みだれめも 第151回

水鏡子

 


○飛浩隆『グラン・ヴァカンス』
 「力作」という言葉には、僕の場合、若干の否定的評価が混じる。構想は、稀有壮大で、よく考え抜かれた構成で、ひとつひとつのシーンは美意識に彩られている。『ヴァーミリオン・サンズ』やディレイニーを連想させる道具立ては世代的共感を呼び覚ます。けれどもそんなこんなが一体となって立ち上がる世界のたたずまいには、いまひとつ過去の素材を借り受けたようなひよわさが感じられた。どこか作者の技術や頑張りのほうに気がいって、キャラの目線と一体化して小説世界を覗き込む快感を味わうことができなかった。出会った時期の問題も、たぶんあるのかもしれない。ここしばらくくりかえしてきている、エロゲー文化と国際情勢の場で共通する、「力を持つものが力を行使することへの憧憬」、ほとんど低劣な性的動にしか見えないものへのの反発が、相乗作用を起こして、小市民的ヒューマニズムに気分が大きく傾いでいるのだ。
 うーむ、エロゲーのほうは性衝動であるのはあたりまえか。むかし、エロゲーをはじめて手にしたとき、コンシューマー・ソフトが、いかに商業的小市民倫理に縛られて、物語性をゆがめられてしまっているかと、目から鱗が落ちたような発見と解放感を味あわせてもらったのだが、このところ、受け手に対して製作者が、ねじれず素直に「愛」や「正義」といった言葉を、お題目のふりをしながらじつはけっこうマジで語ることができるメディアは、小学校高学年をメインターゲットにしたコンシューマー・ソフトの世界だけではないかという気がしてきている。コミックやライト・ノベルでさえ苦しいような気がする。そういう意味で最近やったソフトのなかで秀逸だったのは「サモンナイト2」。語られる言葉にお題目でない内実を感じた。
 『グラン・ヴァカンス』の場合、悪魔的美学の開陳がそこここに見せ場としてあって、今の気分はそういうものから3割方距離を置きたい気分が勝つ。全体の構想もまだ暗示されてるだけだし、長編1冊そのほとんどが美しく描き出されることを目的とした戦闘シーンの連続で食傷した面もある。
 力作。

○高野史緒『アイオーン』
 数学的思考が「黒数字」と呼ばれ禁忌された世界でその探求を乞う男が断罪される物語、ル・グインの「マスターズ」というのが、アンダースンなんかと同様、SFの基本形を作品のかたちで示したもののひとつであると思っている。
 だから「マスターズ」の雰囲気を濃厚に漂わせた第一作からはじまる本書は、そのラインから逸脱せず、じっくり書き込んでくれれば、それだけで、読みきる前に自動的に一定の評価ができてしまう。教科書的安心感のあるパラレル・ワールドもの。欠点は、よほど密度が濃くないかぎり、読みたいものを読まされる型どおりの満足感に片づくところ。「太古の王、過去の王にして未来の王」とその流れの物語が全体の基調を中途半端に壊している。設定の基本的な弱点は、東方の科学文明をこの時代まで破壊せずに温存したことで、温存するなら、ヨーロッパを保護隔離地域とでもすべきだったろう。堅牢になるはずだった世界を、悪い意味で漫画的で薄っぺらくしている。
 それでも総体としては今年の収穫。

○佐藤亜紀『天使』
 なんなんだのラストだけれど、そこまでは佐藤亜紀の密度のある文章を堪能した。もしかしたら三部作の第一部かなんかだろうかという気がするような尻切れトンボ。第1次大戦直前のウィーンを舞台にした『超能力エージェント』。うーむ。ウィルスン・タッカーの話が思い出せない。主人公の超能力の行使の描写は、たとえばスタージョンの『人間以上』のローンや、先日紹介したブラッドベリの「四月の魔女」のシシーの描写を連想させる、古風だが質感のある描写で、その筆力はスタージョンやブラッドベリを凌いでいる。そんな描写が硬質の人間図式の間に溶け込み少しも浮きあがらないのからたいしたもの。とってつけたような結末に不満は残るが、そこまでの評価は、かなりの傑作。

○機本伸司『神様のパズル』
 とりあえず、来年版のSFベストの暫定1位。ついでにいうなら10月までの発行だったら、文句なしに2002年のベスト1に推していた。小松左京賞第3回受賞作。巨大プロジェクトの発案者にして、現在精神的に煮詰まり状態になっている天才少女と同じゼミに加わることになった主人公たちが、「宇宙は作れるか」というテーマを卒論に選んだことから始まる大事件。軽快な学園青春小説の作法の中で、物理学の講義がなされ、統一場理論が解明され、宇宙が破滅の危機に瀕する。エンターテインメントの安心できる枠組みのなかで、アカデミズムの体系的知識が開陳され、その論理に基づく世界の仕組みが明らかにされ、その問題と深くかかわることになった薄幸の少女の魂が救われるという展開は、じつは京極堂と相通ずる、SF的傑作の黄金律のひとつであると、さっき気づいた。たいへんな物語を、深刻ぶらずにかろやかに駆け抜けるけど、最終的にそのほとんどが有機的に関連づけられるエピソードの数々もけっして少なくない量だ。それらが、へんに偏ることも重くなることもなく、分をわきまえるバランスのよさはみごとといっていい。
 「フェッセンデンの宇宙」をみずから引き合いに出しているように、なんとなく全体に読みたかったものを読まされたみたいな見覚えがある印象が残る。小説を読んだ直後には、新しいもの、志の高いものを読んだといった、傑作特有の高揚感が湧いてこない。いい小説を読ませてもらったといった共感の方が強い。咀嚼しているうちに、これはやっぱり傑作だろうと思う気持ちがどんどん強くなってきた。逆の場合が多いのに。
 科学がだめな人間なので、統一場理論の部分がどこまでりっぱなものなのかよくわからない。すごくりっぱにみえるけど、とりあえず大野万紀か菊池誠先生に聞いてみよう。
 もしもほんとうにりっぱなものであるのなら、それを全面に押し出さず、こういうかたちで小説に使った作者のバランス感覚も、これまたすごい才能でないかと思うのだ。


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