内 輪   第216回

大野万紀


 北京オリンピックは何のかんのいいながら楽しくテレビで見ていました。開会式、閉会式もショートして面白く、人海戦術も凄いけれど、ハイテク技術にも関心しました。過剰な演出というのは、通常の競技を報道する際の、日本のTVに対して言うべき言葉では。

 8月の前半は猛暑。後半は雨が多くてまるで夏が終わったみたい。といっても関西は関東に比べればずっと暑かったようですが。でも9月になればまた残暑が来るのだろうな。いったん涼しくなってまた暑さがぶり返すと、体にこたえます。このところ読書のスピードがかなり落ちているので、そろそろ盛り返さないといけないのだけれど。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『未来妖怪』 井上雅彦編 光文社文庫
 異形コレクションの最新刊は、未来妖怪というので、SF的なものを期待したが、どちらかというと普通のホラーが多かったように思う。何しろ21編もあり、そのうち1編はショートショートが19編という構成だ。印象が散漫になってしまうのも否めない。ずば抜けて凄いというものもなかったのだが、平均的には面白かったといえる。その中でも印象に残った物を挙げると、牧野修「ウエダチリコはへんな顔」、平山瑞穂「恋する蘭鋳」、菊地秀行「疫病神」、タタツシンイチ「奴等(ゼム)」、渡辺浩弐「プログアイドル(ハート)ちょこたん(ハート)の秘密(^_^)」、朝松健「ぬっへっほふ」といったところ。菊地とタタツはめちゃくちゃSF(というかパロディ)だが、他は壊れた人間の恐ろしさ、哀しさを扱ったホラー作品が多かった。朝松健はいつもの室町ものだが、今回はちょっと趣向が変わっていて面白い。小林泰三や上田早夕里や草上仁らのSFも面白かったが、今回はやや印象が薄かった。

『フリーランチの時代』 小川一水 ハヤカワ文庫
 書き下ろし1編を含む5編を収録した短編集。うち3編はSFマガジンに掲載されたもの。表題作「フリーランチの時代」は確かに今の時代の「幼年期の終り」なのかも知れない。じつにあっけらかんと人類が変容してしまう。でも何とも都合のいい変容で、何が変容したのかすらよくわからないくらい。この作品も肉体から非連続な意識の継続というテーマを扱っているが、同様なテーマをよりリアルっぽく、迫真的に描いたのが「Live me Me」。しかし意識というものの科学的・哲学的意味はひとまず置いといて、作者は社会的な変化の方を(ただ、ちょっと中途半端に感じるのだが)中心に描こうとする。それは「千歳の坂も」も同様だ。こちらは医療技術の進歩で、事実上の不老不死が実現した社会を描く。老化税、健康責任税、死亡処理手続き積立金といったお役所仕事が面白いが、ここに出てくる人々の感覚がぼくにはどうもよく理解できない。自然死がリアルでなくなるのはいいとしても、この世界でも死はやっぱり死なのだと思うから。とはいえ、それが悪いというのではなく、常識的な倫理観にSFとしての一石を投じているように思う。「Slowlife in Starship」は引きこもり(?)の宇宙飛行士の話。こういう話は面白いが、途中のちょっと締まらないアクションが余分な気もする。しかし何で英語タイトルなんだろう。「アルワラの潮の音」は『時砂の王』の外伝だろうか。古代のポナペ島にETが現れる。実はこれが本書で一番面白かった。こういうのはもっと読みたい。メッセンジャーというスーパーヒーローたちの強さと厳しさ、そして哀しさがきわだっている。いろんな時代のいろんな場所を舞台にもっと書いて欲しいなあ。

『マザーズ・タワー』 吉田親司 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 ラノベや架空戦記のベテラン作家による本格SF――ということだがこの人の作品を読むのはぼくは本書が初めてだった。人類の危機を救うため軌道エレベータを建設する話、ということになるのだけれど、そういうプロジェクトSFかというと、読後感はかなり異なる。あらすじはといえば、難病の子供たちの末期医療に従事するマザーズ教団という宗教団体がある。スリランカとインドの間に架けられた巨橋に本拠地を置いていたが、インドの州軍がそれを攻撃する。教団の女性教祖を守るため、たまたまその場に居合わせた4人の男たち(医学、財産、電脳、怪力)がその持てる力を発揮して彼女の脱出を助け、そして恐るべき敵と戦いながら、彼女の夢である軌道エレベータの建設に挑む。というように、実は姫を守る4人の騎士――スーパーヒーローの物語なのである。とりわけ体力担当の戦闘機械となったロシア人、彼こそはまさに超人だ。戦車の砲身を折り曲げてしまうような奴なのだ。巨大プロジェクトのSFとして読もうとすると、細かくディテールまで書き込まれているにもかかわらず、えっ?と思ってしまうサイエンス面や世界設定、超個性的なキャラクターに戸惑ってしまうだろう。巨大プロジェクトが組織の力ではなくて何人かのキャラクターだけで実現してしまうんだもんね。視点を変えて、アメコミっぽいスーパーヒーローものとして読めば大丈夫。でも作者自身にも視点の混乱があるようで、それに徹し切れていないところがちょっと残念。

『レイコちゃんと蒲鉾工場』 北野勇作 光文社文庫
 北野勇作の書き下ろし長編は、いつものようにどこか懐かしい悪夢のような北野ワールドなのだけれど、今回は暗いモノクロの色調の中に、レイコちゃんの赤いスカートが鮮やかな印象を残す。いつとは知れない未来の「昭和」を象徴するような小学生の女の子。諸星大二郎のクトルーちゃんを思わせるが、クトルーちゃんよりはだいぶ人間らしい。しかし、主人公をはじめ、本書の登場人物たちもみんな人間だか蒲鉾だかよくわからない連中なのだから、人間らしいといっても限度があるのだけれど。蒲鉾というのはシリコン基板に生体材料の練り物を合体させた、まあ生物兵器みたいなものらしい。人間を拉致したり食ったり、工場のコンピュータと合体して知性をもったり。なかなか恐ろしいしろものだ。だけど、北野ワールドの登場人物たちは、大騒ぎしない。まあこんなものだとあきらめていて、自分が生きているのか死んでいるのかさえあんまり気にしない。どこかぼんやりとして夢の中のような、コントラストの乏しい世界である。だからこそ、活発なレイコちゃんの生き生きとした姿が目立つ。レイコちゃんは決して蒲鉾に取り込まれたりしないだろう。すべてが合体し、どろどろと溶け合い、境界のなくなるあいまいな蒲鉾世界の中の異物として、特異点として、いつも元気に走り回っているように思う。


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