ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜011

フヂモト・ナオキ


ドイツ編(その一) パラベラム『ばんざい!』

 ついにドイツ編登場だよ。ともかく、ドイツは敷居が高い。ドイツ語がわからん以前に、花文字(髭文字・亀甲文字・フラクトゥーア、どれが一番メジャーなんや)で目がチカチカ。ロシア語なら一応キリルでくるな、という心構えはできとるんやが、ドイツもんは、つい今の本の感覚で、多少は見当つくんじゃね、となにげに本を手にとってしまい、地雷地帯のただ中に放り出されて大惨事という危険をはらんどる。
 適当に発注しまくって、届いた本が皆、花文字だったりしたら、絶対ちびってるよ。ああ、恐ろしい。いや、よく思い留まって、いらんことせんかった、偉いぞ自分。
 ま、ほんとは二三時間修行すりゃ、どうってことはないはずなのだが、折角のフラクトゥーア・アレルギーを克服してしまうと、またいらんもんを買い集めはじめるやろ、君。崩壊しとる部屋を何とか立て直そうと日々無駄な努力をしとんのが、わからんのかっ。え、無駄な努力だったらさっさとあきらめろって……。

 そんなわけで今回、取り上げるのは、ドイツ本国発ではなく、ドイツ発アメリカ経由のパラベラムである。いや、おっさんの若い頃はのお、パラベラムといやあ、『ばんざい!』やったんやがのお。あっという間に、9mm Parabellum Bulletの時代になってしもたのお。

 さて『ばんざい!』を取り上げた本として有名なのは猪瀬直樹の『黒船の世紀』。古本屋でbanzaiを手に入れ、書き込みから、アメリカ駐在武官の旧蔵書と、特定して、どうだ、俺偉いだろ。って自慢してます。いや、それは当時の架空戦記の読まれ方、受容のあり方を示す一エピソードとして面白いといえば面白いけれど、そんな僥倖に頼っていてはいかんと思う。いや、内容より俺様が格好よければそれで良いってことなのは重々承知してますが。
 確か横田順彌氏が、ドイツ作品ということを踏まえてない記述を批判されておられたように記憶するが、おそらくドイツ発のプロパガンダ小説ということも十分わかった上で、自らの叙述スタイル、ストーリー展開の都合にあわせて、その部分はスルーさせたとみた。
 だいたい、『ばんざい!』ありきで、米国艦隊が日本寄港したかの如く、叙述の順序を逆転させて読者を眩惑する記述になっとるしのお。ノンフィクションと銘打つんやったら、もう少し慎み深く執筆していただきたい。って、そうやないからこそ大物になっとるわけやが。I.F.クラークの旦那も見習ったら今頃は、英国の政界でブイブイいわせとったのか。

 では、Banzai刊行時、アメリカ・ウオッチャーとして現地からレポートを送っていた現場の河上清につないでみましょう、シカゴの河上さんどうぞ。

 河上清(1873〜1949)による『ばんざい!』についてのレポートは「日米戦争記(独逸の小刀細工)」と題され明治42年4月の新聞紙上を飾っている。
 冒頭では別の架空戦記が紹介される。「▲匿名の独逸人 想ひ起す、一昨年十二月米国の大西洋艦隊がハンプトンローヅを発して世界廻航の途に上るや、一匿名の著者が倫敦に於て『日米戦争記』(The war of 1908 for supremacy of the pacific)と題する一小冊子を公にして之を四方に配布したることを、著者の姓名を明知するを得ざりしも、其の紐育在住の一独逸人なることは当時米国諸新聞紙の何れも報道せる処なりき、該小冊子の要旨を略述すれば、東郷大将は布哇近海に於て大西洋艦隊を要撃し大に之を破り…」日本は一時優勢となるが、密かに同盟した欧州の提供した戦闘艦による大艦隊の前に屈服させられ、黄禍が除去されたと宣言される結末であったという。この本は、そこいらにころがっているようなものではないらしいが、目録によれば23頁の小冊子としてJohn Crabappleなるウソ臭い著者名で出ていた模様。

