みだれめも 第106回

水鏡子


●「シャスタは、ハーバートのダイアネティックスに関する最初の本を没にした」(65頁)
 し、知らなかった! フランク・ハーバートもダイアネティックスに噛んでいたのか!たしかに、ぼくが作風上の師匠格とにらんでいるヴァン・ヴォークトがはまっていたわけだから、言われてみると関係していて不思議はないかもしれないけれど、まさかハバードの影響がこんなとこまで及んでいたとは! …あれ?…ハバード?…ハーバート?………ふうむ。
 おいおい単なる誤植かい!
 そんなこんな、情報提供本として致命的な失敗がちらちらある。キャプチャーには意味不明の文章も散見する。(こちらのほうは、どうやらジョン・クルートが悪いらしい。ジョン・クルートは悪文家だからだいっきらいだ、とぼやく弁というのは、ニコルズ編の『SFエンサイクロペディア』を皮切りにいっぱい聞いている。) 装本も若干粗雑気味、その他いろいろ、そんなこんなで、うちの周りの関係者の評判も、もひとつのりが悪い『SF大百科事典』(グラフィック社 6500円)である。でも、わたしゃ好きだ。
 版面が子供の頃によく目にした図鑑類にそっくりで、いきおい中味も子供子供している先入観で読んでみる。よくよく考えれば、挑発的な文章で名を知らしめたジョン・クルートの本である。いつまでたっても大人になれない、ちがう意味で子供っぽいひとである。教養主義的行儀のよさでは編んでる当の本人が、がまんできるはずがない。からかい、あてこすり、けなし言葉が飛びかって、悪口をはさみまくる。もちろん90年代まで網羅した最新のスパンで描いたSFの俯瞰図絵であることが本書最大のセールス・ポイントであるわけだけど、最後はこうしたクルートのスタンスを支持できるかどうかが本書の評価の分かれ目だろう。情報の客観性を尊重しつつ、事実の羅列が生むよそよそしさをワタクシ性で塗り固め、人懐っこさを演出していくありかたとして、けなし口調が大好きなわたしとしては、全面的に気にいっている。これはじつは自分の文章への弁護であったりもする。関係者の間ではごきげん悪い方々が多数にのぼる誤植にしたって、部外者からみりゃご愛嬌。ライダー・ハガード作『天の筏』(314頁)なんてたのしいじゃん。そう思われませんか、朝倉さん。
 だいたい昔からジョン・クルートのレトリックは好きだ。スタンスのとりかたに親近感がある。無味乾燥が許される百字程度のコメントに、こまめに挑発的なあげあしとりやあてこすり、けなし言葉を挟んでいくこと自体が、ファン気質の顕われである。短いコメントをする余地しかない、そんなところにそんなことを押し込むことをくりかえすから、舌足らずで意味不明の文章があっちこっちに発生する。そのへんの気分というのに共感し、うれしくなってしまうのだから困ったものだ。
 だけど、さすがに訂正表は欲しい。

小谷真理『ファンタジーの冒険』(ちくま新書 660円) これも今年の収穫に含めることができそうだ。スニーカーの読者から、SF関係、幻想文学、文芸評論関係と、章によって位置付けされる読者のイメージに若干の不統一がみられるが、気づいてみると、英米SF出身の読者にとってはなじみの深い、ここに掲げられたかたちでのファンタジーの俯瞰視景というものが、入門書、本として、提供されたのは初めてではないか。従来の児童文学、幻想文学をベースとしたファンタジー本と異なる視線の提出はかなりの衝撃をもって受け止められることを期待したい。ただ、俯瞰視景の呈示という点にかぎっていうならば、各種の主張が前面展開されることで、個人的色調が強く出過ぎて〈公約〉的イメージが損なわれているところが惜しい。ジョン・クルートの場合だと、恣意的な発言がごまめのはぎしりみたいで、〈公約〉的イメージに色を付けてるだけなのだ。本書のコンセプトを敷衍して、より大きな読者層を想定した〈公的入門書〉が欲しい。

小林恭二『カブキの日』(講談社 1600円)は傑作。今年の日本SFベストときめつけていた『あ・じゃぱん』の座があやうくなった。予定調和の寓話世界がえもいわれない心地好さのなか、浮上する。これがSFかというためらいは若干あるにはあるのだけれど、本書については攻撃的に、むしろこれがSFなのだと主張する論旨を育てていきたくなる。それだけの値打ちがある。
 SFであるかないかを決めるのは、あるいはSFとして魅力的かどうかを決めるのは、小説を構成していく枠組みの主旋律をなすものが、世界を語る物語であるか、人生や自己を語る物語であるかというところにある気がする。これ以外にも、ただ単に、キャラを立てて走り回らすことだけを目的とした物語というのもあるけれど、そしてこのてのものにも魅力的な本はないわけではないので、むげに否定はしづらいのだけど、ここのところこいつらは、一応切り捨てることにする。
 先に掲げた対立は、いわば物語の中心に、〈世界〉を置くか、〈自分〉を置くかということである。
 〈世界〉も〈自分(たち)〉も、もちろん小説という固有の幻想世界を作りあげていくうえで、はずせない要素なのには変わりない。けれども、小説世界の組みあげるのにどちらを大黒柱に据えるかで小説世界の感触はまるで異なるものになる。世界を語るということは、物語られる存在の、基点から外に広がる制度について視ていくということであり、人生を語るということは、物語られる存在の内に重なる想いに溶けていくことだとはいえないか。SFM11月号で、あの水玉蛍之丞までが、「SFとしては」という言葉に対する自己反省を口にしていたりするものだから、この本を読んだうれしさと共振しながら、つい挑発されて、SFとはなにかについての目新しそうな言い回しを考えてしまった。

