内 輪   第194回

大野万紀


 はっと気がつくと今年ももう10月。このところ結構多忙で、読む本の数も減っています。大阪はなかなか涼しくならず、本格的な秋はこれからなのでしょう。これも地球温暖化というやつかしら。
 わが家でも相次いで家電製品が寿命を迎え、買い換えを余儀なくされていますが、聞いてみると周りでも最近パソコンや家電が壊れたという人が多数。シンクロニシティなのか、何なのか。まさか地球温暖化とは関係ないでしょうね。ガブルガブルガビッシュ。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『メモリー』 ロイス・マクマスター・ビジョルド 創元SF文庫
 ビジョルドのマイルズ・シリーズの最新刊。上下巻だが、最近の長大作に比べれば短い短い。ネイスミス提督として作戦任務のさなか、発作を起こして人質を死なせかけたマイルズ。それをごまかそうとしてみみっちい細工をしたばかりに、イリヤン長官から厳しい処分を受けてしまう。かくて上巻の大部分はドジを踏んで失意のマイルズが鬱々と引きこもりの日々を送るお話。ところが後半から、新たな大事件が発生し、マイルズは探偵役となってその謎の解明にあたる。かなり行き当たりばったりではあるが、直感と信念で見事に探偵役を果たしてみせるのだ。このシリーズは面白いし、好きなのだが、その面白さはあっと驚くSFの面白さでもなく、はらはらどきどきのサスペンスや、ストーリーの圧倒的な面白さでもない。どちらかというと良くできた連続TVドラマの、おなじみのキャラクターによるまったりとしたエンターテインメントの面白さである。だから、普通なら退屈してしまいそうな場面が続いても、そろそろ本を置こうかというタイミングで次の展開が入り、楽しく読み続けることができるのだ。マイルズはいい年になっても相変わらずだなあ、とか思いつつ、のんびりと楽しむことのできるシリーズである。

『グラックの卵』 ハーヴェイ・ジェイコブズ・他 国書刊行会
 浅倉久志コレクションのユーモアSFベスト・アンソロジー。ヘンリー・カットナーやウィリアム・テンといった古い読者にはおなじみの作家から、ジョン・スラデックのまさにニュー・ウェーヴな中編まで、9編(うち5編が初訳)が収録されている。幻の傑作といわれるネルスン・ボンド「見よ、かの巨鳥を!」は、アイデアはバカSFだが、筆致は本格SFで、往年の怪獣映画のノリでけっこう燃える(萌えるじゃないよ)。カットナーやテンはまさにぼくのイメージ通りの「ユーモアSF」だ。中でもカットナーのギャロウェイ・ギャラハー・シリーズの未訳作品「ギャラハー・プラス」は、本当に楽しいマッド・サイエンティストもの。「うぬぼれロボット」のジョーがステキだ。今読んでも笑える。一方スラデックの大作「マスタースンと社員たち」はユーモアSFというより不条理SFで、吾妻ひでおの暗めの作品みたいな味わいがある。でもずっとドライだ。モンティ・パイソンみたいに実写映像で見ればまた違うのだろうが、文章だけで読むと、サラリーマンのわが身につまされて笑うに笑えない。ハーヴェイ・ジェイコブズの表題作は、これは語り口を楽しむ小説だ。悪くはないが、あんまりぼく好みじゃないタイプの「アメリカン・ユーモア」なお話。一口にユーモアSFベスト・アンソロジーというが、まさにバラエティに富んでいるといえる。

『遺す言葉、その他の短篇』 アイリーン・ガン 早川書房
 アメリカSFファンダムの有名人であり、草創期のマイクロソフト社で部長まで勤めた経歴をその作品に生かし、さらにアヴラム・デイヴィッドスンの研究家で、ウィリアム・ギブスンや初期のサイバーパンク作家たちとも親交が深い、そしてネビュラ賞受賞作家でありながらその遅筆ぶりが有名という、愛すべき女性作家の25年間に渡る「全作品」を収録した短編集である。もっともこれまで邦訳された作品は2編のみで、日本での知名度はとても低いといわざるを得ないが。その1編「中間管理職への出世戦略」は、出世のために昆虫のような姿に変身していくビジネスマン/ビジネスウーマンを不条理なユーモア感覚で描いた作品。ビジネスの現場では教科書的な理屈だけじゃダメだよ、という教訓があるのかも。表題作「遺す言葉」は、作家だった父の遺品を整理するため、疎遠になっていた父の書斎を訪れた娘が遭遇する不思議な体験、という少しだけ幻想的な味わいのある普通小説だが、デイヴィッドスンの亡霊に捧げられており、亡くなった作家の言葉がいたるところに立ち現れてくる、いかにも文学的な作品である。一方、「スロポ日和」は地球を占領したエイリアンとヤンキーな兄ちゃんたちのコンタクトを描く、まさにユーモアSFだし、パット・マーフィーやマイクル・スワンウィックらとのリレー合作「緑の炎」はアシモフとハインラインがフィラデルフィア実験に参加して、時空を超えた冒険をするという内輪受けなお遊びSFだ。こんな作品が一同に会していると、面白いんだけど、ちょっとバラエティ豊かすぎるというか何というか……。でも、最初に書いたような作者の経歴という軸から見ると、実は何も違和感がなく、収まってしまうのである。この本そのものが良くできた「ファンジン」なのかも知れない(解説で小谷真理が指摘しているように)。

