ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜051

フヂモト・ナオキ


ロシア編(その七) レオニード・レオーノフ/米川正夫訳『スクタレーフスキイ教授』

 レオニード・レオーノフ Леонид Леонов/Leonid Leonov(1899〜1994)の『スクタレーフスキイ教授』Скутаревский 河出書房(『新世界文学全集第六巻』)、1941年はSFらしいという噂があるが、本当なのかっ。なんか遠距離送電するって話とか風の便りに聞く訳だが(どんな風だよっ)、テスラな世界システムとかいう雰囲気はまったく漂ってない。どちらかといえば黒部の太陽っぽいもの? と書きはじめた時点ではどんな話かまったくわかっていない。
 ハズれたらハズレだったと書けばいいんやないのか、という安易な考えに基づいて、読み始める。

 ハズレでした。←はやっ。

 うーむ。いくらSF日照りに喘いでいたとはいえ(←推測)、これをSFだ、SFだと騒いでいたヤツがかつていたの? ひょっとして『SFレーザーブラスト』な感じで、肝心なところが日本版ではぶった切られてるのかっ。(←今の人にはなんの例えか分からないと思いますが、ググるか、そこいらのおっさんを捕まえて問い詰めて下さい)

 米川正夫先生が難しくて途中で投げて埋めてあった原稿を今回がむばつて仕上げました、と前書に書いているんですが、ひょっとして電磁気学的なディティールがよくわからんと削ったのかっ、と思ったりもしたんだが、ネットにあるCharles Theodore Wormeli, Jr.さんのブリテッシュ・コロンビア大学の修士論文「Soviet Science Fiction」(1971)をみると「俺の定義を厳密にあてはめると、レオーノフの『スクタレーフスキイ教授』って技術的な未来を取り扱ってるんで入ってきちゃうんだけど、グラーニンやドゥヂーンツェフに比べるとSF要素が全然展開されてないし核心も占めてないんでビブリオには入れないよ〜ん」と書いてあるな。
 って、戦後作品だから担当じゃないけどグラーニンとドゥヂーンツェフはSFなのかよっ。というか『雷雲への挑戦』と『パンのみによるにあらず』も発明家が官僚制の中で苦闘する云々で、レオーノフと五十歩百歩な気がひしひし。ひょっとして『スクタレーフスキイ教授』を先に読んでおくと、この二作が立派なSFに思えるというライフハック?
 とりあえず、レオーノフよりはSFという評価を信じて、誰かあたって砕けて下さい。
 ちなみに、その後、Vladimir Dudintsev先生は改心して(←改心ゆーな)、アメリカのSFアンソロジーに収録されるほどSFなA New Year's Fairy Tale(A New Year's Tale)を発表。見事、『SFエンサイクロペディア』に項目と立ててもらうまでに出世。
 Daniil Granin先生だって<ソヴェート文学>のSF特集号にエッセイ「未来への旅」が載っていて、なかなか見どころがあるよ、ちみぃ〜、っといわれとるわけですが。

 スクタレーフスキイは宮本百合子が獄中への手紙で、「よみはじめ、いろいろ面白くてずっとよみつづけているのですが」(1941.4.3(7日発送))と書いてるんやが、結局、ヘミングウェイと比べて「「スクタレフスキー教授」が何故にこの作家のような、くっきりとした線の太さ明瞭さで書かれなかったかと。」(1941.9.10)「「スクタレーフスキイ」という小説はどうも本物でありませんね。」(1942.8.19)などという低評価。宮本顕治が手紙で棚に『スクタレーフスキイ』があったら送れといっても一回目(1942.5.4)は、スルーした模様。
 翌月(6.12)にも同じことをいった手紙が来たんで、あきらめて送ったのかねえ。宮本顕治は結局「『スクタレーフスキイ』を世界一流の傑作のように訳者が吹聴して居たが、矢張り翻訳家で文学者ではないなと思った。」(9.16)と米川先生をdisってます。

 もっとも、高橋和巳は影響受けたっていっているんだよねえ。「長篇の愉しみ―レオーノフ」で再読した話を書いていて「私がレオーノフから受けた恩恵が意外に大きいことも明らかになった。スクタレフスキーと『悲の器』の主人公正木典膳のどちらが、より魅力にとむかは、読者の判断にまたねばならないが、発送の根深いところで、この先輩から貴重な示唆をうけていることは感謝せねばならない。」としている。
 荒正人は疎開先に大井広介から預かった探偵小説を抱えこんでいて、やってきた埴谷雄高と、空襲の合間にそれを読んでいた、ってな話が『影絵の世界』に出てくるんだが、埴谷は荒とロシア文学の話はほとんどしなくて、せいぜい『スクタレフスキイ教授』と『トラストD・E』ぐらいだったとかいってるし、花田清輝も「無邪気な絶望者たちへ」でケストラーの『真昼の暗黒』よりも「はるかにひろい視野の上に立ってかかれたレオーノフの「スクタレーフスキイ」という小説」と書いていたりするんで、戦中にはかなり影響力のあった本らしいねえ。
 とはいうものの、「高周波電送スイッチ・オン。あれっ。なにもおこらないねぇ。わ、鴉がいっぱい死んでる」って話だったと思うので(←思うなっ)、高い金を出してまで買うような本ではないはず。

 なおその後、レオーノフさんも改心して「マキンリー氏の逃亡」(『現代ソヴェト文学18人集 2』所載、工藤幸雄訳)という立派なSFを書いて、映画にもなりました。めでたし、めでたし。


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