内 輪   第152回

大野万紀


 イラク戦争終結。でも本当に戦争は終わったのだろうか。それとも新たな大戦の始まりなのだろうか。その昔イヤになるほど聞いた「アメリカ帝国主義(ベーテー)」という言葉が、今こそぴったりくるように思う。SARSの流行といい、その昔のSFが、また違った意味で(というか、わりとストレートな感じで)現実に浸透してきたような錯覚を覚える今日この頃です。
 2台あったビデオの1台が調子悪くなったのを機会に、とうとうHDD-DVDレコーダーを購入しました。東芝のRD-XS40です。ハードディスクが120Gあるし、ネットワーク接続できるし、P社のより安いし、ということで決めました。まだ使いこなすのはこれからですが、とりあえず便利です。DVDに残すというより、ディスクに取っておいて見たら消すという使い方が中心になりそうです。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ハグルマ』 北野勇作 角川ホラー文庫
 北野勇作の長編だが、ホラー文庫。ゲームと現実がフラクタルに混じり合う、パラノイアックな恐怖が描かれた小説。けれども、そこにはハグルマという、エディアカラ生物群の遙かな子孫かも知れない生物(あるいはその怨念)が存在している。そしてあからさまな女性恐怖。いつもの作者と同じような気分もあるのだが、より悪夢に近い雰囲気がある。悪夢ではあるが、恐怖やホラーというのとも少し違う、不定形な不安と足元がふらつくようなふわふわした非現実感が漂っている小説である。

『不死鳥の剣』 中村融編 河出文庫
 ヒロイック・ファンタジーの短編集。中村融の独自編集により、ダンセイニからハワード、ムーア、カットナー、ライバー、ヴァンス、ムアコックらの8編が収録されている。後一人はニッツィン・ダイアリスで、ぼくはこの人は知らなかった。まあそんな傑作とも思わなかったが。ムーアがいいねえ。ムアコックもいい。こういう、雰囲気で読めるタイプの話はともかくとして、ヒロイック・ファンタジーを短編で読むともう一つという気がしてしまうのは、ぼくがそれほどファンじゃないからなんだろうか。

『イエスのビデオ』 アンドレアス・エシュバッハ ハヤカワ文庫
 ドイツのSF。イスラエルの発掘現場で、イエスの時代の遺骨からビデオカメラの取扱説明書が見つかった。発掘のスポンサーはメディア王。もしイエスを撮影したビデオが見つかれば大もうけ。というわけで、やたらと突っ走るヒーローとヒロイン、いかにも悪役っぽいメディア王とその私兵部隊、バチカンの秘密組織と、まさにベストセラー、エンターテイメントらしく話が進む。エンターテイメントとしては、ある意味ありきたりな展開なのだが、時間旅行がからむのでSFファンにも面白く読める。ではなぜSF文庫じゃないの、といったところから、先走った想像をしてしまう人も多いだろうが、うーん、確かに根本テーマにからむのであんまりはっきりいうわけにもいかないが、SFレーベルで出てもかまわなかっただろう、とだけはいっておこう。何より、作者を思わせるドイツのSF作家が登場するのがいい。この人物がありきたりな展開になるのをセーブし、面白い役割を果たしている。SFファンが感情移入できるのもいい。この結末も、派手さはないが、よくできた結末だと思う。訳者後書きによると、作者は色々なSFを書いているようで、他の作品もぜひ読んでみたいと思った。

『ゲートキーパー 下』 草上仁 ソノラマ文庫
 下巻が出ました。上巻のラストのとんでもない大ピンチから、なるほどこんな展開になりますか。そんな無茶なといえば無茶だが、それらしいといえばそれらしいと納得できる。大勢の登場人物がうまくからまりあって、でも壮大なグランドフィナーレになるかと思うと、そうもならない。脱力感というんですか。まあ、いいんじゃないでしょうか。まとめ方はこれでもいいと思うし(もっと平凡な方が彼ららしかったとは思う)、登場人物たちのキャラクターがとにかく最高なんで、面白く読めたのだが、最大の謎の解決が、これではちょっと物足りないと思う。というか、よくわからない。ハードSFっぽい解決を求めるわけではないが、ちょっと中途半端ではないのだろうか。

『ファントム・ケーブル』 牧野修 角川ホラー文庫
 短編集。表題作は書き下ろしだが、独立した作品というより本書全体の枠組み小説という形式になっている。人々の悪意やら残虐さやら嫌悪や憎しみといった負の感覚がひたすら強調される、気持ちの悪い、後味の悪い小説が多い。ただ、そういった生な感情を描くのが中心で、小説としての完成度はあまり重視されていないように思えた。「ヨブ式」と「死せるイサクを糧として」の、聖書を題材にとった二編が特に印象的だった。


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