SFセミナー2002レポート

大野万紀


 SFセミナー2002は、5月3日、4日に東京で開催された。お茶の水駅から歩いて全電通労働会館へ到着。ディーラーズ(というかロビーだが)で、のーてんき武田さんが、『のーてんき通信』を売っている。ちょうど読んだばかりだったので、あれこれと立ち話。あのころの話は、他にもいろんな人にいろんな観点から書いて欲しいなあと思う。
 さてホールへ入り、前の方の席に陣取る。新しいデジカメを取り出し、3倍ズームの威力を試してみる。しかし、こいつストロボが暗いのか、前のサンヨーのデジカメの方が明るく撮れたような気がするぞ。ソフトでだいぶ補正しないといけない感じだ。ホールの奥に巨大なちよ父のぬいぐるみがいたのに、真っ暗になって写らなかった。
 以下、敬称略で失礼します。

SF入門というジャンル 巽孝之・川又千秋・牧眞司・小谷真理 司会/野田令子

これは本来SF作家クラブ編「SF入門」について裏話などを語る企画のようだった(小谷真理が原稿を集める時の苦労話とか、締切当日にボンベイから手書きFAXされてきた原稿の話とかをしていた)。しかし、巽孝之の総括「これは読み手のためよりも、未来の書き手のために、作家が語る、作家の視点による入門書である」があり、そこからこの本を入門書として読もうとした読者の違和感に対する、作り手側からのアピールとなったようだ。例えば、筒井康隆は「アルフレッド・ベスターの『宇宙船ビーグル号』」という文章を一度発表した後、訂正する機会があったにもかかわらず訂正はしなかった、などと、作家による批評というものの特殊性を指摘していた。とはいえ、牧眞司がスライドで過去のSF入門書(SF入門書でなく評論集やエッセイも混ざっていたが)を色々と紹介しはじめると、後はほとんど「SF入門というジャンル」の歴史を語ることに終始した感がある。川又千秋の「SF入門というジャンルはそれ自体が面白く、例えば『SF英雄群像』で紹介されている作品をわざわざ読む必要はない。またSFスキャナーはそこで紹介されているものの実態はどうあれ、読者に夢を与えてくれた」という発言も面白く感じた。

かめ、くらげ、たぬき、北野勇作 北野勇作 聞き手/尾山ノルマ

次の「かめ、くらげ、たぬき、北野勇作」は、日本SF大賞を受賞した北野勇作との対談。司会者(尾山ノルマ)がだんだんと大阪弁になっていくのが面白かった。理系といっても英語が苦手だから理系を選んだというだけ、とか、小松左京の短編が好きで「Happy Birthday to」が大好きとか、高砂出身だとか、甲南大にはSF研がなく、ひょんなきっかけで落研に入ってしまったとか、就職した酒問屋ではフォークリフトを運転し、西宮からの帰りに三宮の喫茶店で毎日毎日数年間小説を書き続けたとか、震災で今の奥さんの実家に転がり込み、そのまま居候していたとか、そういった雑談がとりとめもなく続いた。面白い話は聞けたのだけれど、作品の中身については時間切れで、おそらくそれは夜の部に引き継がれたのだろう。しかし、考え方によっては、このようなとりとめなさこそが、彼の作品の特徴であるともいえる。そこに流れている時間(それは一部分ぼくらも共有していたものだろう)が、まさにあの世界に流れているものなのである。

立ち上がれSF新レーベル! 編集者パネル 大野修一・塩澤快浩・中津宗一郎・保坂智宏 司会/小浜徹也

小浜徹也@東京創元社の司会による編集者パネル。徳間の大野修一、早川の塩澤快浩、祥伝社の保坂智宏、角川春樹事務所の中津宗一郎が出席。まずはハルキ文庫。塀の向こうの角川春樹が最近『指輪物語』の差し入れを求めたとの話から始まり、過去のSFの復刊が若い層まで浸透していかないとか、小川一水あたりからどうやらYAとSFの両方の読者に届くようになってきたとか、小松左京賞との連携を考えていくかどうかはまだ未定とか。続く徳間は、SFって青春小説ではないだろうか――世界なんて滅んじゃえという思春期の感性を重視している、との自身SFファンだった大野の感想があった。電撃や、講談社ノベルズみたいな路線を目指しているという。祥伝社の400円文庫では、戦略的ということではなく、色々と声をかけたら結果的に現時点の面白い若い人たちはSFを書いていた、とのこと。ハヤカワはJコレクションを立ち上げたが、創元もミステリ以外の日本作家を出していく予定という。原稿は持ち込んだらちゃんと読んでもらえるのかという会場からの質問に対し、忙しいのでなかなか読めない、できれば(新人賞など)正規のルートを通した方がいいとの答え。翻訳物については、英語のわかる編集者がいればできるのだが、いないところでは難しい。そして最後に本の値段が安くならないのは売れないから。もっと買ってくださいとの呼びかけで終わった。

