内 輪   第102回

大野万紀


 今月は京フェスミニレポートということで。

 12月5日(土)、6日(日)は京都SFフェスティバルだった。京阪丸太町からしょぼふる雨の中を歩いて会場の芝蘭会館へ。今回は講演が先で合宿が後の形式だ。着いたときにはすでに喜多哲士さんの「さらば架空戦記」がはじまっていた。

さらば架空戦記 SF/アニメを天文する 関西在住SF作家放談 会場風景
さらば架空戦記 SF/アニメを天文する 関西在住SF作家放談 会場風景

 架空戦記というジャンルにはあまり知識がなかったのだが、それだけに興味深い話がいろいろと聞けた。喜多さんの日記に講演のレジメがアップされているので、詳しくはそちらを参照していただきたい。個人的に大変面白かったのは、『グランド・ミステリー』や『あ・じゃぱん』のような架空戦記の要素を持った小説が世間で高い評価を受けていることに対し、『グランド・ミステリー』は架空戦記じゃないし、『あ・じゃぱん』についてはその個々の要素についてもっと面白い、あるいはもっと良くできた小説が架空戦記のジャンルで書かれていると指摘されたことだ。歴史改変ものや東西日本ものとしてなら、『日本南北戦争』や『レバイアサン戦記』の方がずっと面白いとのこと。『あ・じゃぱん』が分厚いハードカバーではなく、これらと同様に新書で出ていたら、ここまで評価されただろうか、と、架空戦記やヤングアダルト小説を愛する立場からの熱い発言だった。『あ・じゃぱん』批判に関しては必ずしも同意できない点もあったが、ぼくなど気がつかないような、そういう見方もあるのかと感心させられ た。

 昼一番は大阪教育大学助教授の福江純さんによる「SF/アニメを天文する」。福江さんのホームページにある画像や文書をもとに、プロジェクターを使ってのわかりやすい講演だった。ブラックホールの話や、スペースコロニーの話(ガンダムのコロニー落としのシミュレーション)などだが、その内容よりも福江さんのSF/アニメファンぶりがとても印象的だった。面白かったのは講演の最後の質疑応答。会場から「ある天文学の真面目な教科書の最後にギリシア文字の表と使用例が載っているんですが、Z(ゼータ)の使用例として「ゼータガンダム」とあってびっくりしました。あれは福江先生が書かれたのじゃないんですか」との質問に、はにかみながら「……そうです」と答えて会場の賞賛を受けていた。

 休憩の後、「関西在住SF作家放談」。田中哲弥さん、小林泰三さん、田中啓文さん、牧野修さんの四人による、いわば「SF作家おもろ放談」(古〜っ)。内容はまあ書いてもしょうがないというか、ひたすら面白かったとしかいいようがない。会場のアンケートにあった質問事項をネタにしながら、お互いの日常や仕事のことをからめておだやかにぼそぼそと進むぼけとつっこみ。でもみんなぼけに回ろうとするので、これは誰か司会者を立ててきちんとつっこむ必要があったのでは。田中啓文さんはぼくの大学のSF研出身で、まあうちのSF研も25年目にしてとうとうプロ作家が出たかと感激する。

 講演の最後は、大森望、山岸真、水鏡子、大野万紀による「アメリカSF史再考」という、1週間ほど前に急きょ決まった泥縄企画。4人の打ち合わせは本番前の数分間のみという、会場のみなさんには大変申し訳ないパネルだったが、昔の京フェスというのはこんなのばっかしだったことを思えば、本来の京フェスらしいというか、ずいぶん懐かしい感じがした。内容はクルートの『SF大百科事典』をネタに水鏡子がクルートに親近感を持っている(他の3人はむしろ敵意をもっている)ことが暴露されたり、SFMの50年代SF特集にからめて、ぼくらにとっては20年間あいも変わらずのトークをしたりだったが、はたして面白かったのでしょうか。

合宿風景(さわや大広間) 深夜のうだうだ話
合宿風景(さわや大広間) 深夜のうだうだ話

 夜はいつも通りのさわや旅館に移って、合宿。いつも通りの小浜くんによる参加者紹介で始まる。SFクイズはアナグラムなど。今年は企画部屋へはいかず、遅くまで大広間で酒を飲みバカ話をしながら過ごしたので、「宇宙開発の部屋」「ヤングアダルトの部屋」「異世界創造の部屋」「ヴァーチャル読書会」「架空戦記よ永久に」などの部屋で何が行われていたのかは知りません。

