ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜034

フヂモト・ナオキ


ドイツ編(その十一) ヘルマン・オーベルト「月世界を衝く」(Wege zur Raumschiffahrt(1929)より)

 棚から一掴み…で、資料を揃えられる環境の人はええなあ。床に積み上がった資料から一掴み。ああっ、この関連資料はどの山のどの辺に埋まっているものやら…。暑くて、探す気がおきません。ということであきらめて小ネタに走る。
 時々月旅行構想の記事が新聞や雑誌に出ているのを見かけても大抵は、ふーん、と思ったきり、メモもちゃんととらずに、スルーしてしまっていたんやが、小説の抄訳と銘打ってオーベルト Oberth Hermann(1894〜1989)が紹介されているのは、さすがに、ほほぉ、と記憶に刻まれとる。

 戦局も押し詰まった、1944年7月12日の「東京朝日新聞」に「月世界を衝く―流星弾の生みの親オーベルト教授の未来小説」として「戦時科学」記事が掲載されている。

 「ここに紹介するロケット未来小説(抄訳)の作者はドイツの新兵器流星弾(V一号)の発明者と伝へられるヘルマン・オーベルト教授(原著は昭和四年ベルリン発行の"宇宙線(ママ)旅行への道")である。読者は、この抄訳のうちに教授の奔放な天才的頭脳と科学的独創力を酌みとることが出来るであらう。この短篇が新兵器創作への何らかの示唆となれば幸ひである。」

 1932年に完成されたロケット、ルナ号は汽船タゴール号から飛行用の燃料である液体水素の注入を受け、インド湾の海上から、その表面に生じた氷層をバリバリと落として地球を離れる…。

 戦後、邦訳された『宇宙旅行の解析』(科学技術社・1966)を見ると、この物語はロケット飛行の実際を読者がイメージしやすいように、オーベルトが自作の小説から抜粋を載せたものということになっている。

 「差し当たってここでは私の創作にかかる小説から抜粋するが,その中で私は,ロケット旅行の参加者に,その月世界旅行について語らせた。」(263頁)

 オーベルトといえばオットー・ガイル Otto Willi Gail(1896〜1956)にアイデアを提供したとか、その一部を書いたとかいわれているけど、自身で書き上げた小説があったの?
 ちなみに月世界旅行譚は、この書物の中では完結した物語とはなっておらず、後半にはガイルの「月の石」Der Stein vom Mond(1926,英訳 The stone from the moon)が七頁分ほど引用されている。

 ま、ほとんどフィクション仕立ての科学解説記事なんやが、それを未来小説と言い切ってしまって掲載しているあたり、なかなか思いっきりがええなあ。


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