みだれめも 第189回

水鏡子


○ひさしぶりに置き引きにあった。夜の9時くらいに古本屋回りをしていて、3軒目の店から出てきたら、前の店で買った15冊が自転車の前かごから消え失せていた。意外と驚きはなくて、こういうリスクは自分としては想定済みだったんだなと改めて自己認識した。本なんてものは買った当人以外には(ときには買った当人においてすら)あんまり意味のないもので、現に盗られたぼく自身、買った直後であるというのに、買った本が何であったか15冊すべてについて思い出せない。コミック本が5冊にラノベ文庫が確か6冊、あとハードカバーでブコウスキーの詩集とか吉川良太郎とか荒木飛呂彦が表紙を書いてた児童SFとかを買ってたはずだ。文庫本が何だったのかよくわからない。本であることは一目瞭然ながら、わりと濃いレジ袋だから、盗った人間にも中身はちょっとわからないはず。二十年近く前、一度取られたのはパチンコ屋の自転車置き場で、負けた客が腹いせに持ち帰ったと思うのだけど、あのときの客はたぶん家に持ち帰ってパラパラめくってみただろうなと思う。そのあとフンとか鼻を鳴らして、趣味が合わないものだからゴミの日あたりに捨ててたいたにちがいない。昔と今との大きなちがいは、新古本屋の出現で、古本の売り払いルートが一般向けに確立したこと。今回の置き引きにしても、盗んだあとで読むのでなく、売りにいくことを考えての行動だろうなと想像できるところに侘しさが募る。全部売っても二、三百円にしかならないと思うのだけど。
 図書館の話。寄贈された本で受入の困難な本を本人の了解を得て放出する、お持ち帰り自由のリサイクル・コーナーを設置したところ、売りさばくことを目的に持ち帰る人間がいる。出しても出しても本の中身にかかわらず、出したその日に大量に持ち帰られる。設置の趣旨に合わなくて、結局補充をやめてしまったとのこと。侘しい話である。

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『アイの物語』 山本浩 角川書店
『第九の日』 瀬名秀明 光文社
『図書館内乱』 有川浩 メディアワークス
『レインツリーの国』 有川浩 新潮社
『Sweet Blue Age』 有川浩・他 角川書店
『つばき、時跳び』 梶尾真治 平凡社
『ゼロの使い魔 8・9・タバサの冒険』 ヤマグチノボル MF文庫
『空ノ鐘の響く惑星で J〜K』 渡瀬草一郎 電撃文庫
『ブギーポップ オルフェの方舟』 上遠野浩平 電撃文庫
『クラッシブレイズ オンタロスの剣』 茅田砂胡 中公Cノベルズ 
『彩雲国物語 紅梅は夜に香る・緑風は刃のごとく』 雪乃紗衣 角川ビーンズ文庫
『七姫物語 第四章』 高野和 電撃文庫
『流血女神伝 喪の女王4』 須賀しのぶ コバルト文庫
『マリア様がみてる 仮面のアクトレス・大きな扉 小さな鍵』 今野緒雪 コバルト文庫
『はじらい吸血鬼』 睦月影郎 双葉文庫
『シックス・ルーン』 桜井亜美 ヴィレッジブックス
『クロス』 辻友貴+熊谷純 ヴィレッジブックス

 語呂合わせというのは創作モチーフに潜在的に大きな影響を与えていると思う。『イリアム』だって元々は火星のオリュンポス山という地名があって思いつかれたにちがいない。ロボット物語は自我とはなにかという問題を最初から内包していたわけだけど、<A・I>と<私>の語呂合わせはこの方向にさらに大きなバイアスをかけたと充分推測される。おまけに、これが日本語になると<愛>というややこしいものまでまざりこんでくるわけだ。
 『デカルトの密室』に続く瀬名秀明のシリーズ作品『第九の日』は前作に引き続き、ロボットにとっての自我の問題を思索する力作である。ただし前作と同様に、ケンイチの思考過程がどうみても人間にしか見えなくて、その1人称でロボットと人間の相違について説かれても違和感の方が先に立つこと、そしてこれはもともとそういうものだから言ってもしかたがないのだけれど、殺人事件という具象の謎の解決と自我という形而上的な疑問の解明を、重ねあわすという力わざは、かえって物語をいびつに不自然にしてしまう。形而上的な内面の葛藤を解決するために、外部である他人の死を、それも劇場的に演出する設定にどうしても納得しきれないのだ。ロボットにかかるロジックを突き詰める作業にメタフィクション的文学趣味を交えるところは好きなんだけどね。

