大野万紀「シミルボン」掲載記事 「このテーマの作品を読もう!」

第15回 科学するこころ――「理科小説」を読もう


 暑い夏休み。子どもたちは野山を駆けまわって虫を捕り、友だちや家族と星の輝く夜空を見上げ、海で泳いでは磯の生き物をじっと観察、自由研究と称して何だか良くわからないものを作る。ぼくも昔そんな子どもだったし、今でもそういう子どもたちはきっとたくさんいることでしょう。自然の中にある未知への興味、好奇心、そして自分の目でそれを見たい、知りたいという探究心。それが「科学するこころ」を育み、学校の勉強とはまた別の、進路指導でいう「理科系・文化系」とは無関係な理科好きを生むのです。そしてきっとSF好きも――。

 今回はそんな理科好きの心を刺激する「理科小説」を紹介したいと思います。なおぼくがいう「理科小説」とはお勉強のための小説(そういうのがあるかどうか知りませんが)ではなく、上記のような「科学するこころ」を刺激し、ワクワクドキドキさせてくれるような小説のことです。ぼく自身はSFファンなので、それはSFそのものだったり、とてもSFに近いものとなります。でもSF的で飛躍した発想やアイデアよりも、ごく身近な、日常の世界を科学の目で見ることから、遙かな宇宙へと心が広がっていく、そういう「センス・オブ・ワンダー」を味わせてくれるものが中心となるでしょう。

具体的にはまず、ぼくが今そういう意味での「理科小説」の第一人者と考えている川端裕人さんの小説からいくつか紹介します。

 ぼくが理科小説というものを意識するようになったきっかけが『今ここにいるぼくらは』という、関西から関東の田舎に転校してきた小学生の、卒業までを描いた連作短編集です。SF的な飛躍はありませんが、ここでは川の流れが海へ、そして究極には宇宙へまでもつながっているだろうということ、学校の屋上から見るペルセウス座流星雨、この町と子午線の町とは同じ時刻の影の長さが違うことの発見、そういう少年の発見の物語が、当たり前のように繰り返される日常とここではない別のどこかとの間に、ファンタジーではない、理科的・科学的な通路があることを気付かせてくれます。
 科学的な世界観が物語の虚構と溶け合って、日常のあれこれが宇宙とつながっていくという感覚、それはある種SFのセンス・オブ・ワンダーと近しい関係にあるものです。小さなころ誰もが思ったことのあるような、大宇宙と自分の日常とをつなぐ回路が示され、はっとするような座標変換がなされる感覚。ここには本当にわくわくする感動があります。
 ハカセと呼ばれる理科少年は、時代や背景からもおそらく作者にきわめて近い存在なのでしょうが、とても輝かしい未来を内包しています。願わくは面倒くさい大人たちにつぶされず、伸び伸びと成長しますように。

 『青い海の宇宙港 春夏編・秋冬編』はそんなハカセたちが種子島(と思われる)宇宙港のある島で自分たちでロケットを打ち上げる物語。ひと言で言ってしまえばそうなのですが、決して技術者の卵たちがチームでがんばって成功するといった話ではなく(いや確かにそういう話でもあるけど)、これは理科的な想像力とその実践の物語なのです。宇宙は好きだがロケットや技術の話にはあまり興味がないという人もぜひ読んで見てください。
 主人公は東京からこの島へ1年の遊学に来た小学生の男の子。ロケットよりも虫や魚や自然が大好きな、野外活動系の理科少年です。彼と同じく遊学で来た少年少女たち、それに彼らを取り巻く大人たちがからんで物語が進みます。主人公たちは小学生なので最先端技術ではなく枯れたローテクな技術を用い、大人たちの力を借りながらもたった1年で本当に宇宙へ飛び立つロケットを作ってしまうのです。そんなことができるのかと思ってしまいますが、技術的にもしっかりとした裏付けがあり、むちゃくちゃ実行力のある子供たちならやってしまうかも知れません。それだけではなくロケットに乗せる小さな手作りの宇宙機は、太陽光に乗る宇宙ヨットとなって、遥か太陽系の果てを、さらに恒星の世界を目ざして進んでいきます。後半を読みながら、本当にウルウルしてしまいました。感動というのにも色々あります。がんばる子どもたち、見守る大人たち、夢を思いだしやる気を取り戻す青年、目の前の小さな自然が、地球全体や宇宙にまでつながっているという感覚、そして、探査機はやぶさの帰還に涙した人ならわかるでしょうが、ちっぽけな機械が人々の思いを乗せて広大 な宇宙の彼方を目ざして孤独に飛び続けるその姿。それにしてもこの子たちはいいなあ。ずっと昔に花火から火薬を抜いてロケットを作った時代を思い出します(危ないのでやってはいけません!)

