内 輪   第157回

大野万紀


 遅れた夏、長かった残暑もそろそろ終わりのようです。阪神もリーグ優勝しちゃったし、これからどうなるのか、ちょっと不安。大地震とか来なければいいけど。
 9月21日、ガリレオ探査機が木星に突入し、その生涯を閉じました。燃料がなくなって制御できなくなると、生命がいるかもしれないエウロパへ落ちて環境を汚染するかもしれない、その前に木星へ突っ込ませるというのが理由だそうです。SFですねえ。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『沈黙/アビシニアン』 古川日出男 角川文庫
 『沈黙』と『アビシニアン』という長編2編の合本だ。『沈黙』は以前読んだので、『アビシニアン』を読みたくて買ったのだが、結局『沈黙』も読み返してしまった。以前読んだ時も思ったが、重く、読むのに時間のかかる、そして読書することの喜びを与えてくれる傑作である。軽やかであるにもかかわらず濃密な文章。沈黙では音楽が、音が、街の日常音が聞こえてくるし、『アビシニアン』では匂い、光と色、風や樹や雪の感触、温度といったものが感じられる。一言で言えば官能的ということだろうか。作者はそれを文章で、言葉で表現することの困難さに立ち向かっている。それも、詩の言葉というより、普通の日常的な情景描写によって。『沈黙』と『アビシニアン』。登場人物に一部重なりがあるが、対照的な小説といっていいだろう。文字により音楽を、歴史を作り上げる小説と、文字を失い、感覚と語りに返っていく小説と。しかし、読後感は相似である。ひどく観念的であるにもかかわらず、とても人間的な魅力に満ちた登場人物たちもそうだ。キャラクターにすごく惹かれる小説だけど、こういうのは「キャラ萌え」とはいわない気がする。『アビシニアン』の少女はまさに「動物化」しているわけだけど、そんな「動物化」の使い方はもちろん誤用なんだろうね。

『くらのかみ』 小野不由美 講談社ミステリーランド
 夏休み小説。児童向けのミステリー(超自然入っている)である。本家の跡取りを決める会合に大人たちといっしょに田舎へやってきた子供たち。本書はその6人の子供たち(座敷童子含む)が、相続を巡る事件(毒入りの食事、危険な沼への引き込み)を解決しようと、少年探偵団する話。小学4年生が、ちょっと頭が良すぎる気もするけど、座敷童子もいることだし、まあ、いいか。夏休みの田舎の雰囲気、筒井康隆に出てくるような複雑でだだっ広い古い家、そして子供たちと子供の視線で協力してくれる大人(おにいさん)の、わくわくする冒険が良く描かれている。ただ、登場人物が多く、事件の時系列も複雑で、子供が読むには難しいような気がした(途中でお約束の家系図や見取り図、時系列表が出てきて、ほっとした)。結末がハッピーでOK。

『UMAハンター馬子 闇に光る目』 田中啓文 学研ウルフ・ノベルス
 UMAハンター馬子シリーズの2巻目は新書サイズで出た。浪速のおばはんにして謎の芸人馬子と弟子のイルカが本書で出会うUMAは、雪男――ヒバゴンいやヒダゴン、グロブスター――これは謎の漂着生物のことだそうだ、チュパカブラ――謎の吸血生物である。あいかわらずイルカはひどい目に遭い、馬子は傍若無人で、ちょっと難しい駄洒落が飛び交い、不老不死にからむ謎の背景がほのめかされる。用語的にはクトゥルー神話へ結びつけようとしているのだけれど、単なる駄洒落にすぎないのかも。前回と同じく、UMAのミニ解説と、リアルな絵もついて、UMA図鑑にもなっている。何か食玩みたいな小説で、お買い得感があります。

『イリヤの空・UFOの夏 その4』 秋山瑞人 電撃文庫
 完結編。イリヤと浅羽の逃避行。誰もいない学校での猫との生活。ホームレスとの暮らし。本書の二人は、いかにも中学生の年齢相応に幼く、ごっこ遊びの楽しさと真剣さともろさが入り交じって、切ない夏の感覚を思い起こさせる。古い映画でも見ているようだ。もちろんそんな暮らしは長続きしない。警察に追われ、イリヤの精神が崩壊し、泣きたくなるような痛い時間がやってくる。そして結末とエピローグ。これはまあ、そうなるしかないわなあ、というものだが、もともと背景の動きをほとんど描かず、少年たちの視点からつづってきた物語だから、この大人たちの動きとのギャップを読者の思いに埋めさせようとしても、おそらくどこかに無理が生じるのだろうな。が、そうなってみると、イリヤの設定や背景が本書の、浅羽くんたちの物語にとって、本当に必要だったのかとの疑問もわくのだ。ボーイ・ミーツ・ガールの切ない物語に、SF的背景は何を付け加えることがあったのか。ヤングアダルトの、戦闘美少女のテーマとは何なのかを考えてしまう。とりわけ、このシリーズは典型的な設定にもかかわらず、ほとんど戦闘美少女しなかったわけで、オタク的小説からは遠い、普通の小説に戻っていったように思える。でも第2巻あたりまではかなりオタクっぽかったかな。