小説の可能性を求めて――奥泉光インタビュー 奥泉光 聞き手/鈴木力

鈴木力によるインタビュー。奥泉氏はひとなつっこそうな紳士で、大学教授のような雰囲気。以下、奥泉氏の語った内容を記す。『鳥類学者』はジャズを中心に描いた肩の力を抜いた作品。ジャズは演奏している人間が一番楽しい。同様に、リラックスして自分自身が楽しいスタイルで書いてみた。もともと推敲する時は元原稿から彫刻を作り出すように徹底的に直すのだが(これはクラシック的)、今回はアドリブ可、間違ってもOKというジャズ的スタイルで書いてみた。タイムトラベルについては、これは1945年のNYのミントンズのセッションに主人公が行く話を書きたかったので、時空を越えられるSF的しかけを呼び寄せたものだ。時間SFが好きだが、本来物語では時空を越えられる方が自然だ。「今日、お茶の水の駅に降りた。それから6万5千年たった」というような叙述を考えてみよう。ナチスに関しては、ジャズとの対比で数学的かつ非感覚的な音楽世界を表現した。女性主人公に関しては、他者の声で語ることと、明るいものを表すために呼び込んだ。女性読者にも読んで欲しいということもある。タイムトラベルによって一人称と三人称が混交するが、一人称の勢いと三人称の距離感の両方を満たしたかった。日本語で三人称小説を書くと嘘くさくなる。無人称から三人称に移る時に抵抗がある。「(色々と無人称の描写があって)義彦は、」とくると義彦って何だよとなる。それから猫について。猫は面白く、自己パロディに使える。自分勝手な感じで、何も説明しなくて良いのがいい。それが猫の記号としての意味である。犬はもう少し論理性を要求される。奥泉氏の3作品は猫でつながっている。もう一つ言えば、古代エジプト以前にあった猫文明の世界とも……。上海、ニューヨークはジャズの地下水脈でつながっている。そして戦争の歴史へのこだわり。文体へのこだわり。内容2割、文体8割で、内容よりもスタイル・構成を考えている比重の方が大きい。またSFを書こうと思っている。すごい誰も見たこともないようなアイデアが欲しいが、それは難しいので、むしろ文体・スタイルが重要となる。ひらがなはあまり好きじゃない。4文字熟語は大好き。小栗虫太郎や夢野久作は好きで、影響もある。その過剰性、完成度をぶち壊すようなエネルギー、パワーに関して。SFは単純に好きだ。小説を面白くする技術や要素、イメージはどんどん取り入れたい。イーガンは何が書いてあるか良くはわからないが好きだ。ハイペリオンはすごく面白く、感心した。普通の講演会などではダン・シモンズといっても誰もわかってくれないが、ここでは通じるので嬉しい。SF的な新しさや内容より、重層的な語りの力が大きい。最新科学から出てくる、今まで誰も見たことのないようなアイデアを読みたい。それはぜひプロパーなSF作家に書いて欲しい。ホーガンも好きだが、ホーガンが好きだというとバカにされる。でも大変面白かった。SFで辛いのは、未来の社会システムがきちんと考察されておらず、テクノロジーは新しいのに出てくる人間がただのアメリカのおっさんだというようなもの。その点レムはやっぱり好きだ。純文学は小説の可能性を拡張するものだと思う。小説の可能性、言葉の可能性を。言葉で、これまで考えたこともないようなことを考えることが出来る。新しい意味の創生。究極の小説というものはない。それを読むと終わるような言葉はない。会場からの質問で、純文学コンプレックスについてどう思うかというものがあったが、そんなこと考えても仕方がない。良い小説を書くにはそんなことで悩んでも役に立たないとのこと。奥泉氏は間違いなく言葉と文体を何よりも重視する純文学の作家でありながら、SFへの愛と興味は本物で、新しいものをどん欲に探ろうとする作家だった。鈴木力のよく下調べのできた的確なインタビューにも拍手。今回のセミナーの最大の収穫だった。

