内 輪   第203回

大野万紀


 評判の高い、アニメ版「時をかける少女」をテレビで見ました。劇場で見ず、DVDでも見ず、(おそらくは)カットされているはずのテレビ版で見ているという点で、すでに間違っているような気がするのですが、ぼくとしては「すごく質の高いアニメではあるけれど、何だかなあ」という感想でした。
 風景の美しさ、リアルさ、人間の動きの細やかさ、そういった美術的な面、アニメ的な面のすばらしさは本当にすごくて、これは劇場で見たらこの何倍もすごいんだろうなあと、素直に感動しました。でも、ストーリーがねえ。いや、SF的にどうよ、というつもりはないんですよ。タイムパラドックスがどうとか、それは初めから気にしないことにしていたから。でも、青春もの、恋愛ものとして見たときも、何だか心に響いてこないんですよ。主人公たちの内面が、行動の動機が、ちゃんと伝わってこなくて、何かを失うことが恐くてタイムリープしているはずなのに、失うものが何なのか、なぜそれを恐れるのか――いや、本当に恐れているのは、あの高校時代のひとときのきらめきを、大人へと向かう時の流れの中に失ってしまうことかも知れないけれど、それって大人の、作り手側の、わりと勝手な感傷じゃないかな、とか。でも、もしかしたらテレビ放映されていない部分に重要なシーンがあるのかも。何しろ、みんな絶賛しているもんね。何か大事なところを見逃しているのかなあ。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『鯨の王』 藤崎慎吾 文藝春秋
 米海軍の潜水艦の中で、突然乗員が急死する事件が起こる。日本の変わり者の鯨学者が超巨大な鯨の骨を深海で発見する。海底基地に米軍の研究者が極秘研究のために訪れる。どうやら、シロナガスクジラよりも遙かに巨大な謎の鯨が生息しており、音波で潜水艦の中にいる乗員を殺害することができるらしい。サスペンスフルな出だしで、掴みは十分。日本人の鯨学者、須藤の人物造形がいい。アル中で、破天荒だが、どこか憎めないおっさん。潜水艇のオペレータである若い女性のホノカにひどく嫌われていて(まあそうだろうな)、二人の掛け合いがとても面白い。実際に作者が水深千五百メートルの深海に潜った時の経験が生かされていて、描写も大変にリアリティがある。作者の他の作品のようなオカルトに向かわず、SFの範囲できちんと描かれているのも好感がもてる。基本的には深海のサスペンスなのだが、須藤とホノカの、無理やり共同で仕事をしなければいけなくなった話の合わない男女の関係性が(恋愛関係ではなく、親父と、親父を嫌っている娘みたいな関係)、作品に奥行きを与えている。惜しむらくは、テロリストの存在がほとんど余分であること。逆に緊迫感を削いでいるように思った。

『ゴールデン・エイジ2 フェニックスの飛翔』 ジョン・C・ライト ハヤカワ文庫
 やっと出たゴールデン・エイジの2巻目。本来は3冊で1冊の長編なのだから、ようやく真ん中まで読めることになる。前作で不死性を失い、追放者としてぼろぼろのどん底に来た主人公が、本書ではそのどん底に住む「船上人」たちと、この遠未来世界ではこれまで経験したことのない騙し騙されのやりとりをして、やがてどん底のさらに底まで堕ち、それからあれよあれよと立ち直り、妻(のコピー)に出会い、ついには超巨大恒星間宇宙船フェニックスを手にするまでが描かれる。でもまだ3巻目が出ていないから、ハッピーエンドかどうかこの時点ではわからないのだけれど。それはともかく、あいかわらずやたらと長いカタカナが飛び交い、読者を置いてけぼりにする、とても読みやすいとはいえない本書だけれど、ぼくはますます大好きになりました。はっきりいって、笑うしかない無茶苦茶さ。ここまでぶっ飛んだ遠未来の設定は、まさにSFを読む醍醐味。人と人のコミュニケーションも、まずは何種類かある文化的インタフェースのフィルターを切替えてからでないと成り立たず、意識も記憶も現実も仮想も(きちんと区別はされるものの)シームレスで、まあ、ほとんど気が狂っているようなものですな。だけどこの時代の唯一の戦士であるアトキンズが活躍するシーンなど、ほとんどギャグながら、滅茶苦茶かっこいい。まだ宇宙に出て行っていないから、ワイド・スクリーン・バロックとはいえないかも知れないが、ベイリーをとことん現代風にしたら、こんな話になるのかも。早く続きが読みたい!

