内 輪   第150回

大野万紀


 スペースシャトルの事故、クローン羊ドリーの死と暗いニュースが続きます。と思っていたら韓国の地下鉄火災やアメリカのクラブ火災と、100人単位の死者が出る大事故が。早く春が来て、ぱっとしないですかねえ。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『夏のロケット』 川端裕人 文春文庫
 文庫化されたので読む。川端裕人のデビュー作で、ぼくのまわりでも話題になった本だ。高校時代にロケット打ち上げの魅力にとりつかれた5人が、30を越えてから本格的なアマチュアロケット打ち上げに挑む。プロジェクトとしてきちんと手順を踏んで進めるというわけで、裏プロジェクトXという感じ。過激派にからむサスペンスもあり、面白く読めた。もちろんキメはこういうロマンティシズムに乗れるかどうか、ということで、普通に「他人にはくだらないことに見えても趣味に打ち込む男のロマン」というレベルでとらえるのではなく、あくまでも「宇宙へ行きたい」「ロケットを飛ばしたい」というレベルに燃えることができるか(萌えの字は禁止)、本書の中で引用されているブラッドベリ『火星年代記』のフレーズに、今となっても感動できるかということだろう。ちなみにぼくはOKでした。でもね、これだけのプロジェクトをどうして秘密に行おうとするかなあ。

『真空ダイヤグラム』 スティーヴン・バクスター ハヤカワ文庫
 ジーリー・クロニクルの2冊目。AD1万年からAD400万年ごろまでのお話。というだけですごい、わくわくとなるのだが、ここに収録された短編・中編はわりと内容的に連続したストーリーとなっていて、それが見捨てられた人類の末裔たちの物語となっている。だから読後感としては『天の筏』や『フラックス』につながるものがある(ずばりその続編となっている物語も含まれる)。そして、全宇宙を見渡す神のような視点の存在。SFだー! しかし、世界設定の背景はいかにも説明不足であり、解説を読めば少しはわかるが、本当に面白さを知ろうと思ったら少なくとも『時間的無限大』と『虚空のリング』は読んでおいた方がいい。そうすれば、滅び行く宇宙(バリオン宇宙!)の中での絶望的な闘いと、人類の末裔たちの日々の営みとの対比がくっきりと浮かび上がるだろう。

『網状言論F改』 東浩紀編 青土社
 ポストモダンとオタクとセクシャリティに関する評論集。といっても討論会の記録とパネディスとそれらに対する補遺からなるので、読みやすい。読みやすいのだけれど、あんまりわかった気にならないのは、ここで論じられるオタクというのが(そもそも「おたく」じゃないし)ピンとこないためだろう。「萌え」というのもよくわからないしなあ。いや、わからないわけじゃないと思うのだが、実感を伴わないのだ。「女性のオタクはときに「やおい」と別の名で呼ばれている」なんてのは、そもそも事実誤認でしょ? おねーさん。精神分析というのがもともとぼくには謎の領域だし、ギャルゲーの話なら水鏡子はわかるのか?(でも今のギャルゲーはエロじゃなくて、泣きゲーなんだそうだし、やっぱり謎)セクシャリティに関する話題は興味深く、小谷真理の突っ込みはいい感じだ。彼女はやっぱり「こっちの人」という感じ。まあ、東浩紀、小谷真理、斉藤環のディスカッションはエンターテイメントとしてとても面白いのだけれど、内容はやっぱりわかんないよー。ぼくが持つ「おたく」のイメージは吾妻ひでおの時代で止まっているので、「オタク」のことはわからなくてもいいのかな。

『霊玉伝』 バリー・ヒューガート ハヤカワ文庫
 『鳥姫伝』に続く中国風ユーモアファンタジー。前作が結構面白かったので期待したのだが、今回はちょっと取っ散らかりすぎ。老賢者と主人公の若者が難事件を解決しようとして、過去の因縁とからまっていく、というミステリ仕立てのストーリーだが、かなりわかりにくい。物語は面白く、奔放な美少年と美少女のカップルや、芸術家の君主、果ては地獄巡りまであって楽しめるが、古代の暴君にまつわる謎の「石」の物語が、結局何か煙にまかれている感じで、すっきりしない。舞台が大げさなわりにはつまらなかった。ここは唐代の中国ではなくて、それに似た別世界とはわかっていても、『紅楼夢』や『金瓶梅』が出てくるのにはやっぱり興ざめする。しかし訳者はよくがんばっているなあ。これだけ漢字に訳すのは大変だったろう。