合宿企画

大広間 SF十段 MF(数学小説)について語る部屋
古本販売 ほしのこえをきけ〜「ほしのこえ」上映会 GAINAX武田氏も加わって話がはずむ
オタク第3世代は、本当に動物化しているのか? 東浩紀さん、永瀬唯さん、新海誠さん 朝の大広間

 水鏡子、中村融、大森一家、三村美衣、早川の阿部さんらと夕食。ソバ屋でおいしい天ぷらそばを食べる。そしていつものふたき旅館へ。
 合宿企画はまず「SF十段」。京フェスでもやったような企画だが、SFの推薦作を出しあって対決し、トーナメントで優勝を決めるもの。ぼくは大森望『時間衝突』と『楽園の泉』で対決したが、2分のプレゼンテーションの時間配分を間違えて失敗し、負けてしまった。優勝は日下三蔵。でもルールが徹底していなかったり、プレゼンテーションが準備不足だったりで、今回はもう一つ盛り上がらなかった印象。
 それから「MF(数学小説)について語る部屋」へ行く。ここには奥泉さんもいた。オロモルフ号の話とか、マーチン・ガードナーの数学ゲームの話とかしたが、これはもっとじっくりと聞いたり話したりしたかったと思う。
 次はどこへ行くか迷ったが、「ほしのこえ」上映会へ。これは良かった。映画そのものは突っ込みどころが多く、そもそも宇宙や人型兵器が出てくる必然性をほとんど感じなかったのだが、新海誠さんの真面目そうな人柄が好ましく、会場での武田さんやガイナの連中、それにアニメージュ編集長でもある大野さんとのやりとりも面白かった。
 次に「悪魔は死んだ〜ラファティ追悼」に行くが、酔っぱらった浅暮三文さんの発言でなかなか話が前に進まない(それはそれで面白かったのだが)。ラファティが本質的には素朴なカトリック作家であり、われわれが面白いと思う作品は、実はデーモン・ナイトやテリー・カーの力が大きかったのではないかといった指摘が面白かった。
 それから深夜になってもまだ続いていた「オタク第3世代は、本当に動物化しているのか?」の部屋へ。もっとも、もうその話題は終わっていたみたいで、酔っぱらった東浩紀さんが、志村くんや水鏡子と議論していた。それは震災の3日後に横浜の予備校で教えていた東さんが、震災のことを知らず神戸がどこにあるかも知らない高校生に「日本人ならそれくらい知っておけ」といってしまったが、これは小林よしのりと同じ論理だとして、共感の範囲とか、そのよってたつべき論理についての議論だった。それに対し、神戸がどこにあるか知る必要はないが、震災の被害と被害者についての共感はもつように教育したいと、教師であるみらい子の発言。その後また酔っぱらいの浅暮さんや酔っぱらいの永瀬さんの批判的な発言があったが、酔っぱらいの東さんはそれを無視しないでループしながらも論じていく。何だかめちゃくちゃ面白い。どうも90年代のIT革命が重要で、そこから社会が変わるのだという認識があるようだ。このあたりはもっときちんと聞きたかったが、こういう雰囲気での議論もまた楽しからずやだ。もっと聞いていたかったものの、眠くて4時すぎには退散。
 7時半くらいには目を覚まし、大広間へ。東さんは新海さんがマックで映像を作っているところで永瀬さんらとまだ議論していた。本当にタフだなあ。スタッフ紹介のエンディングの後は外に出て、マクドナルドで朝食。きのうの東さんとの議論の話などを水鏡子や冬樹蛉らとしていた。すると突然東さんが現れてびっくり。奥の席で寝ていたのだろうか。

 今年のセミナーもとても面白く有意義だった。スタッフのみなさん、ごくろうさまでした。来年もよろしくね。


THATTA 169号へ戻る

トップページへ戻る