内 輪   第208回

大野万紀


 UFOが政治問題となっている(?)ようですが、実はぼくはUFOを見たことがあります。小学生のころ、地平線近くをかなりの速度で移動する、きれいなレンズ型のUFOをしっかり目撃しました。たぶん雲だったのでしょうが、まわりの雲とは明らかに違う動きをしており、今でも強く印象に残っています。とにかく未確認飛行物体なので、UFOであることには間違いありません。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『秋の牢獄』 恒川光太郎 角川書店
 『夜市』以来目の離せない作家となった恒川光太郎の短編集。中編3編が収録されている。「秋の牢獄」は同じ秋の一日を果てしなく繰り返すことになった女性の物語。リプレイものとして特に目新しい趣向もなく、この作者の作品としてはもう一つ。とはいえ、異常な状況に置かれた主人公の孤独感とか、主人公の他にもいたリプレイ者たちの描写などには独特の魅力がある。「神家没落」は異界とこの世の狭間にある神の家と、その家守となってしまった若者の話で、これは作者らしい傑作だ。「夜市」にも通じる世界観があり、異界と日常の連続性と非連続性が鮮やかに描かれている。何よりごく普通の田舎屋のような家の描写がいい。幻想的で懐かしさがあって、住んでみたいと思わせる。物語は、しかしそこからグロテスクな結末へと向かっていく。「幻は夜に成長する」も傑作といっていい。人に鮮やかな幻覚を見せる能力を持つ少女の、非日常から日常へ、そしてまた非日常へという運命を描き、これまたホラーというに相応しいグロテスクな人間性が描かれる。SF的にいえば一種の超能力者ものであるが、その能力はごく限定されたものであるにもかかわらず、圧倒的な力と、その発現を思わせるところで物語りが終わる。ここでも日常性と非日常との対比が強烈で、三作の中では超自然的なことから一番遠い話であるにもかかわらず、何とも異様な読後感を残す。

『新しい太陽系』 渡部潤一 新潮新書
 たまには太陽系のことも復習しておかなくちゃ、というか、冥王星が準惑星になった「惑星定義委員会」の委員だった人の書いた本。その経緯は最後の方に書かれている。まあ、衛星の数がぼくの覚えたころに比べて桁違いに増えていたり、冥王星もその一つである太陽系外縁天体が1000個以上も見つかっているとか、天王星や海王星の新たにわかってきたこととか、耳にはしていたがあまり詳しくは知らなかったことが色々と書いてあるのだが、さすがにえっと驚くような話はなかった。太陽系外の惑星について書かれた『異形の惑星』を読んだ時のような衝撃はない。そういう意味では、衝撃的でなくてもいいから、最近の探査機によってわかった事実など、地味でももう少し突っ込んだ話が知りたいな、と思った。

『プリズムの瞳』 菅浩江 東京創元社
 社会に受け入れられず、街角で絵を描くだけの、ホームレスのような存在になったロボットたちについての、連作短編集。ロボットの話というよりも、これは男性社会の中の女性や、ホームレスを襲撃する少年たちや、社会的マイノリティへの視線や、そういった人間たちの他者への視線を描いた物語である。とはいえ、今では何の力も持たない存在となったロボットへ、激しい憎悪を向け、破壊しようとする悪役(これがもう、どうしようもなく悪役だ)の登場と、全体の話者ともなる、やたらと少女趣味な服装の10歳くらいの女の子(でも美少女ではない、と明記されている)の登場で、独自のSF的なストーリーが形作られる。それが謎やサスペンスをはらんで、クライマックスへと向かうドライブ感をもたらすのだが、しかし、本来のテーマとは必ずしもマッチしてはいないように思える。かなり戯画化されていて、リアリティを削ぐ結果となっているのだ。いや、そもそもの設定が必ずしもリアリティを目指したものではないのだから、それはそれで良いのかも知れないが、人と機械、人と人との関係をシリアスに描くはずのところが、この可哀想な悪役の登場で気をそらされてしまうのである。その点は気になるのだが、しかし全体としては淡々とした、美しい話となっている。とりわけ老人ホームのエピソードが小説として面白い。