『坂崎幸之助のJ-POPスクール』 坂崎幸之助 岩波アクティブ新書
 SFとは関係ないですけどね、アルフィーの坂崎幸之助さんの30年前の日本フォークシーンに関するマニアックな思い出本。おたくというのとは違うが、マニアの心は同じなのだ。坂崎さんとはほぼ同世代(ぼくが1年上か)。この本にあるフォークルや五つの赤い風船、URCの頒布会とか、ほとんど同じような体験をしている。とても懐かしい。坂崎少年の中学・高校時代の話も、うんうんとうなずいてしまうのだ。

『陋巷に在り8 冥の巻』 酒見賢一 新潮文庫
 文庫版。美少女・、に取り憑いた妖女・子蓉の満月の魔力を利用する媚術。医げい(鳥に兒)による救出作戦が始まった……。というわけで、前回の続きだが、これが延々と続くわけですね。エンターテインメントとしてどうかと思うのは、迫力ある描写の後に、儒教や中国の医術などに関する話が実に悠長たる調子で続くわけだ。顔回は医げいの術によって、なかなか魅力的な女神といっしょに冥界への旅に出るのだが、これがまた進まない。ほんの20歩を進むのに何十ページかかるのか。というわけで、ちっとも終わらない。早くこの続きが読みたい。

『帝国海軍ガルダ島狩竜隊』 林譲治 学習研究社
 太平洋戦争中の南太平洋ガルダ島。敵からも味方からも隔絶したこの島に取り残された日本軍の部隊にとって、食糧確保が最大の問題だった。そんなおり、ふとしたことから発見された「通路」の奥に、なんと恐竜のすむ世界があった。という話。設定の妙といえるだろう。ある意味とても古典的なロストワールドものだが、様々な限定条件により、おおげさな話にならないよう、奇想天外ではあるが、もしかしたらそういうこともあったかも知れないとふと思わせるような、そんな話に仕上がっている(狩竜隊というのがいいねえ)。その意味では、SF的な(宇宙紐理論なども出てくる)説明はもっとあっさりしていても良かったように思う。後半に出てくる種族のアイデアはちょっと中途半端で逆に説明不足だ。ここから(バクスターのような)大きな話に発展させることもできるだろうが、本書の趣にはそぐわないだろう。

『オタクの迷い道』 岡田斗司夫 文春文庫
 99年に出たエッセイ集と、唐沢俊一、宮脇修一(海洋堂)との対談を収録。テレビブロスのエッセイは、面白いけど、短いし、はあそうですかという感じ。でもここで描かれるオタク像というのが、いかにもではあるけれど、ちょっと違和感があるのは、対談の方でよりはっきり出てくるが、オタキングを名乗る本人にも、これがオタクだという客観的な定義がないのだね。世代論で逃げようとしているが、最終的には自分はオタクとはいえないなどと言い出している。定義できそうでできない「オタク」像というものは、彼ら「第一世代」が作り出したある意味戦略的な幻想なのかも知れない。東浩紀のように現代のサブカルチャーシーンのかなり大きな部分を「オタク」という言葉で捉えようとする時(というか、岡田らがやろうとしたのも方向性は同じなのだろう、自分たちを含めてのアニメやSFやフィギュアのファンの、いかにもな生き方にちょっと自虐的な韜晦を含めて積極的な意味づけを行っていこうという)、名前を知っている個人や、サークルやコミケ、SF大会といった場を共有する「あいつら」という意味のきわめて主観的な「オタク」と、食い違いが発生するのは必然といえるだろう。なんか、そういうのは普通にSFファンとかアニメファンとか、鉄道マニアとか、恐竜マニアとか、そういう言い方でいいんじゃないかなあ。オタクというのは、面白いけど日常生活的にはあんまりお友達になりたくないタイプの、ちょっと困ったちゃんという「暖かい目で見守ってあげたい」存在にとどめておいた方が混乱しないのでは、というのがちょっと古いかも知れない50前のおじさんの意見です。


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