 瀬名秀明の論理と比較すると山本弘の論理ははるかに甘い。『アイの物語』はアシモフの流れを汲むロボット・ユートピア物語で、ロボット三原則のジレンマをフレーム問題として捉えなおす。集中の白眉「詩音が来た日」で、山本弘は「人間はすべて***である」という命題を導入してジレンマを劇的に解決してみせる。科学的論理としては単なる判断基準のすり替えで結局なんの解決にもなっていない気がするけれど、文芸的にはこの解法はその波及効果も含めてきわめて美しい。感動的である。ぼくとしてはSFの科学は正しいか正しくないかなんてどうでもよくて、このレベルで充分でないかと思う。
 人間愛を謳いあげる「詩音が来た日」の感動は限定的な少人数集団のなかでの出来事だから素直に心に響いてくるのであるけれど、これをそのまま全人類規模に拡大して、愛と正義を振りかざされる未来史連作に結実されると、(恋)愛原理主義的ないやなオーラが発散される。性格のすなおでない私としては、気恥ずかしくて読むに耐えない。おたくの夢物語といった風情に終始して、個々の短篇のよさを減じていると思う。
 未来史という形式は大好きだし、それなりに練られた設定だし、気持ちはわかんなくはないんだけどね。

 有川浩『図書館内乱』のよさはそのあたりのバランス感覚にある。人の悪意や弱さを認めたうえで、居心地のいい結末へと読み手を連れていく。ストレートな愛と正義の塊のヒロインを、ひねてはいるがじつは本音は同様に愛と正義の人である友人上司がはらはらしながら見守る構図。
 シリーズ化ということで、これまでの本とくらべて得意技だった収束感に欠けるけれども、周囲の友人知人に照明があたり世界にふくらみができた。とりあえず相手も同じお役所なんだから、拷問、査問シーンはちょっと頭筋肉の悪役すぎるのではないかとか、情報部員というのはやりすぎだろうとか、つっこみどころはいろいろあるけど、派手かつまとまりのある前作よりもこっちの方が好き。手塚の兄貴は福井晴敏の敵役風。
 しかし、レファレンスのしくじりは、あれはないだろう。いくらなんでもあれでは素人レベル。図書館職員どころかふつうの本好きの常識で充分対応できる内容である。と、ここまで書いて気がついた。
 この主人公、いったい年に何冊本を読んでいるのだろう。

 『レインツリーの国』は、『図書館内乱』とのコラボレーション企画で、ネットにアップしたラノベ読書感想に端を発するメールで始まる恋愛小説。テーマはそのまま障害者との恋物語にシフトする。『アイの物語』にも同趣向の話があって、考えてみたら文通の時代からの定番みたいな話である。長さ的にふくらみにかけて少しものたりないけれど気持ちよく読めた。『イリヤの空』の時にも聞いた意見でもあるのだけど、ある世代にとって『妖精作戦』というのはひとつの事件であったみたい。読んどかなきゃいけない気がしてきた。

 ストレートな恋愛小説には、自分のなかに評価枠がないものだから、おかげで門外漢的気分でわりとすなおに楽しめる気がする。ただし評価に自信がないから絶賛もしづらくてわりと並あたりの評価にとどまってしまうところでもある。『Sweet Blue Age』は女性作家たちによる恋愛小説アンソロジー。けっこういい短篇が揃っていると思うのだけど、どこまでが恋愛小説の基本的結構で、どのあたりが作家的オリジナリティなのかわからない。有川作品は『海の底』のサイド・ストーリイでこの人の作品としてはやや平板。