『虐殺器官』 伊藤計劃 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 新人作家の初長編とのことだが、とてもそうは思えないくらい完成度は高い。もっとも、エンターテイメント作品にしては話の流れをそぐ、内向けなシーンが多いのだけど。人はなぜ人を殺すのか。それも見ず知らずの民衆を大量虐殺するようなことができるのか。イラクで何十人もの一般人が殺される自爆テロのニュースが毎日のように報じられる現在、9.11以後の世界の現実を真っ正面から、しかもSF的な視点から、その理由を考察した小説だ。近未来の世界での虐殺現場が描かれるが、あまり生々しさはなく、どこか観念的で、生理的なおぞましさは少ない(関西の某作家とは違いますね)。むしろ主人公の、脳死状態になった母親の延命処置を中止したことに関する悔やみが、虐殺される村人たちと同レベルで内省され、人の死と、その死をまねくことの責任、罪と罰という倫理的な面が主題として押し出されている。そして、タイトルでもある、ヒトが生まれながらに持つ虐殺器官と、その発動方法を知った謎の米国人。ストーリーは、各地の虐殺現場に必ず現れるこの男を追う、アメリカ情報軍の特殊戦闘員の一人称で進む。話の流れをそぐ内省的なシーンが多いと書いたが、それでもストーリーはきびきびと進み、戦闘シーンの迫力もすごい。また、無数のICタグが人や物の動きを追跡し、あらゆるものに認証が必要な近未来の管理社会の描写など、作者は物流関係のIT業界にかなり詳しいようだ。

『敵は海賊・正義の眼』 神林長平 ハヤカワ文庫
 いやあ10年ぶりの「敵は海賊」だ。今回はタイタンの自然保護団体の活動家のところへ海賊ヨウ冥(ヨウはUNICODE:U+530B)が現れるところから始まる。そしてタイタンでの謎の大量殺人事件。事件を追うベテラン刑事と、まるで普通のミステリのように話が進む。正直、このパートと、ラテルやアプロたちのいつもの掛け合い漫才パートとは、まるで全く別の小説のようだ。さらに本書の大きなテーマは、真の悪といった、かなり観念的なもので、おまけに本書のヨウ冥はまさに神か悪魔のような人間離れした存在として描かれており、その結果として、本書はいったいどう読めばいいのか、悩ましい作品となっている。ストーリーの流れとしては単調すぎるのだ。謎解きも、何しろ相手がヨウ冥なので、普通のミステリのようにはいかない。結局、これはラブ・ストーリーだったのだろうね。

『グッド・オーメンズ』 ニール・ゲイマン&テリー・プラチェット 角川書店
 1990年の作品だから、ちょっと古いのだけれど、世紀末のオーメンのハルマゲドンのおバカ話。大昔から人間に混ざって暮らしていたため、かなり人間臭くなってしまった悪魔と天使のでこぼこコンビが、実質の主人公といっていい。上巻は、いよいよ最後の審判が近づき、アンチ・キリストが誕生するのだが、ちょっとした手違いで、普通のイギリスの田舎の男の子として育てられることになる。まだ大きな動きはなくて、でこぼこコンビのパロディだらけのコメディが続き、ひたすら笑って読める。下巻になって少しトーンが変わり、黙示録の四騎士がヘルス・エンジェルスとなって現れたり、予言書を守る魔女の子孫と魔女狩り軍の子孫の出会いや、そしてアダムと名付けられたアンチ・キリストのガキ大将ぶりが描かれるのだが、いよいよハルマゲドンが数日後に迫り、世界は誰もそうとは気付かないうちに、無茶苦茶になっていく。ちょっとこの後半のペースが重くて、前半の軽快なドタバタ感が失速してしまうように思えた。地獄の猟犬のエピソードなどは面白いのだが、アダムが一人でばたばたと話をまとめてしまうのは、どうにも中途半端感が漂ってしまう。とはいえ、もう一つの読み方として、結末にある次の文章、「もし未来の世界をみたければ、ひとりの男の子と、その子の犬と、友だちを想像してみてほしい。ついでにけっして終わらない夏も」というようなお話として読むのがいいかも知れない。イギリスの田舎の、夏休み小説という側面も確かにあるのだ。

『ハル、ハル、ハル』 古川日出男 河出書房新社
 逸脱する物語。物語というか、物は語ってないな、あちらの世界へと逸脱してしまったヒトが語っている。過激だ。ちょっとついていけないかも。異様にテンションが高い。3編が収録されていて、表題作は13歳と16歳と41歳のハルたちの、こっちの世界から転げ落ちて犬吠埼へと向かう物語。これが一番わかる。というか、ついていける。二つめは「スローモーション」で、「わたし」の日記。これは千葉から東京へと向かう。前半はついていける。わりと日常だから。でも事件が起こり、逸脱が起こる。そこからが理解を超える。最後は「8ドッグズ」で、何と南総里見八犬伝だ。これも途中まではわりと日常。きっかけがあり、事件があり、逸脱があって、これはホラー? 何でみんな千葉なんだろう。千葉と東京を結ぶベクトルの上に、普通の人々から逸脱して、過激に疾走する男や女がいる。犬やUFOや幽霊もいるみたいだ。スピードがあり、ベクトルがあり、かっこいいんだけれど、どこか既視感があるのは何故だろう。そうだなあ、70年代の、ちょっとブンガク的な青年コミックなんかを思い出してしまったのか。


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