大野万紀「シミルボン」掲載記事 「ブックレビュー」
将来大物になる小学生たちは、夏休みにペンギンの自由研究をするのだ
『ペンギン・ハイウェイ』
森見登美彦
『ペンギン・ハイウェイ』は、森見登美彦の日本SF大賞受賞作品である。『夜は短し歩けよ乙女』がアニメ映画となって公開されたところだが(書籍版のぼくのレビューはこちら)、作者は京都のヘタレな大学生の話を書くばかりじゃなく、こんな本格SFも書いているのだ。SFの人としてはぜひとも紹介せざるを得ない。そして本書は、傑作SFであるばかりでなく、とても気持ちのいい、そして切ない小説なのである。
もちろん森見登美彦の作品には、いつもSFやファンタジーの要素が含まれている。特に『四畳半神話大系』は世界が分岐していくパラレルワールドを描いていて、完全にSFだといえる。でも本書は、さらにその上をいき、2010年の日本SF大賞に選ばれた作品なのだ。そして、スタニスワフ・レムの『ソラリス』につながるファーストコンタクトSFであり(作者は意識しているに違いない。だって「スタニスワフ症候群」という言葉も出てくるのだから。もっともそれは歯が抜けてしまう病気なのだそうだが)、もちろんペンギン小説であり、そして理科小説で、子供たちの夏休み小説、そのうえおっぱい小説でもあるのだ。
主人公は郊外の新興住宅地に住む小学四年生の少年、アオヤマくん。彼は将来大物になること間違いなしの、何でも研究する研究少年だ。なにしろ1行目からこうだ。
ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。
彼には、アニメもマンガも携帯も関係ない(そういえばそういうものは出てこない)、ノートを友として、いろんな研究プロジェクトを立ち上げ、同級生の、ちょっと気弱でブラックホールを怖がるウチダくん、相対性理論の本を読んでいたチェスの得意な女子、ハマモトさんらと、気になったこと、知りたいこと、不思議なことを調べるのだ。彼がとてもいい。親しみを覚える。きっとお風呂につかって太古の両生類の気持ちを想像したり、教室の窓から遠い惑星の風景を思ったりしていたのだろうな。うん、SFも読んでみた方がいいよ。
彼の暮らす郊外の街の、森や川や草原と、こぎれいなカフェやショッピングセンターや大学のキャンパスや、歯科医院のある風景がとてもいい。作者の、風や空や、ちょっとした季節感、自然の空気の感覚といった描写がとてもいい。作者は京都のけったいな大学生たちの描写だけではなく、こんな細やかで気持ちのいい描写も得意なのだ。
この街にある日、突然ペンギンたちが現れる。よたよたと歩き、そして街から連れて出ようとすると消えてしまう不思議なペンギンたち。もちろんアオヤマくんは、ノートにメモをとって研究をはじめる。ペンギンたちが現れ、消えていく道。彼はそれを「ペンギン・ハイウェイ」と名付け、その源泉を探ろうとする。やがて、その先、森の奥の草原には、さらにとんでもないものが現れる――まさに、ソラリスの海的な、何かが。
そういった不思議なものの背後にいるのが、アオヤマ君がその自覚なしに恋している、歯科医院のお姉さん。おっぱいが大きく、美人で、すぐに眠くなるお姉さん。ああ、でも作者はやたらとおっぱいって言い過ぎだよなあ。確かにこのお姉さんは魅力的で、とっても謎めいている。
そして、本書は小学生たちの夏休み物語から、とんでもなくSF的な飛躍を得て、少しもの悲しい、でもとても爽やかなエンディングを迎える。最後の1ページは、子どもの心を失わない大人たちにとって、とりわけ心に響くことだろう。
作者のこのタイプの小説ももっと読みたい。アオヤマ君のその後も知りたいな。そしてお姉さんのことも。
(17年4月)