●ここにはじつは伏線があり、小説としては堪能したけど「組み立てとして、SFではないよなあ」とベスト5候補から泣く泣くはずした奥泉光『グランド・ミステリー』(角川書店 2400円)という、これもなかなかの傑作があったせいである。うーん、いいんだけどね、でもこれは『リプレイ』(ケン・グリムウッド)だよなあ、と、せっかく読んで、しかも面白かっただけに、なんとかベスト5にいれようと、自分のなかで折り合いをつけ、SFに含めようと努力して、結局断念するにいたったなかで、SFとできない理由のかたちでおぼろに浮かんできた理屈であったりする。とにかく今年の読書環境は異様に充実しているぞ。

●ただしたとえば『カブキの日』とおんなじように、予定調和の寓話的世界を浮かびあがらせ、世界を物語っている秀作に、ピーター・S・ビーグル『ユニコーン・ソナタ』(早川書房 1600円)というのがあって、これもじつはビーグルの作品として『最後のユニコーン』に次ぐ傑作と、『心地よく秘密めいたところ』より上位に置きたい気分なのだが、これもやっぱり今年のSFベストには、ぼくのなかでの折り合いをつけられないではじきだされた。
 たぶん物語られる世界の寓意に人生が深く折り込まれていすぎることが原因なんだと思う。音楽を鍵にしたということで余計に世界が個人の感性に染めあげられしまったという解釈も可能かもしれない。そんなことをいうのなら、どうしてルイス・シャイナーの『グリンプス』をSFの範疇に含めることができるのか? まだまだ自分のなかでも詰めきれていない意見ではある。

●たとえば世界を語るという意味で、SFでなく、かつSFに、もっとも近接した組み立てがなされている作品の例として、ぼくが最近好んで取り上げるのが、京極夏彦『鉄鼠の檻』で、(ネタばれ注意! 1)、表層的に物語が現実の道具立てだけで作られている以上、SFと呼んではいけないものだと思うけれども、それでもそこに満たされたエトスというのは、あれこそSFが理想とすべきものだろう。
 その京極のとうとう出た『塗仏の宴 支度・始末』。やってはいけないことをしたというのが、正直な感想である。(ネタばれ注意! 2
 とにかく次回作である。


●今回は異様に勢いがついている。『カブキの日』の影響である。文中、坂田山佐衛門のこういう述懐があった。

 「わしはこれまで表現とは自己の欲望を他者の欲望に重ねあわせる行為だと考えてきた。なんとなれば表現行為にとって他者の欲望は自己の欲望に先行する存在だからだ。その先行する他者の願望に自己を投影することで表現が誕生すると考えてきた
 しかしはじまりはそうじゃなかった。わしの眼中に客などなかったではないか
 わしはむしろカブキそのものを欲望していたではないか。わしはカブキという壮大な美意識の集積部分の核心部分、つまりカブキの魂というべきものと直接的に寄り添おうとしていたではないか。ところがいつのまにか、わしはカブキと直接つきあうのをやめ、観客の欲望を通してしかカブキとつきあわなくなった。」(272頁)

 なんかここを読んでて、一瞬ふっきれたのですね。なにがふっきれたかについては、前回の『POG完全攻略ガイド』の紹介文をお読みください。なんかいろいろつまずいてたものに対して「ちゃうやろがい!」と声をかけられた感じ。
 ふっきれたのは、たぶん一瞬のことであり、あの本を読んだ記憶がグズグズと崩れていくうちに、けっこう根深く根付いている前の気分がじんわり戻ってくると思うけど、当面今現在はとんでもなくハイだ。なんでもけなすぞ!(うーむ、ちょっと意味がちがうのではないか?)


