリアルタイムで聴いたのは本書で「ジミヘン=マイルス期」とされる1975年の(本書によるとマイルスの生前は日本のみで発売されていたという)「アガルタ」だった。いまでもこの時期のマイルスのフレーズが頭の中で鳴ることがある。
 この本の面白さの大半は菊池成孔のハイテンションな語りにあることは間違いない(元々は東大生相手の半年分の講義録の書籍化)。マイルスが発展させたモード奏法をファッションのモードと掛けてマイルスに於ける両者の重要性をだれも認識していないと嘆いてみせたり、最初っからマイルスの三元素をエレガンス/アンビヴァレンツ/ミスティフィカシオンと規定し、それを論の基本に据えて、マイルスの一生の行動を分析してみせたり、やりたい放題の野蛮さだけれど、その怪しさが愉しい。しかし困ったのは、こんなに面白くマイルスの音楽全体の分析を読ませて貰ったのに、いざマイルスのCDを聴いてみると昔よりもなんとなくツマらない感じがし始めたことだ。菊池成孔にはかなり強烈な色眼鏡を掛けさせられたみたい。ちなみに菊池成孔は菊池秀行の弟らしい。

 SFの方は、鳴り物がほとんどなく地味な出だしの新☆ハヤカワ・SF・シリーズのスコット・ウエスターフェルド『リヴァイアサン』がいかにもなジュヴナイルSFで、少年に化けて空軍に入ったという少女の話というだけで基本的にハラハラドキドキは保証されているという王道ぶり。シェイパー/メカニスト設定で改変歴史の第1次世界大戦を舞台にスムーズな物語を紡いでいる。まあ『移動都市』ほどの新鮮さはないけれど、いいんじゃないでしょうか。

 上田早夕里『リリエンタールの末裔』は本格SF短編集。といっても4編しか入ってないけど。表題作を元に表紙のイラストが描かれていて、よく見るとなかなかステキなイメージである。その表題作は『華竜の宮』のスピンアウトといことだが、そんなことは知らなくても十分読める。物語の骨格はオーソドックスでストーリーも一直線だから目新しさはないけれど、読後感は悪くない。「マグネフィオ」は人工神経細胞開発に磁性流体を絡めたひとつのエピソードといった感じで、希望があるような結末も含め暗い感触。これもストレートな物語。「ナイト・ブルーの記憶」は再読。こちらは海洋SFと脳科学をミックスしたもの。読んでもすぐにディテイルを忘れるので再読でも面白い。巻末は書き下ろしの「幻のクロノメーター」。時計航法のための狂わない時計の開発と時計に魅せられた少女の成長物語。長さ的にやや中途半端。物語本来の可能性を考えると、短い長編くらいの長さが必要だろう。

 大森望が五つ星を付けてたチャイナ・ミエヴィル『都市と都市』は、読み始めてしばらくは設定が良く飲み込めずビックリするが、短編ならこれに似たアイデアの話は以前からたように思う。表向きのミステリがこの変な設定のおかげでそれなりのサスペンスを醸しているが、殺人事件の謎解きだけならこの設定でなくても似たような雰囲気の話は書けるのではないだろうか。しかしさすがはミエヴィルで、作者の興味は設定がもたらす効果に注がれている。そこがSFファンに強くアピールするところだろう。良くやるよと感心する。
 これまでの作品を読んで感じるのは、ミエヴィルは視覚的描写に長けているようで、読者に未知なものについて具体的なイメージを提出するのが意外と下手だということ。短編集でも見せたクトゥルー神話への強い志向はこの作品でも感じられるけれど、それが描写し得ないものを雰囲気で表して読む者を魅了するホラーという意味で、ミエヴィルの未知なるものの描写も読み手に不全感をもたらすのかもしれない。とはいえ、この作品の面白さは抜群だ(第3部は保留するけれど)。


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