内 輪   第250回

大野万紀


 バチガルピ『ねじまき少女』の帯に「少女型アンドロイド・エミコ」とあったことから、Twitterの一部で話題に。森下一仁さんがエミコをアンドロイドと呼ぶことに違和感があると書き込まれたのをきっかけに、同意の声が上がりました。
 そもそもエミコについて、本の中ではアンドロイドとは一度も書かれておらず、〈新人類〉(New People)という表現であるという指摘もありました。SF辞典的には、アンドロイドというのは人間によく似たロボットのことなのですから、遺伝子操作で作られたエミコには似合わない。
 とはいえ、ロボットがSF用語とはいえなくなった現在、ロボット、アンドロイド、サイボーグといったSF用語は見直してもいい時期に来ているのかも知れません。ディックがアンドロイドという時、それは人間型ロボットというよりも、人間にそっくりだが人間とは別の存在という意味が強く、その意味であればエミコをアンドロイドと呼んでもいいように思います。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『グリムスペース』 アン・アギアレイ ハヤカワ文庫
 アメリカの新人作家によるSFベースのロマンス小説。
 しかしロマンス小説のヒロインって、みんな、はねっかえりで自意識過剰で有能で暴力的で根暗でむっつりすけべなんだろうか。ぼくにはどうにも好きになれないなあ。とはいえ、本書はベースとなるSF部分がスペースオペラとして良くできているので、先月読んだ話よりはずっと面白く読めた。
 ヒロインのシランサは、J遺伝子を持ち、超空間グリムスペースを利用して超光速航行することのできる〈ジャンパー〉だ。冒頭、大事故を起こしたとしてシランサはこの世界を支配する巨大企業の医療施設に監禁されている。それを謎の男、マーチ(もちろん二人は恋をすることになる)が救出し、様々な冒険の末に、銀河を揺るがす陰謀へ立ち向かうことになる……。
 正直、ストーリーにはかなり無理がある。でも波瀾万丈で飽きさせないし、ロマンス小説ということを離れても、冒険SFとして楽しめる。最後の展開にはちょっと唖然とするのだが、まあ悪くはない。

『ねじまき少女』 パオロ・バチガルピ ハヤカワ文庫
 海外SFファンに評判の高いバチガルピの、ヒューゴー賞・ネビュラ賞ダブルクラウンの長編。
 しかしネットでの評価は二分されているので、ちょっと不安に思いながら読み始めたが、いや、面白かった。前半ちょっと冗長なところはあるが、読みやすく、物語も面白い。何より登場人物が(始めはそうでもないのだが)どんどん魅力的になってくる。
 未来のバンコクが舞台。海面上昇、遺伝子操作の暴走、石油の枯渇、農作物の伝染病、死に至る疫病、外国企業による支配、人々を巻き込む権力闘争、死と貧困と暴力が支配する重苦しい世界だ。それでも人々は生きて日々の生活を営んでいる。
 別に目新しい未来像ではない。特別科学的に厳密なわけでもハードSF的に面白いアイデアがあるわけでもない。どちらかというと(チャイナ・ミエヴィルなどもそうだが)サイエンス・ファンタジー的な世界(遺伝子操作された巨大な象やゼンマイが動力となったり、足踏みコンピュータがあったり)なのだが、ここには圧倒的な臨場感がある(リアリティというのともちょっと違う。説得力のあるファンタジー)。
 暑い南国の空気、臭い、人の汗、エキゾチシズム、そんな強烈な雰囲気がある。工場のどろどろした暑苦しい描写には、ちょっと北野勇作を感じた。
 ストーリーはウィリアム・ギブスン風だったり(でもイーガンやチャンとは違うよねえ)、貴志祐介の『新世界より』を思わせたり、血で血を洗う権力闘争は日本の幕末の尊皇攘夷を巡る争乱や、ついこの間の実際にタイで起こった事件をも思い起こさせる。しかし、本書の魅力の中心にあるのは、複数の視点から描かれる登場人物たちの生き方そのものだろう。ぼくがとりわけ惹きつけられたのは、中国人の難民出身で、まさに波瀾万丈な運命を生きる老人ホク・センと、使用人であるタイ人の少女マイのペアだ。もちろん複雑な過去を持つ白シャツ隊の副官カニヤも好きだし、外国企業の尖兵である工場主のアンダースンも嫌なやつではあるが、個性的で確かに魅力がある。そして〈ねじまき〉のエミコ。
 ねじまき少女というのはべつにゼンマイで動くわけではなくて、遺伝子操作で人類に奉仕するために作られた新人類だ。ちょっとク・メルっぽいところのある彼女は後半とんでもない活躍をする。この辺は真面目に読むとちょっと辛かったりするが、エンターテインメントとしては全然オーケーだ。こういう(わざと?)間違った日本趣味というのは好きです。
 こんな話はタイ人が読むと腹を立てるのかも知れないなあ。これがもし日本が舞台だったとしたら、面白いけれどもちょっとイラっとくるかも。
 それにしても、この世界の神ともいえる老ガイジン、ギ・ブ・センって、これはギャグだよねえ。そうくるか。そして彼とエミコが出会う最終章は、恐るべき未来を暗示して、SFでしか味わえないビジョンと余韻を残す。いやあ堪能しました。

