内 輪   第167回

大野万紀


 しかし毎日暑いですねえ。
 8月からしばらく東京方面へ長期出張となる予定で、梅田の例会にもなかなか出られなくなりそう。今年のSF大会も、参加予定だったのですが、ちょっと無理っぽいのでキャンセルしました。菊池さんのプログレ企画なんかもあって楽しみにしていたのに残念。 

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『蹴りたい田中』 田中啓文 ハヤカワ文庫
 『蹴りたい田中』というのは2004年に芥川賞を取った『蹴りたい背中』の駄洒落で、といったことを書かないとわからなくなる時代が来るのかしら。来る、きっと来る。本書は茶川賞受賞作と帯に高らかに謳われているけれど、茶川賞というのは芥川賞のもじりで、といったことも書いておかないとわからない時代が来るのかしら、いやそれはないだろう。本書は編集者(はっきりいって塩澤さん)と著者の共謀、いやコラボレートによるパロディというか、駄洒落小説集である。そもそもおやじギャグというのはほとんど麻薬みたいなもので、どれだけ白い目で見られてもひたすらおやじギャグを続けなければ生きていけないというおじさんを知っている。「赤い家」なんてのはそういう意味での大傑作といえるだろう。何て言うか、ほとんどすがすがしいじゃないですか。しかし、「吐仏花ン惑星」を「博物館惑星」と読ませるのは厳しすぎる気もする。ストイックだなあ。

『復活の地 1』 小川一水 ハヤカワ文庫JA
 小川一水の新シリーズは現在と同程度の文明をもつ惑星国家での、大地震による首都壊滅とその後の復興を描く作品である(今のところ)。人類があまたの星へ進出してから一度大崩壊があり、その後4百年かけて少しづつ復興しているという大きな背景がある。恒星間航行も復活しているが、それは宇宙の列強に支配されている。本書の舞台となるレンカ帝国は、最近南方のジャルーダ王国を倒して惑星の統一を果たした軍事国家である。その首都が突然の大地震に見舞われ、50万の死者を出す大惨事となる。国家機能は壊滅し、軍隊や生き残りの組織が様々な思惑を胸に、国家の復興に乗り出す。本書では主な登場人物が登場し、その方向性の違いが明白になり始めたところまでで、これから政治的な対立が描かれていくのだろうと思わせる。対立軸となりそうな二人の主要人物が現れ、無名だった若い皇女が帝国の表舞台に立たされる。実際に震災を経験した身としては、本書を読みながら、まだ自分の中であの経験が充分には客観化されていないことを思い起こされた。本書は災害小説ではなく、国家復興を描く政治小説なのだから、こういう反応はあまり適さないとは思うのだが、どうしても違和感を感じてしまったのだ。ポリティカル・フィクションとしても、指導者としての個人はしっかり描かれていると思うが、組織の描き方はまだ不十分と感じた。政治体制が違う、災害の規模が違うという理由はあるかも知れないが、実際の震災ではそれぞれの組織の中での自発的なチームがボトムアップな働きをして、それを地域のマスコミが横断的に支えていくという構造があった。トップの個性は重要だが、それだけで全てが決まるものではないように思う。しかし、星間の列強諸国も動き始め、これから大きな変動が起こっていくのだろう。続巻を期待して待ちたい。

『鎮魂歌(レクイエム)』 グレアム・ジョイス ハヤカワ文庫
 プラチナファンタジイの一冊。ファンタジーというよりは、ホラーであり、心理サスペンスであり、男女関係のどろどろ小説であり、死海文書をめぐりキリスト教の根幹を揺るがす伝奇小説であり、と盛りだくさんだ。でも結局は、破局に向かうとわかっていて進んでいく、どうしようもない人間の関係性をえぐった文学作品であり、ダークファンタジーだというのが正しいのだろう。というか、ホラーや伝奇を求めて読むと、ピントがずらされてしまって、いらいらすると思う。死海文書がらみの話などすごく面白いエンターテイメントになると思うテーマなのに、ごくあっさりと扱われ(小説のテーマには密接に関係しているのだが直接そっち方面へは発展しない)、エルサレムで主人公が出会う様々な怪奇も、まさに現実と幻想の狭間なのであって、解決が得られるわけではない。同様にイギリスでの事件の真相もまた。で、この結末では、パレスチナ人の学者のアフマドさんが(とても魅力的な登場人物です)ひどくかわいそうだと思ったのはぼくだけではないはずだ。