『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』 シオドア・スタージョン 河出書房新社
 奇想コレクションの新刊はまたもスタージョン。若島正編集で表題作の中編と5編の短篇が収録されている。これまた、いずれもスタージョンらしい作品ばかりで、とても嬉しい。冒頭の「帰り道」。これはぼくが学生のころファンジンに訳して、それがSFマガジンに載った(真木俊一名義。SFM76年1月号)思い出深い作品である。あのー、翻訳を比較したりなんてことは、決してしないでくださいね。本書ではこの(いずれも初訳ではない)「帰り道」、「午砲」、「必要」と続く冒頭の3編がとにかくスタージョンらしさの溢れる傑作だ。以下は初訳で、「解除反応」はSFだが、ちょっとわかりにくい、というかピンとこない話。「火星人と脳なし」はユーモアSFだけど、これまたけったいな話です。さて問題は表題作。途中までは何が何だかよくわからない。下宿屋を異星人らしき夫婦が経営していて、そこに住む普通の人々の日常が描かれる。彼らはみなそれぞれの悩みを抱えている弱い人間だったが、彼らに夫婦がいくつかの質問をすることによって、自ら問題を解決することができるようになる。いや、こう要約してもやはりよくわからないことに変わりはないのだが、彼らの小さな哀しみの、その切実さ、他人から見ればどうでもいいようなことへのこだわり、それが確かに胸にしみる。[ウィジェット]も[ワジェット]もあんまり関係ない。ちょっと説教臭さがあるのが玉に瑕だが、スタージョンの少し癖のある優しさが満ち満ちている。とはいえ、この話に異星人は必要ない気もする。彼らの悩みは[ウィジェット]や[ワジェット]がなくても解決できたはずだから。

『MM9』 山本弘 東京創元社
 怪獣小説。ウルトラ怪獣型の、日常的に襲ってくる怪獣たちと、それに立ち向かう気象庁特異生物対策部――通称「気特対」のお話。連作の短篇5編が収録されている。かつての怪獣好き少年たちには面白く読めるのだろうな、と思いつつ、自分も確かに面白くは読んだのだが、何というか、はじめ想像していたようなわくわく感は味わえなかった。おかしいなあ、そんなはずじゃないのに。ぼくだって、怪獣博士とまではいかないが、大伴昌司の怪獣図鑑は持っていたし、ウルトラシリーズだって毎週見ていたはずなのだけれど。まあ、当時としては普通のレベルで、とても怪獣オタクのレベルまでは達していなかったということか。実際宇宙や恐竜の方がずっと好きだったわけで。とはいえ本書は、毎週(ではないが)怪獣が襲ってくる世界というものをきちんとSF的に作り上げていて、その中での災害対策のプロである職業人としての「気特対」の活躍を描いている。そういう点はとても好感がもてる。出てくる怪獣は、シーサーペント風なのや、巨大コウモリみたいなのや、巨大植物や、巨大幼女(!)や、ヤマタノオロチっぽいのや、あんまり怪獣怪獣したやつではない。その辺が物足りなかった原因かも知れないなあ。いかにも怪獣らしい大破壊シーンには乏しかった。たぶん、怪獣=自然災害として、日常的にすぎるのが、ぼくにとっての違和感の原因だろう。地味なのだ。それはもちろん作者があえてそのように書いたのだろうと思うのだが、もっと派手派手に大暴れする怪獣ものを期待したのに、というところだろう。

『天平冥所図会』 山之口洋 文藝春秋
 7月に出た本。奈良時代を舞台にした歴史小説であり、ファンタジーである。大仏鋳造、正倉院の御物奉納と奈良麻呂の乱、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱、道鏡と宇佐八幡の御神託といった歴史的な事件が、実在した奈良の都の小役人、葛木連戸主とその妻広虫の目から描かれる。戸主は仕事をきっちりやり遂げるりっぱなサラリーマン(正倉院の部はある意味プロジェクト小説で、小説としては一番面白い)だし、幽霊になってからは(途中で死んでしまうのです)霊界探偵としても活躍する。広虫はしっかり者の可愛い奥さんで(それだけではなく、OLとしても有能)、尊敬できる頼もしい上司としての吉備真備や、その娘由利、広虫の弟である和気清麻呂と、個性的で楽しいメンバーがそろっている。けっこう陰惨な政治的事変が続くのだが、のほほんとしてほんわかとしたムードが漂っているのは、もちろん三木謙次のイラストのせいに違いないが、特に広虫ら女性陣の人柄と、「小さなことからこつこつと」をモットーとしているような戸主の態度によるものが大きい。ユーモア感覚も楽しく、後半の戸主と神様である一言主との会話など、思わず笑ってしまった。「かみちゅ」かい。歴史小説としてもしっかりと描かれていて、これはぼく好みの快作だった。


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