 川端さんの最新小説『空よりも遠く、のびやかに』では現代の高校生たちが、部活で地学とクライミングでのオリンピックを目ざす姿が描かれます。胸熱で、そして胸キュンな青春物語でもあります。舞台が2019年から2020年に設定されていて、後半では少年少女たちの活動に新型コロナが大きく影を落とすことになります。
 主人公の坂上瞬は入学した高校の部活紹介で中学の同級生だった(でもあんまり印象になかった)岩月花音 と再会します。花音は岩石や地層、化石といった地質学に深い知識と興味があり、中学生にして地学オリンピック日本大会に入賞した逸材でした。彼女に誘われるままに瞬も地学部へ入部するのです。ここの地学部は国際地学オリンピックを目指しているので、そこらの高校生レベルじゃなく、普通の望遠鏡で系外惑星のトランジット観測をして論文を書くというレベルなのです。「地学とは、物理、化学、生物、すべての理科分野がかかわる、サイエンスの十種競技、総合格闘技です。ガチンコのサイエンスバトルを、地学部で!」というのが部活紹介のチラシ。すごくて個性豊かな先輩たちと、その雰囲気にすぐ溶け込む主人公たち。フィールドワークで見つけた化石はヘイコプリオンという古代のサメの歯で、これまた専門家たちの注目を浴びることとなります。
 本書のもう一つの主題はスポーツクライミングで、花音は地学へ傾倒する理系女子であると同時に、スポーツクライミングでも活躍したエース・アスリートだったのです。手と足を使い、まるでパズルを解くように岩壁を登る描写には勢いと迫力があり、その躍動感が生き生きと描かれています。しかし、オリンピックを目指すクライマーたちも、地学オリンピックを目指す部員たちも、新型コロナの影響をまともに正面から受けることになります。その喪失感はとても辛く悲しいものですが、それを乗り越えようとする若者たちの姿には心に響くものがあります。タイトルは何億年も前の地層から空に向かって伸び上がってきた岩塊の名前。瞬はロケットが飛び上がるようにその岩を駆け上がるのです。すてきな青春小説であり、理科小説であり、躍動する肉 体の物語でした。

 この作品と同様にコロナの影響を描いた理科小説としてとても印象に残った短編があります。
 『GENESIS  されど星は流れる 創元日本SFアンソロジー』に収録された宮西建礼「されど星は流れる」です。これもSF的な飛躍なしに、コロナ禍のリアルな現実の中での高校生たちの天体観測を描きつつ、遙かな宇宙への想像力、過去から続く多くの人々の科学と宇宙への眼差しが、じんわりと感動を呼ぶ傑作です。
 コロナ禍(感染症と書かれているが)で学校が休校となり、天体観測ができなくなった天文同好会の二人、部長のわたしと新入生のミユはそれぞれの自宅から流星の同時観測を始めます。ミユの発案で系外天体からの流星を探すことになり、市の流星観測会に協力者を得てビデオカメラを使った観測を行うことになるのです。これはまた、直接的な恋愛感情は全く描かれないけれども、とても甘酸っぱい青春小説でもあります。この作品がSFアンソロジーに載っている意味は、そんな地味な地上の流星観測が、遙かな太陽系外の宇宙へとつながっていくところにあります。その壮大なイメージの広がり。ロマン。じっくりと遠くの夜空を見つめたくなりますね。

 川端さんの小説を読んで「理科小説」というものを考えたわけですが、思えばそのような小説は当然ながらもっと昔からありました。子どものころ読んだ宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』などもそうですが、大人 になってからぼくの印象に強く残っているのは池澤夏樹『スティル・ライフ』です。いきなりグラスの中で光るチェレンコフ光の話があり、物語そのものはいわくありげな人物の株投資の話としてごく現実的に進むのですが、その中でいくつもの理科的な話題が雑談のように語られるのです。それがまさにこの世の世俗的な時間と宇宙的な時間をつなぐセンス・オブ・ワンダーそのものだといえます。それはまた物語の冒頭に掲げられている、外の世界と自分の中の世界という二つの世界の調和を目ざす言葉とも響き合うものでしょう。同じ短篇集の「ヤー・チャイカ」にも同じ感覚がありますが、恐竜をペットにする少女というのはSFであり奇想小 説でもあるので理科小説とはちょっと違うかも。でも無人探査機のくだりにはやっぱり理科小説の感動を感じます。

 もっとSF寄りですが、SFというより理科小説の側面が印象に残るものとして野尻抱介の作品も紹介しましょう。短篇集『沈黙のフライバイ』に収録の「大風呂敷と蜘蛛の糸」です(以前にどこかで書いたっけ?)。これはハードSFというべき作品ですが、現代物理の最先端をいくようなアイデアや驚くべき大発明や超技術が出てくるわけでもなく、もちろんシンギュラリティもありません。すごく淡々とした、日常的な人 間の行為としての科学や工学、大天才ではない、大学や企業の研究所にいるような普通の、等身大の科学者やエンジニアが築き上げるものとしての、ちょっとしたアイデア、少しだけ未来、そんなものや生き方がやがて世界を変えるものとなる、そういう雰囲気がここにはあります。ぼそっとした、いかにも理系の学生らしいリアリティのある女子学生が主人公です。彼女は自分の頭で考え自分で手を動かすとても魅力的な女性であり、そしてこの物語は今現在の日本で活動している大勢の人たちとも直結し、そこからまさに細く美しい蜘蛛の糸 によってはるか成層圏の上、衛星軌道の下に広がる中間圏と呼ばれる上層大気の中に静かに佇み、地球の広がりを見つめる静謐な物語として描かれます。おしゃべりもなく、ジェットの轟音もなく、ただ空と大地があるばかり。そしてここでも、ささやかな生命をめぐっての壮大な宇宙的ビジョンをかいま見ることができるのです。小松左京は「宇宙よ、しっかりやれ」といいましたが、野尻抱介の登場人物たちも、声には出さないまでも心の中でそっと同じことをつぶやくに違いないと思うのです。

 ここでいったような理科小説的な作品は他にももっとあるでしょう。これがいいというものがあればぜひ教えて下さい。ぼくはライトノベルやなろう系にはうといのですが、そちら方面にもたくさんあるに違いありません。
 そしてマンガ。学習マンガを除いても、理科が好きになるようなマンガは多いでしょう。ぼくが子どものころにはあさのりじ『発明ソン太』という傑作がありました。もちろん手塚治虫藤子・F・不二雄の作品があり、そして最近では『Dr.STONE』もこの分野に入る傑作ですね。

 今回は国内の作品ばかりを扱いましたが海外にもそんな作品は色々あります。それらはまた別の機会に紹介しましょう。

(22年6月)


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