 深夜になって、麻雀部屋の隣の廊下の突き当たりに、水鏡子、三村美衣、山岸真、その他いつもの連中が自然と集まって、とりとめのないうだうだ話をしていた。SF作家の野尻抱介さんもやってきた。「ヤングアダルトの部屋」でいわゆる「キャラ萌え」に関する議論をしてきた三村美衣が、あの議論では納得できないと、京大SF研の人たちを呼んできて、続きの議論を始めた。面白がってぼくらもつきあう。ギャラリーも含めて20人近くいたような気がする。キャラクターへの過剰な感情移入とか、キャラクターにミーハー的にのめり込むとかいうのは別に今にはじまったことじゃないと思うが、そういうのと「キャラ萌え」とは違うのか? 結論はよくわからなかった。キャラ萌えの謎ははたして解明されたのだろうか。ただひとつわかったのは、今は(特にヤングアダルトやゲームの世界で?)ネットワークなどを通じた作者と読者を含むフィードバック・ループが成立しており、意識的・無意識的なキャラ萌えシステムといったものができあがっているらしいということだ。小説にある種のプロトコルを組み込むことで(ある いは読者がそれを意識的に読みとることで)、そのシステム内で了解可能な「萌え萌え」感情が喚起されるらしい。そういうものなのか。

 朝は再び大広間に集まり、エンディング宣言で解散。誰が始めたのか、「XX風XX」というように、いろんなものに「風」をつける遊びが盛り上がっていて、徹夜の頭にひたすらぐるぐると回っていた。何だかくせになってしまう。「京都風SFフェスティバル」とか。

 ともあれ、今年も楽しい京フェスをありがとうございました>関係者のみなさん、参加者のみなさん。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。


『クロスファイア』 宮部みゆき
 スティーヴン・キングの『ファイアスターター』は、キングのあまり良い読者とはいえないぼくにとっても好印象の残っている作品だ。それはごく普通の少女が凄まじい破壊力を開放してしまうという、(まあ過去にも似たようなものはあったにしろ)その後の原型となるような強力なパターンを作り出した。で、本書だが、ヒロインが発揮する超能力は、がまんにがまんを重ねた上の「いやーん、どっかーん」じゃなくて、わりと自覚的にコントロールのきく能力であり、さらに(これは「燔祭」の時から同じだが)人を焼き殺してしまうという恐ろしい力のわりには、ヒロインに罪の意識が乏しく、むしろ”装填された拳銃”として積極的に悪と戦うという、今時珍しいメンタリティの持ち主として描かれている。いや、人間的な感情がないわけではないし、それがまたドラマを生むのだが、どうも気になる。小説に関してはもう宮部みゆきだから登場人物たち一人一人がそれは生き生きと描かれ、しみじみと面白く読めたのだが、そういう日常描写と、この同じ超能力といってもあまりにも非日常的・SF的な能力との乖離が、普通のSFみたいにうまく解決されていなくて、そのあたりがぼくにはひっ かかる要素となった。途中から露わになる秘密組織も、ちょっと浮いている感じ。

『量子宇宙干渉機』 ジェイムズ・P・ホーガン
 最近のホーガンの作品に物足りなさを覚えていた人にとって、多少なりとも昔のホーガンを思い起こさせる作品だ。でも、多少なりとも、であって、昔のような「ハードSFらしさ」にはやはり乏しいといわざるを得ない。菊池さんが解説で書いているように、背後にあるのは量子力学の重要問題に関する、とても本格的な仮説のようで、そういう意味ではまったくのハードSFである(よくある単純な多元宇宙ものではない……でもそれがぼくらのような読者には、はっきりとはわからないんだよね)。しかし、小説のテーマはそういった科学的発見にではなく、重苦しい政治的現実からの脱出先としての新天地にあり、これってあんまり積極的に持ち上げる気がしないなあ。

『激突シベリア戦線(上)(下)/覇者の戦塵1942』 谷甲州
 久々のこのシリーズだが、確かに史実と異なった歴史が始まっていると感じさせる。今回は久々に技術者の戦いという色彩が濃厚で、太平洋戦線のような派手な部分はほとんどなくなっている。例のおじさんも出ないし。もともとこのシリーズは、こんな雰囲気だったのだから、昔に戻ったという感じかな。
 下巻ではシベリア鉄道をめぐるソ連との戦い。色々と苦戦するが、今度は日本軍が勝つ。架空戦記ではあるが、普通の戦記のようにも読めてしまう。戦場での普通の兵士たちの日常がきちんと描かれているからだろう。確かに歴史は変わってしまっているのだが、SF性には乏しいなあ。