『第六大陸 2』 小川一水 ハヤカワ文庫JA
 こちらも完結編。月へ結婚式場を作ろうとする物語は、様々なトラブルを乗り越えつつ進行し、ついに死者が出て計画の延期も発生したが、なんとか大団円を迎える。というか、こうなるとやはりTVのプロジェクトXと同じで、成功に終わったプロジェクトを振り返って見ているような予定調和の感があり、そこがSFとしては物足りないなあ。作者もそれに気づいたのか(いやもともと考えていたのかも知れないが)途中で微妙に方向転換しており、SF的大ネタを持ち出してくる。これはこれで素晴らしいのだが、やはりこの小説で描くべきものではないように思う。こちらはほのめかす程度に抑えて、プロジェクトに専念してほしかった。このネタは別の長編になるべきものだ。もしこの「工程外付帯施設」がなかったとしても、本書が小説として成り立つようにすべきだったろう(本書が小説になってないとかいうのじゃないよ。念のため)。技術者への信頼感の故か、本書にはいい人ばかりが登場する。真の悪役はおらず、社会的側面が充分描き切れてはいない。プロジェクトの最大の問題は技術的側面より、社会的側面だったはずだ。少女の夢がプロジェクトを進めるのはいい。でもそれが社会の後押しを受け、人々の目が再び宇宙に向かい、星々への思いが多くの人に共有される、それが「第六大陸」の意義だったはずだ。そこが掘り下げられ、説得力のあるリアルな絵が描かれていたなら、本書は日本SFの誇り得る大傑作になっていたかも知れない。若い作者にはぜひもう一度挑戦してほしい。次は第7大陸、火星だ!

『微睡みのセフィロト』 冲方丁 徳間デュアル文庫
 2002年の書き下ろし作品。『マルドゥック・スクランブル』で知った作家なので、水鏡子ほど徹底してはいないが、以前の作品を読んでみたくなった。超能力を持つ新人類と旧人類の間に大陸の形も変わるような大戦争があった後の地球。新人類は闘いに敗れたが、超能力者たちはまだ社会の中に大勢残っている。その残党が起こした奇怪な事件を、新人類の女王の娘であるヒロインと、改造人間である主人公が、その能力を駆使して追っていく。なるほど、『マルドゥック・スクランブル』に通じるところの多い小説だ。本書では短いこともあるが、主人公二人組がスーパーすぎるし、そもそも超能力が強烈すぎてバランス的にはきわどすぎる。でも、それをちゃんと面白いSFハードボイルドにまとめて、きちんとオチも決めているのは立派だ。バランスという意味では『マルドゥック・スクランブル』でもそんなものほとんど無視しているし、書きたいことをとことん突き詰めて書くという(そしてそれが読者をぐいぐいと引っ張っていく)姿勢が明白だ。本書にもその傾向がはっきり見られる。

『忘却の船に流れは光』 田中啓文 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 田中啓文の本格SFである。ダンテの『神曲』から取られたタイトル(そして英語タイトルTHE CITY AND THE STARSはもちろんクラーク)のように、地獄図そのもののグロテスクな世界描写は確かに田中啓文だが、この世界は駄洒落ではなく、SFのアイデアで成り立っている。高校二年生の時に思いついたというネタは、きっとこのことに違いないのだが、外れたらかっこ悪いので書かないが、まさにSF少年の考えるネタである。で、そのことが同じ元SF少年として嬉しい。ちょっと恥ずかしいけれど、嬉しい。そういうわけでアイデアは(その大枠は)比較的早い段階で悟れてしまうし、話の進め方にややぎくしゃくしたところはあるのだけれど、これまでの著者の作品で一番好きな作品となった。

『黒娘 アウトサイダー・フィメール』 牧野修 講談社NOVELS
 異形コレクション収録の「めいどのお仕事」もそうだったが、作者は強い女性の大暴れする話が好きみたいだなあ。いえ、別に他意はありません。とにかくひたすらスプラッターに男をぶっ殺す美女と美少女。しかしそれが正義の味方に見えるくらい、悪い男がいっぱい出てくる。男性優位主義の秘密結社で、女をレイプしては残虐に殺してしまうやつら。ポルノ的な要素よりは無惨さ、嫌悪感がが勝っていて、エッチなだけの普通の男が出てくるとほっとするくらい。というか、この秘密結社はちょっとオカルトがかっていたり、やることが度はずれてはいるが、ここに描かれる男から女への理不尽な暴力はまさに胸の痛くなる現実であり、本当に存在することだからである。だから、黒娘の活躍がリアリティの彼方にあっても、それでバランスがとれてしまうのだ。

『せちやん 星を聴く人』 川端裕人 講談社
 血みどろの物語のあと、さわやかで切ない物語を。これは孤独と寂しさの物語でもある。「せちやん」と呼ばれる山の上の一軒家で世を捨てて星の声を聴いている大人と、彼と関わった3人の少年。その内の一人、天文と自作プラネタリウムに興味を持ち、出回りだしたばかりのマイクロコンピュータ・キットにはまり、理工系の大学に進み、初恋に破れ、システム金融の世界に入って頭角を現し、やがてITバブル期の大物の一人となったものの……という男の回想である。部分的に(前半のごく一部だが)ぼく自身とも重なるところがあり、懐かしい気分になった。理科系少年の幸福ってやつですか。大人になっても、彼は好きなことをやって、しかも大成功者じゃないですか。挫折後の話だって、ぼくら凡人にはうらやましいとしか思えない。あなたは「せちやん」になりたいと思いませんか。つきまとってくるオカルト系の連中が気持ち悪すぎるのと(ちょっとオタクへの悪意を感じる)、リアル世界の誰かと登場人物のイメージがかぶってしまう(例えばITバブルとその破綻のあたり、例のA社のNくんとか)のが難点だが、とても面白かった。


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