 というわけで、最近読んだ「SFだけどつまんなかった本」や「たいしたことないけど楽しかったSF」や「悪くないけどSFじゃないやの本」やなんやかや。まずは間近に読んだ本から。

J・G・バラード『殺す』(東京創元社 1300円)
 薄くて、こなれた訳で、まるで日本の本のようにすらすら読める。小説として完成度は高いけれど、すべてが予想範囲内の物語。頁をめくって、静かで透きとおった世界の空気を嗅いで、吸込み、吐き出し、頁を閉じて、いい時間を過ごしたと、満足するためだけの本。こんな話を読んでショックを受けるような人が、バラードの本を買うとは思えない。「悪くないけどSFじゃないや、でもSFだって主張しても別にかまわないかもしれない本」

浦賀和宏『時の鳥篭』(講談社 1100円)
 『記憶の果て』の作者のデビュー2作目。前作を「エヴァみたい」といったのだけど、本書の表紙、とても品はよいけど、コンセプトはまるで映画版エヴァのポスターだ。
 このひとの小説は女々しい。スタージョンのなかにある女々しさの面を抜き出して純粋培養したような透明感がある。前作同様SFの仕掛けは大雑把で破綻も目立つのだが、仕掛けが生み出す魅力についての〈つかみ〉はきちんとできている。大づくりな骨格を、日常細部にからみつく気分や音楽趣味で埋め尽くし、エゴ肥大気味の小説空間をひとりよがりになることなく呈示している。生理的に好き嫌いが分かれそうな作家である。ひょっとしたら作者は女性かもしれないと思う反面、女性読者に徹底的に嫌われる自我肥大したおたくみたいにも思える。そんなことを書きながら、気に入ってると言ってしまうと自分がおたくだと言ってるようなものだよなあ。うーむ、困った。
 こういうふうに話がつくられるとは正直思いもよらなかった。メイン・アイデアは今更だけど、思いがけない意外性あり。「SFとしてはたいしたことないけどまあSFとしかいえないもので、小説としてそれなりに楽しかった本」といったところか。ベスト5下位候補。

『ホログラム街の女』F・ポール・ウィルスン(早川文庫 660円)
 読んだ人間みんなうしろめたそうに褒めている。もしくはぶちぶち愚痴りながら、そのくせ読んで感じた幸せ気分を大事に抱えこみたがっている。安っぽい小説だよなあ、そうだよなあ、あざといよなあ、とか言いながら、へっへっへとなんかにこにこしている。「SF以外のなにものでもなくて、今更読んでもしかたがない気もしなくはないが、まあこれはこれで(かなり積極的に)いいんじゃないかと微妙にためらいながら言ってみたくなるような本」。ベスト5には入れない。

『タイムクェイク』カート・ヴォネガット(早川書房 1900円)
 やっぱりだめみたい。ヴォネッガトをどう読んだらいいのか、わからなくなってずいぶんになる。『スローターハウス5』と『チャンピオンたちの朝食』で頂点を極め、白い灰になってしまったと思っていながら、そのくせ灰がかき回され、残り火が赤く灯るのをあいかわらず期待して、新作を読み続けるのをくりかえすうち、昔、好きだったヴォネガットの小説にどういう接し方をしていたか、ほんとうに忘れてしまった。「SFであってもなかってもどっちでもいい本」

『屍鬼』小野不由美
 吸血鬼小説の集大成といった感の本。前半、疫病小説の体を装って話が進むことから、吸血鬼本と書くことに苦慮している書評がいくつかあるけど、『呪われた町』に献辞して、発売前の自社PR誌『波』であそこまで書いてるものに今更ネタばれもくそもないでしょう。それにもともと、集大成型小説にありがちなのだが、切れ味や意外性には欠ける面があり、話の中味を伝えてもそう読みごたえがかわらない、いい意味での鈍重さがある。過去のいろんな吸血鬼小説と正面から組みあった四つ相撲といったらいいか、研いでない大鉈で素材をガンガン叩き潰して仕上げたみたいな安定感がある。
 『呪われた町』がベースということだが、『夜明けのヴァンパイア』もあるし『オメガマン』もあるし、『石の血脈』もある。とくに半村良の印象が残った。静信のイメージが、名前も含めて、『妖星伝』の静海あたりと重なった。
 不満はある。ヒロインが造型的に弱いというのが一番かな。呼ばれなければ入れないとか、神事を忌避するところとかも、心理的根拠だけだと苦しいものが残る。それでもこの枚数を一気読みさせて、相当量の満足を戴けたのだから基本的に文句はない、徹と律子が好き。
 前述の作品と比較してどうかというと、うーむ、若干、切れ味の面で落ちることは事実。本人の小説世界の集大成というよりも、吸血鬼小説の集大成であるだけに、小野不由美という作家の風貌が見えないというのも不満の部類に入るかもしれない。「強引に主張するならSFに含めることはできるのだろうけど、べつにSFに含める気にならない面白かった本」

『ループ』鈴木光司(角川書店 1600円)
 いまさらながらの本ですが、これをSFじゃないといってしまったら、この世からSFがなくなってしまうというくらいSF以外のなにものでもない本で、すらすら読め過ぎて展開が型通りすぎるような気がするところもあるけれど、とりあえず面白かった。
  ベスト5下位候補。


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