『スノウ・クラッシュ』 ニール・スティーブンスン
 90年代の『ニューロマンサー』というキャッチフレーズは当たっているように思う。ただ、こっちはもっとコミカルで、というか、まんまアメコミ(いえ、アメコミをそんなに読んでいるわけじゃないんで、ぼくのイメージにあるアメコミというわけだけど)じゃないですか。もっというと、アメコミを大まじめに派手なSFXを凝らしてハリウッドで大作映画化したもの。バットマンとか。オーバーアクションな部分なんて、そんな感じでしょ。もっとも大森望によると、そうではなく、むしろ日本アニメに近いというのだが。ただ、本書で面白いと思ったのは、単なるスタイル重視のオタクなエンターテインメントじゃなくて、すごくオーソドックスなSFテーマが中心にあること。宗教や言語に関するリアルな謎(読者がその気になれば追試できる……どこまで本当でどこからが作者の空想かを文献から調べることができる)が提示されており、それまでの追っかけっこも面白かったけど、ここでがぜんSF的な興味がわいた。その謎が納得行く形で追求されたかというと実はもう一つなのだが、初めかなり読みにくかった本書が、後半ストーリーが単純化されてからドライブ感もアップして、すごく 面白かったという読後感が残った。ヒロインもよかったし。傑作との声が高い次作を早く読んでみたい。

『アヴァロンの戦塵』 ニーヴン&パーネル&バーンズ
 『アヴァロンの闇』の続編。植民者たちの第二世代による冒険が描かれる。第一世代との対立が大きなテーマとなっており、親子の問題がここでは家庭の問題ではなく世界を作っていく上での重要な対立点となっている。で、本当はそういう問題よりも、前作同様、この世界の凄まじい生態系が本書でも一番のテーマであり、読みどころである。ニーヴンの異星生物の構想力というのはすごいもんだと感心させられる。タイトルから、前作の〈グレンデル戦争〉が再び繰り返されるのかと思っていたのだが、そうではなかった。これって、登場人物たちがちょっと唐突な行動をとるという欠点はあるが、久々の大当たりという気がする。読みごたえがあって面白かった。

『ブラック・ローズ』 ナンシー・A・コリンズ
 吸血鬼ソーニャ・ブルーの番外編。TRPGの世界と合体したものということだが、話は用心棒。対立する二つの悪い吸血鬼集団を両方やっつける一匹狼の流れ者。ま、かっこいい役だわなあ。子供を助けたりというのが、お約束ではあるけれど余分といえば余分。とにかく主人公は強いので、ひたすら安心して読めるのがいいといえばいいし、つまらないといえばつまらない。まあ娯楽小説としてはこれでOKでしょう。

『垂直世界の戦士』 K・W・ジーター
 これはねえ。読みやすいのはいいのだが、主人公がアホでいいかげんな奴だし、垂直世界というのがあんまり垂直な感じじゃないし、これはというようなSF的なヒネリがあるわけでもないし、まあ暇つぶしにはなるからいいとするか。ジーターってこんな作家じゃなかったように思うのだが、思い過ごしか。でも『ブレードランナー2』は面白かったよ。

「イサオ・オサリヴァンを捜して」 恩田陸
 SFオンラインから300円でダウンロードして読む短編。ベトナム戦争に従軍していたイサオ・オサリヴァンという日系の兵士がいた。部隊の誰からも好かれる優秀な兵士だったが、淡々とした中に何か謎めいたものがあった。彼を捜す男の一人称で描かれるこの小説は、イサオが戦っていたもう一つの世界の戦争をおぼろげに暗示して終わる。いまだ書かれざる長編SFのプロローグとなるようだが、(SFかファンタジーかということは別にして)世界が広がっていく感覚がとても素晴らしい。傑作の予感がある。いや、ぜひとも長編版が読みたい。しかし、これって『光の帝国』の一編といっても通じるよなあ。

「沈黙のフライバイ」 野尻抱介
 これもSFオンラインからのダウンロード小説。ファースト・コンタクト・テーマのハードSFだ。短編ながらよくまとまっていて、これまた傑作といっていい。SFオンラインの有料ダウンロード小説は(まだ2編だけど)質が高いぞ。本編の中心にあるのは作者が現職の宇宙開発専門家とインターネット上で話し合いながら構築した、宇宙探査の非常にリアルなアイデアなのだが、そういういわばファースト・コンタクト・シミュレーションのレベルでも、おそらくは世界に太刀打ちできるハードSFとなっている。しかし、SF者として最も嬉しいのは、最後の一段落だ。こういうわくわくするようなSF的ビジョン、視点の広がり、それぞれの元ネタに思いを馳せながらも、これがSFを読む楽しみなのだなあ、とつくづく思った。登場人物たちの会話がいわゆるヤングアダルト調なのは(京フェスの会場で、作者はそれを意図的にやっていると聞いたが)好き嫌いの別れるところだろう。ぼくはだいぶ慣れてきました。でもまだ違和感は残るなあ。


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