大野万紀「シミルボン」掲載記事 「ブックレビュー」

博士の熱い愛情、またはなぜ心配するのをやめ、バッタを倒しにアフリカへ行ったのか

『バッタを倒しにアフリカへ』
前野ウルド浩太郎


 以前にこれは絶対面白いだろうと思って買ったまま、なぜか積ん読になっていた本だ。それがこの前の地震で書籍流が発生し、目の前に飛び出してきた。捕虫網をもち、バッタのコスプレをしたおじさんが、鋭い目で「読め」とにらんでいる。これは読まないわけにいかんでしょう。

 バッタ博士の前野ウルド浩太郎(ウルドはモーリタニアでもらったミドルネームで、~の子の意味)が、収入のないポスドクの焦燥感にかられ、一念発起してサバクトビバッタの被害に悩むモーリタニアのバッタ研究所へ単身で飛び込み、しかし求めていたバッタの大群にはなかなか会えず、それでも現地の人々とガハハと交流しつつ友情を育み、様々なテーマで研究を進め、ハリネズミをペットにし、サソリに刺され、そしてついに砂漠の空を覆うようなバッタの大群の中に緑色の衣をまとってすくっと立ちはだかり「さあ、むさぼり喰うがよい」と高らかに宣言する(しかしバッタたちはそれを無視して通り過ぎていく)。面白い。そしてその情熱に泣けてくる。ベストセラーになるのもむべなるかなと思わせる。

 とにかく文章がうまい。笑いあり感動ありのドキュメンタリーである。ちょっと作りすぎじゃないのと疑いたくなるくらいだ。でも、多少の脚色はあるかも知れないけれど、これが日本のバッタ研究者の現実なのだろう。とりわけ、研究が思ったように進まず、資金も底をついて、先の見えない不安が重くのしかかり、子どものころからの夢を追って研究を続けるのか、就職して「普通の」生活者となるのか決断を迫られるといったあたり、面白おかしく書かれてはいるが、そのせっぱ詰まった心情を思うと、ぐっと胸に響くものがある。

 そしてモーリタニア! この本を読むとみんなモーリタニアが好きになるだろう。モーリタニアといえばスーパーで売られるタコの産地だが、それだけじゃないんだ。著者は現地でずいぶんとひどい目にもあうし、文化の違いにも驚かされるが、彼の人格とコミュニケーション力はそれを乗り越えて、現地の人から高く評価されるまでになる。とりわけ、ミドルネームの「ウルド」を贈ってくれた研究所のババ所長、そしてバッタ博士のドライバーとなり助手となり、時には現地ガイドとなって共にバッタを追いかけたティジャニ! 彼こそ本書のもうひとりのヒーローといって間違いない。

 言葉もままならない異国で、現地の人々と深く溶け合い、心からの交流をすること。それができる著者にはうらやましさを覚える。
 とにかく著者ときたら、フランス語が話せないままフランス語圏のモーリタニアに来て、なのに言葉を覚える気もないというのだから! ファーブルにあこがれて昆虫学者となり、生まれた村に聖地巡礼までし、南フランスの研究機関に出張したにもかかわらずである。それでもこれだけ濃密な人間関係を築くことができる。その理由は、本書を読めば納得できるだろう。
 つまりそれほど著者の人柄が熱いのである。そこには、研究者の世界に閉じこもるのではなく、自分の仕事を広くプレゼンテーションしていこうとする冷静な意識や計算ももちろんあるのだろう。でも、もっと自然な、というか「天然な」著者の気質を感じとることができる。
 本書もそんなプレゼンテーションの一環として書かれており、バッタの生態や研究の詳細、モーリタニアでの被害と対策の現状といった具体的なところは(一応書かれてはいるが)ごくあっさりとしている。バッタの話ではなく、「バッタを倒しにアフリカへ」行った話なのである。

 本書には、川端裕人さんがモーリタニアまで著者を取材に来た話が載っている。これ、川端さんの「研究室」に行ってみた。(ナショナルジオグラフィック日本語サイト)の連載記事で読んで、メチャメチャ面白かった記憶があるが、なるほどこういう裏話があったんですね。
 そちらではより詳しく書かれていたが、バッタが普通の大人しい状態から兇暴なトビバッタに変わる「相変異」という生物学的な現象がある。とても興味深い話なのだが、本書ではごく簡単にふれられているだけなので、別枠のコラムでもいいからもう少し専門的な解説があっても良かったのではと思う。

 本書の終わり、著者が日本に帰国して故郷の秋田で母校の生徒を前に講演するくだりには、こみ上げるような感動があった。どんな分野でも、サイエンスの現場には研究者たちの情熱があり、未知の世界への魅力がある。著者の場合、それが並外れていて、そこに多くの人が引きつけられるのだろう。それがバッタ博士のフェロモンなのだ。

(18年6月)


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