『名誉王トレントの決断/魔法の国ザンス17』 ピアズ・アンソニイ ハヤカワ文庫
 久しぶりの、そして相変わらずのザンス。相変わらずマンネリ気味ではあるけれど、相変わらず面白い。ザンスはダジャレで出来ているとは有名な話だけれど、もうひとつザンスを作り出している重要な要素は、実は「大人の陰謀」だ。今回の登場人物・怪物たちは大人ばかり。ヒロインのゴブリン=ハーピー娘の目的は理想の伴侶を見つけることだし、老人となった大魔法使いトレントが若返ったイケメンとなって旅に参加するし(人魚たちとか、周りの女たちがキャーキャーいうんだよな)、ニンフたちを拉致しては城に監禁している淫乱男と女悪魔メトリアのからみとか、大人の陰謀が大爆発だ。もっともそこは少年少女たちも愛読しているザンスだから、巧妙に、そしていかにもわざとらしくぼかされてはいるのだが。そういうストレートじゃないところが、かえってエッチかも。最後はもちろん愛が成就され、めでたくハッピーに終わるのだけれど、途中経過はかなり複雑怪奇で、落ち着いて考えるとちょっと悩ましくなってしまう。ここはストーリーの流れのままに、深く考えず、いくぶん保守的な下ネタおやじのおやじギャグをニコニコと楽しむのが正解だといえるだろう。

『ラギッド・ガール 廃園の天使II』 飛浩隆 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 『グラン・ヴァカンス』のシリーズ第2章。書き下ろし「魔述師」を含む5編が収録されている。仮想世界の内部で展開する物語は、よくあるサイエンス・ファンタジーとしても読めるが(もちろんファンタジーとして読んでも面白いし、シリーズ全体の中で見れば間違いなくSFとなっているのだけれど)、重要なのは純然たるSFである「ラギッド・ガール」「クローゼット」「魔述師」の3編だ。特に「ラギッド・ガール」と「魔述師」はこの仮想世界の成り立ちを語る本格SFであり、イーガンを始めとする最先端のSFに十分に対抗し得る傑作だろう。とはいえ、イーガンを引き合いに出すのは正しくないように思う。そもそも語り口がずいぶん違う。小説としての完成度を犠牲にしてもSF的なアイデアやスペキュレーションを精緻に語ろうとするイーガンと違い、本書は小説としての美意識の方が完全に優先している。人間に普遍的な認識の衝撃を語るより、むしろとんがった特異なキャラクターたちの、鋭いエッジの部分での意識や官能のありようを重視している。つるつるすべすべではない、ざらざらちくちくした皮膚感覚。だから、本書の仮想世界は、残酷で痛々しい苦痛と、血のにおいと自傷の傷跡と、サディズムとマゾヒズムに溢れ、〈健全な仮想リゾート〉のなれの果てである〈廃園〉の雰囲気に満ちているのである。そういった非日常的で残酷なグロテスクさは、ある特定の登場人物の意識が、外部化された仮想世界に反映され、強調されているものだと理解することができるが、それは本書の本格SF的なアイデアからのリニアな展開ではない。本来もっと通俗的で平凡なものになるべきところを、ここまで荒々しく不調和で、まさにラギッドな世界観で描きあげたということは、やはり作者の視線はこの世界そのものにあり、そのSF的な成り立ちは、いかに精緻に書かれていようと後付けのものなのだ、といえるのではないか。それはSF的には弱い点かも知れないが、だからといって本書の価値がいささかも下がるものではない。改めて言う。傑作である。


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