『パターン・レコグニション』 ウィリアム・ギブスン 角川書店
 2002年のロンドン、東京、モスクワを舞台にした現代のサイバーパンク。〈フッテージ〉と呼ばれるネット上にばらまかれた断片映像をめぐって、広告業界の狭間でフリーに生きるヒロインが、一種の探偵となって活躍する話。ビッグ・ビジネスが背景にあるので、あんまりパンクな感じはしないが(特にこのヒロイン、前半はハードな探偵っぽいイメージがあるのに、後半ではオタクというか、対象にメロメロな可愛い側面が見えて面白い)、例によって世界をアートとビジネス(経済ではない)という座標軸で切り取っており、まあそういうのもありか、と思わせる。とにかくひたすらブランド名やポストモダンっぽいタームが説明もなくまき散らされて、2002年の話だというのにまるでSF。星からの帰還みたい。コンピュータ系の用語もそう。パソコンが苦手だったというギブスンも今ではすっかりネットオタクなのかね。しかし、広告業界の人って、本当に世界をこんな目で見ているの? 自分や他人のファッションをこんな用語で表現するの? イヤな感じだねー。というわけで、前半は(ぼくには)とても読みにくかったのだが(でもストーリーは一直線でわかりやすい)、後半、フッテージの謎が一部わかって、舞台が動き出してからはすごく面白かった。とりわけモスクワの描写がいい。東京と違って、モスクワにはアイテムが少ないということか。9.11をめぐる物語は、想像したような方向へは進まず、ヒロインのローカルな世界(最後で多少広がりはあるが)に閉じていたように思う。しかし、ぼくの見落としたもっと深い面があるのかも知れない。なんせタイトルが〈パターン認識〉だからなあ。

『トンデモ本? 違う、SFだ!』 山本弘 洋泉社
 著者が愛するSFを熱く紹介する本だ。トンデモ本を強調しているが、中身はまっとうなSF紹介である。好みの差はあっても、海外SFファンにはうなずくところの多い、ちょっとマニアックな(でもとても納得のできる)作品が選ばれている。真剣なる〈バカSF〉を高く評価し、ニューウェーブや〈高尚な〉SFを敵視するような発言が見られる著者だが、でもデイヴィッドスン「あるいは牡蠣でいっぱいの海」も入っているし、スタージョンやデーモン・ナイトを評価し、ラファティが好きで、イーガンは現在最高のSF作家だという。本書でぼくとちょっと評価が違うかなと思ったのはラインスターくらいで(まあ好みの問題だろう)、そう、そのとおりだと同意できる意見が多かった。ただね、だからさ、熱くストレートに語るのはいいんだけれど、もうちょっと下品な言葉は抑えてほしかったなあ。ともかく、著者はよくSFを読んでいる。ひたすら懐かしいタイトルが出てくる出てくる。それだけでおじさんは嬉しくなってしまうよ。

『未来少女アリス』 ジェフ・ヌーン ハヤカワ文庫
 プラチナ・ファンタジイの新刊はジェフ・ヌーン。ベタなタイトルで、それっぽいイラストとくると、70年代ごろのちょっとポルノっぽヒッピー・ファンタジイのイメージが浮かぶ。テリー・サザーンはちょっと違うか。いや、本書はそういうパロディ風のものではなく、もっとストレートな不思議の国のアリス風ファンタジイで、1998年という未来のマンチェスターへその当のアリスが飛び込んでしまうというお話。でもこの未来世界は、動物と人間が混血してしまった不思議な未来で、その中で失われたジグゾーパズルのピースを一つ一つ探しながら、殺人事件に巻き込まれ、スリアという自動人形のアリス(本書の原題はこちら)といっしょにあっちへ行ったりこっちへ行ったりと、いたってアリス風な冒険をするのだ。ジェフ・ヌーンにしてはストレートなアリスだと思ったが、あちこちにいかにも作者らしいひねりが加えられているのは面白い。だが、本書は何よりも駄洒落小説であり、訳者がとんでもなく苦労しているのはわかるのだが、翻訳の駄洒落というのは、それだけが目的だとちょっとしらけてしまうのが辛いところだ。舞台裏であるべき訳者のがんばりが見えてしまうのだ。これが田中啓文だと、駄洒落のための駄洒落でも平気なのにねえ。

『シン・マシン』 坂本康宏 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 第3回日本SF新人賞で佳作入選した著者の書き下ろし長編。人間が部分的に機械化する奇病により、世界が一変した未来。機械化して、テレパシー的に情報共有できる人々が主流になり、主人公のようなその病気にかかっていない人間はスタンドアロンと呼ばれて社会から隔絶されている。鉄砲玉のような後先を考えない生き方をしていた主人公が、死の病に冒された弟を救うため、謎に満ちたこの世界の真相に迫り、七本の手部隊と呼ばれる奇怪な敵との闘いに飛び込んでいく。という話なのだが、もっとハードな話かと思ったら、超能力ありなんでもありの、アニメ/コミック/ライトノベル風の話だった。まるで山田風太郎の忍者小説みたいな、超絶的能力を持つ奇怪な敵が一人一人出てきて、一騎打ちする。そういう話だと思って読めば面白いし迫力もあるのだが、いくら何でもこの設定は無理だろうと思ったら、こう落としますか。でもそれは一番良くない落とし方だと思う。これでは鉄砲玉として生きてきたパワフルな主人公の闘いも、全てがむなしくなってしまう。無茶なら無茶でいいから、もっとストレートに描く方法はなかったのだろうか。あと、奇妙なルビはちょっと外しているように思えた。


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