『クロノリス −時の碑−』 ロバート・チャールズ・ウィルスン 創元SF文庫
 『時間封鎖』のウィルスンの、キャンベル記念賞受賞作。『時間封鎖』より前、2001年の作品である。
 2021年のタイで、突然巨大な石碑が出現するところから物語は始まる。その石碑〈クロノリス〉は、20年先の未来から、世界征服者クインによって送られたものだった。その後も、アジアを中心にクロノリスは次々に出現し、その出現時のエネルギーによって都市を破壊していく。現時点ではクインが何者か、〈クロノリス〉は何なのか、そのタイムトラベルの原理もわからない。
 主人公は、タイで〈クロノリス〉の出現に出くわしたアメリカ人のプログラマー、スコット。彼は妻子に愛想尽かしされるダメ人間だが、後にタウ・タービュランスと名付けられる因果の網の目によって、大学時代の恩師である女性物理学者スーと共に、事件に深く関わっていく。そして彼の人生そのものも……。
 面白い。未来から戦勝記念碑として送られる〈クロノリス〉によって、現代が変わっていき、現時点では存在しない独裁者が民衆の間で力をもってくる。逆転した因果が、民衆の未来への希望や絶望が、その未来を規定していく。世界は混乱し、暗い日常がある。おまけに主人公はヒーロータイプではなく、プログラムの才能こそあるがダメ人間。ウィルスンらしく、主人公を取り巻く人間関係や家族の絆がストーリーの中心でじっくりと描かれる。
 普通ならうんざりしそうな話だが、ウィルスンはうまい。読ませる力がある。とはいえ、SF的なアイデアについてはこの長さでまとめるには無理があったようで、どうにも煙に巻かれた感じが残る。偶然と必然の境をなくしてしまうこのメイン・アイデアは、何でもありになってしまいかねず、そこをあいまいにすることで、逆に小説としての魅力を増しているともいえるだろう。まあ、このくらいの長さで収めたのが良かったのだろう。

『アレクシア女史、倫敦で吸血鬼と戦う』 ゲイル・キャリガー ハヤカワ文庫
 〈英国パラソル奇譚〉の第一弾。
 ビクトリア時代のイギリスに、吸血鬼や人狼が普通に暮らしているもう一つの世界。アレクシア・タラボッティ嬢は”婚期を逃した”オールドミス(といってもまだ20代半ば)だが、上流のお嬢様であるにもかかわらず好奇心旺盛で、舞踏会に行くよりも、おしゃれな老吸血鬼や、異界管理局の捜査官である人狼の伯爵とロンドンの街を行き来するのが好き。そんな彼女が吸血鬼の殺人事件に巻き込まれる。そして、恐ろしい陰謀が……。
 といったお話で、ユーモラスなSF・ファンタジーとしても楽しめるが、読後感ははっきりとロマンス小説。勝ち気でじゃじゃ馬なヒロインと、初めは大嫌いで、むしろ敵対している野性的な彼氏との、パターン通りのロマンスだ。命に関わる大事な場面でいちゃいちゃするのは止めて欲しいんだけどね。
 ぼくはディズニーアニメの美女と野獣のイメージで読んでしまった。とはいえ、この前から続けて読んだSFベースのロマンス小説に比べて、ビクトリア時代が舞台のせいか、ずっと読みやすい。そのぶん、マニアには物足りないのかも知れないが。
 しかし、ヒロインは「魂のない」存在ということで特殊な能力をもつのだが、魂がないとはどういうことだろう、と悩んでしまうほど熱い魂の持ち主に見える。この世界での「魂」って何なんでしょうね。

『罪火大戦ジャン・ゴーレ 1』 田中啓文 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 何ともハチャメチャな、田中啓文らしいというか、エログロぐちゃぐちゃな宇宙SFだ。
 SFマガジン連載時の内容を大幅に改稿しているというが、あんまり変わっていないようにも思える。というか、ちょっとやそっとの改稿ではこのハチャメチャさはどうしようもなかったということだろう。
 作者のこの手の作風に慣れている人にはとても面白い。おお、無茶苦茶だ、もっとやれもっとやれ、みたいな。そうでない人にはきつかろう。
 ストーリーを追っても仕方がないな。エログロというか、主にグロで汚い描写にひたすら情熱を注いだ作品である。ちょっとエロっぽいシーンがあるとほっとするくらいだ。しかし主なテーマはキリスト教の神をおちょくること。それはもうすっかり涜神的で、きっと作者には何かバチが当たるに違いない。面白がって読む読者にもな。ナメクジが降ってくるからな。
 ところで後書きで本書のタイトルについてどう読んでもいいようなことが書いてあるが、これは「つみ・ひ・たい・せん・じゃ・ん・ご・ー・れ」以外の読み方はダメです。でないとアナグラムにならない。まあこっちは一人の人間に5人が同居しているのだけれどね。で、そのうち2、3人しか活躍しないのだけどね。
 それはともかく、本書は完結していない。果たして続編は出るのだろうか。あまり期待しないで待つとしよう。


THATTA 278号へ戻る

トップページへ戻る