 で、『ばんざい!』の紹介である。

「▲新刊の『万歳』 右の小冊子の現はれたるは例の桑港学童問題の揚句、米国艦隊の極東に向ふあり、日米間の感情頗る面白からざるの際なりしを以て、世人の耳目を聳動したること少なからざりき、然るに今や加州の排日事件が再び火の手を揚ぐるに当りて更らに『万歳』と題する一小説の独逸人によりて著はされたるを見るは寧ろ奇異の感なき能はず、万歳の著者はパラベラムてふ匿名の作者にして、最初独逸文を以て伯林にて出版せられ次に之を英訳して倫敦紐育に於て現はれたり ▲日本米艦を撃破す 余をして万歳の大意を紹介せしめよ、戦端はマニラ沖に於いて開かれたり、次いで東郷大将の艦隊は太平洋上なる米国の艦隊を全滅したり、米艦の士卒勇敢ならざるに非ざりしも、其の大砲武器の日本軍艦に及ばざること遠く、且つ其の射撃の術極めて拙劣なりしを以て、東郷艦隊は一艦を損せずして米艦を全滅するを得たり」

 以下「▲移民尽く武装す」、「▲米国艦ハ最後の勝利者」と粗筋が最後まで紹介され、次のように結ばれる。

「▲独逸の奸策を注意せよ 『万歳』といひ、先の一冊子といひ、独逸の小刀細工に過ぎざること言ふまでも無し、独逸は今迄黄禍の悪夢に襲はるるのみならず、其の欧州に於ける地位は全然孤立の姿なるを以て、一面に於ては頻りに米国の歓心を求めて之と親まんと欲し、一面に於ては当面の敵国たる英国の米国と親しむを妨げんと腐心しつつあり、且つ独逸政府が日本の勃興を忌憚すること甚しく如何にもして日本を陥れんと欲し、加州の排日運動を利用して以て日米の親交に水を注がんと試みつつあり、『万歳』が日本移民忽ち武装して起ち太平洋沿岸を占領すと説くが如き其の如何に米人の恐日心に投じて彼等をして益す日本を忌憚し憎悪するの念を起さしむるものなるかを見るべし、余は曾て一言せる如く、独逸政府は米国に多くの新聞紙操縦係を配置し一面には米国の親交を謀り、他の一面には米国が日英等と相親しむを妨げんと努むるものの如し…」

 翌月には原書が日本にも入ってきており海外新刊紹介セクションに以下のように掲載されていた。

 「▲万歳!(Banzai) 過般『日米戦争記』と題して本紙に掲載したるものの原書なり、筋は該戦争記にも紹介したる如く日本軍が米国に侵入し、一時大勝を得たれど、遂に米軍の為に殲滅せられ、黄禍茲に其跡を絶つと云ふに在り(Parabellum著△倫敦スタンレー、ポール△価三円)」

 こーゆー本が読まれとるのか、ふむふむ、と、明治の人は冷静に受けとめていたことがうかがえるのだが、十年ちょっと後になって邦訳(嘗膽生訳)『ばんざい!』朝香屋書店、1924年が出た際には<読売新聞>の記事によると、一部にヒステリックな反応が巻き起こったようで、なんか日本人、劣化してるんじゃね、といった感じが。

「独逸まで調べる 日本を呪ふ怪著 知らずに序文を書いたために迷惑をしてゐる……桜井大佐  最近山の手の某書店から出版された日米戦争を預想した『万歳』といふ著書の内容が『日米開戦の結果日本が敗北した』といふことを題材として独逸の前皇帝カイゼルの侍従武官が著したを東京在住の嘗胆生といふ者が翻訳したものである 内務省で廿九日検閲の際此本の内容が其まま訳されてゐるのを見つけ直に発売禁止をし一方警視庁へ通報したので翻訳者を厳しく調べてゐるが内務省では日本を甚だしく侮辱するものだと原書の著者を調べるため外務省を通じベルリンにある我大使に急電を発したまた陸軍省でも非常に憤ってゐるが尚ほこの著書の序文は陸軍省新聞班長桜井忠温大佐が書いたもので始め『憂国的の著書』であると欺いて序文を得たが其後言語同断な著書であることを知つたので同大佐は大いに憤り内務省へ厳重検閲取締方を特に依頼したといふ」

