続・サンタロガ・バリア  (第78回)
津田文夫


 涼しくなったと思ったら、もう朝晩がちょっと肌寒い。温度計は20度あたりだけれど、2,3日前に較べわずか数度下がっただけでも体感温度はずいぶん低い感じがする。歳のせいで体がついていけないだけか。そういや奥さんに、あんた寝てるときに息してないよといわれて、病院から借りた簡易計測器で一晩計ったら30回あまり無呼吸状態があるらしい。医者の見立ては、40回以上止まってないと病気治療できないから保険が利かないけど、2泊3日で就寝時呼吸補助器具の使い方を指導するから4万円もっておいでといわれた。本人は自覚症状がない(当たり前だ)のでいまのところ思案中。いびきの激しい人は一度計ってみると良いかも。

 佐藤友哉『青酸クリームソーダ』(『ファウストVol.7』)は鏡家サーガ第1作の主人公、公彦君の学生時代の話。悲惨な話を鏡家サーガの一挿話として、こぢんまりと流してしまっているが、強力なはずの兄姉たちのキャラが悲惨な話に呑み込まれてしまっていて、バランスが悪い。最近の佐藤友也の作品としていかにもなつくりの短編「ウィワクシアの読書感想文」に較べれば、鏡家サーガは読みやすいし面白いけれど、初期の鏡家サーガの面白さはだいぶ薄れてきている。

 面白いけど長すぎるアレステア・レナルズ『量子真空』。ストーリーもプロットも単純なのに、何でこんなに長くなるんだろうと首をひねる。これまでの作品の主要登場人物が勢揃いしててんやわんやする原因となる先住宇宙族の残したインヒビターは、まるでセイバーヘーゲンのバーサーカーみたいだが、レナルズのバーサーカーはスケールがでかくてその行為の描写も迫力がある。ちょっと気になるのは、前作ほど宇宙空間と展開されるドラマに緊密さがないこと。この宇宙に慣れたせいかもしれないな。キャラクターではアナ・クーリとボリョーワのコンビがお気に入り。ボリョーワちゃんは次の巻ではもう出番がないのかな。

 その装幀が新潮社の本かと思わせる(新潮社ならインクの盛り上げはしないか)森見登美彦『美女と竹林』。文章がブログと似た調子なのでエッセイ集かと思っていたら、妄想半分の小説になっていた。それにしてもこんなに少ないネタで読ませてしまうモリミーの文章は向かうところ敵なしだなあ。まあ向かうところも少ないけど。

 ハヤカワJコレ高野史緒『赤い星』は情報詰め込みすぎで却って薄っぺらく見える不思議な作品。300ページ足らずにこれだけプロットをぶち込んでしまうと、読んでる方の情報処理が間に合わない。押さえ込まれているいろいろな仕掛けが読者の頭の中でほどける前に読み終わってしまう。もう300ページくらいのグロッサリーが必要でしょ。もったいない。

 以前あまりの評判にペイパーバックを買って読み始め5ページで投げ出したM・ジョン・ハリスン『ライト』はいかにもブリティッシュ・ニューウェーブの生き残りらしいダウンビートな作品・・・だと思ったら、なんて前向きなエンディング。昔この作家に対して抱いていた興奮とは縁遠い作風は、現代パートの主人公カーニーの物語をはじめ、各パートに反映しているように思えたけれど、各パートのそれぞれの結末に用意されているのは、「もう自分を許してあげる時がきた」という癒しのお言葉。うーむ、もはや異議申し立てなんかしている時代ではないのだよ。

 米沢嘉博『戦後SFマンガ史』は文庫で初めて読んだが、高千穂遙の解説にもあるように7章まではかなり興奮して読んだ。特に週刊漫画誌に移り変わるまでの記述のすごさは同時代に月刊漫画誌や貸本マンガを読んでいた人間にはよくわかる。自分がマンガに以前ほどのめり込まなくなったのは、1968年に『2001年宇宙の旅』に出会ってSFに熱中したのがその理由であることがこの本を読んで初めてわかった。米沢嘉博の名前は昔から知っていたけれど、恐れ入りました。


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