 メインが恋愛小説でSFだったりファンタジイだったりするのはどちらかといえば好きな部類であるのだけれど、それがSFやファンタジイの衣装をまとうことでぼくの内なる評価基準が機能して、不満が噴出したりする。恋愛部分に比重がかかって、これでSF的視野、SF的処理を片づけられたんじゃあたまらない、と呆然としたのが『つばき、時跳び』。そこらの畑違いがちょっとがんばってみましただったら、すっと流してごくろうさまですますレベルにしあがっていると思うけど、梶尾真治がこれではいかんだろう。タイム・パラドックスはもっと込み入ってもらいたいし、江戸期の風俗、政情、人間関係はもっと書きこんでもらわないと、ヒロインに実在感が伴わない。これでは、作者/主人公の夢の女との出会いを描いた願望充足小説以外のなにものでもない。
 ファンタジイってSF以上に自由奔放に話が紡げるだけに、世界を律するためには手綱を絞り込む必要があるはずで、ジャンル・ファンタジイの作者と読者の馴れ合いの窮屈な約束事も世界に一定水準を保証するセイフティ・ネットの役割を果たしている。そこから批評的に乗り越えようとするのがとんがり系ライトノベルの方向性だと思うのだけど、そのあたりの約束事すらわからない小説もまた山のように出版されている。おちゃらけて読者目線で話を作れば済むものとひとりよがりを演じる品が無数にある。
 読んで腹が立つというのは『つばき、時跳び』のレベルで言える評言で、そういうのは徒労感しか残らない。

 渡瀬草一郎『空ノ鐘の響く惑星で』が完結した。最終巻は普段より厚みのある分量の大半をクライマックスのアクション・シーンに費やされ、それなりに力作にはなったものの、戦国絵巻を期待していた身としては、むしろ一連の<事件>に収束した展開に失望した。大局的戦略ゲームを期待していたのに、やってみたら地域限定的戦術ゲームだったという印象。えんえんと引っ張ってきた主人公を巡る三角関係も、娯楽小説としては肩透かしの、ある意味アンフェアな円満解決だし、悪役の親玉の顔についても謎はなんにもなかったことになっている。キャラの魅力にあふれ、世界設定にも力がこもった作品だけに残念。

 大局的戦略ゲームの魅力という点では、ひさびさの『七姫物語 第四章』はあいかわらず期待通り。『流血女神伝』『彩雲国』も同様の魅力を備えて快調に展開する。快調にどんどん本が出る『ゼロの使い魔』も艶笑コメディの背景には意外と大局的戦略ゲームが見え隠れしている。
 

○読書量が激減している割には古本屋通いの時間はそれなりに確保している。あいかわらず月に1万円前後は購入に当てている。ということは、毎月本が百冊ずつ増えているということなのだ。このところあまりめぼしい出物はない。岩波の新書サイズ箱入りクロス装『石川淳選集』全17巻というのが一番の収穫だけど、うち半分くらいは既に入手済。どれを持っているかよくわからないので全部買ってしまったので、またダブリ本が増えた。買ってる本の大半がライトノベル系の文庫本とコミックで、この前少し整理してみたら、コバルト文庫だけで400冊を超えていた。当面の悩ましい問題は、そろそろ百円の棚に降りてきた「ハリー・ポッター」「ダレンシャン」を始めとする翻訳児童ファンタジイ。買い集めると相当の場所塞ぎになるだけに覚悟を固める必要がある。
 購入本の3割を占めるコミック類はまあ全部読んでいる。ほとんどが再読なのと、時期はずれ、おまけに歯抜けで通し読みができていなかったりするものだから、あんまりここでとりあげづらいのです。


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