 えーっ、十年以上昔に出た本がけしからんと今更言われてもドイツも困惑するだろうに。第一次大戦の戦勝国という立場で、上から目線で、いちゃもんつけたのかねえ。というか、初刊時点で、気の利いた人は目を通していたと思うし、ホンマにこんなダメダメな反応があったのかという疑問がわく。少なくとも『禁止単行本目録』には『ばんざい!』は出ていないし、普通に図書館の蔵書としても何箇所かに伝存しとるよなあ。
 <読売新聞>以外の同種の記事が見つけられていないので、この記事自体が販促のためのでっちあげ? 第一、桜井大佐の序文なんかついてないしね。

 で、読売には桜井大佐から以下のお手紙が届いたという。

「桜井忠温氏から 旧蝋三十日の貴紙に(第二面第一段三段ぬき)『ばんざい』といふ書物のことにつきて小生が序文をかいたとなつてゐますが実はこれは某前代議士、某記者の依頼により憂国的の著書故何か所感をとのことで一言話しはしましたが序文は書いてゐない筈です◇このごろは書物を見ませんから知りませんがそんなものはない筈なのです◇広告に利用され(時事と国民)一時大に迷惑して書店に解版を命じた位です」

 まあ、迷惑したとかいっているところをみると、多少は火の粉があがっているようだが実際の広告の文面からすると、桜井側の証言も多少あやしい気はするが、ま、そこいらは今回は省略。
 ともかく、朝香屋書店も商売だから扇情的な売りを仕掛けるのは当然だし、取り繕って当たり障りのない話にしてはそもそも意味がなかろう。ひどけりゃ、ひどいことがわかるように訳してもらって、こーゆーもんが読まれとるのね、プンプン、で、ええと思うんやが。それがこの時点ですでに通らなかったんだとすれば深刻やね。

 さて、訳者は、英語版はアメリカ軍のダメっぷりが、緩和されているのでそこはちゃんとドイツ語版から訳したとか書いてるんだが、その参照したドイツ版は25版だったとか。うーむ、パラベラムは、ずっと版を重ねていたのである。その一方で、ホーマー・リーは、軍関係者の間では読まれていたが、一般読書界からは、すかさず忘れ去られたというか、スルーされた存在だったということに猪瀬本ではなっている。1909年の初版以降、1942年、戦中にクレア・ブースが着目して、評伝とともに復刊するまで、すっかり忘れ去られていたかのように書いてあるのよな。いや、猪瀬の記述を裏もとらずに信用するわけには行かんが(少なくとも、1913年に版を重ねているらしい)、ホーマー・リーを重要視している以上、「読まれた」本であったほうが望ましいはずで、売れた/読まれた、ということを示す資料を見つけられなかったことは確かだったのではあるまいか。つまり、世の中に与えた影響だけで見りゃ、ホーマー・リーよりパラベラムの方が、重要なんとちゃうんか。でも、自分の作ったストーリーには関係ねえ、ってんで邦訳の存在を文献リストで示すだけで、パラベラムには深入りせずに、そっと通り抜けてます。いや、こうでなくては出世でけへんね。

 一応、軽く作者についてふれておくと。パラベラムというのはFerdinand Heinrich Grautoff(1871〜1935)の『ばんざい!』用の筆名。英独戦ものの未来戦争小説(英訳Armageddon 190-、Kegan, Paul & Trench 1907.ではSeesternを使用。長らくLeipziger Neuesten Nachrichtenの編集者をつとめ、海軍史に関わる著作もあるという。邦訳者としてクレジットされている嘗膽生についてはまだ何の情報も得られてません。問題化してるんなら、なんかゴシップとしてメディアにでてきそうなもんだけどね。

 だいぶ長くなったので、あらすじは猪瀬本を読めっ、てことでフィニッシュ。あと、英語版はプロジェクト・グーテンベルグで電子化されてるし。って、I.F.クラーク翁と比べて、架空戦記に愛がなさすぎでは。
 いや、いつの日か第一次大戦以前の英米未来戦小説に絞った連載をやる気で、連載タイトルだけは遥か昔から『サイエンス・アンド・インベージョン』Science & Invasionと決めとるんやけどねえ。
 ま、当面は、コソコソと非英語圏の架空戦記をこの連載で紹介して、お茶を濁すつもり。


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