大野万紀「シミルボン」掲載記事 「ブックレビュー」

形を変え、姿を変えながら、つながっていくもの

『大きな鳥にさらわれないよう』
川上弘美


 ヒトは未来を切り開く力をしだいに失い、ゆっくりと、静かに滅びていく。大破壊があっていきなり滅びるのではない。大きな鳥にさらわれるのではない。少しずつ、ゆるやかなターンを繰返しながら、しだいしだいに、変わり、衰え、しぶとく踊りつづけながらも、この世界から退場していく。
 だが、すべてが失われるわけではない。形を変え、姿を変え、生き方を変えながら、それでもつながっていくものがある。遺伝子(ジーン)のように、意伝子(ミーム)のように。それはヒトという存在を超え、かつて地球に生まれたあらゆる生命の命と心の連鎖の中に、進化し、引き継がれていく。

 本書は、そういう物語である。

 14の断片に分かれた本書は、しかしそういう大きな物語を直接描くことはしない。描かれるのは、そんなはるか遠い未来の世界での、分断され、小さな集団になって細々と生きていく人々の、ごく日常的な生活であり、家族や隣人との関係、愛や性、好奇心と保守性などである。それが細やかな心情とともに、ゆったりとした筆致で描かれるのだ。一見ごく普通に見えながら、あまりにも変貌した日常。
 読みながら、少しずつ強まっていく違和感。少しの不思議がしだいに大きくなっていく。これはいったい何なのだ。そして、まぎれもない本格SFの深みにはまっていくだろう。

 人類は衰退しました。探究心や冒険心は一部の人には残っているが、人類全体の意思といったものにはならない。未来への関心は薄れ、人々は狭い地域の中で、少ない人口で、ほとんど変化のない、同じような生活を何百年も、あるいは何千年、何万年も続けている。
 それでも少しずつ変化はある。変異し、部分的に進化した集団もある。特徴的なのは、彼らを見守る存在があるということである。行動的で、集落の外へも出かけ、ホバークラフトやコンピューターを駆使する「見守り」と呼ばれる人たち。また「母」と呼ばれる、人々を育てる存在がある。「母」もある意味、人間には違いないが、普通の人間とは異なる人工的な存在である。彼らにはより大局的な観点がある。クローン技術や遺伝子工学を駆使し、人類をできるだけ長期間存続させることが彼らの目的である。うまくいく場合もあるし、失敗する場合もある。

 それぞれの物語は必ずしも時系列になっているとは限らないが、ゆるやかにつながりあい、静かに照応し合う。はじめ、わたしが何人もいたり、「母」や「見守り」が説明なしに語られて少し混乱するが、でもSFを読み慣れていればすぐにその状況はわかる。そうでなくても徐々に理解できるようになっている。
 たそがれゆく人類ではあるが、誰もそれを悲劇とは思わない。人々はそれなりに幸せに暮らしている。もしかしたら、はるか古代の人々もそうだったのかも知れない。それにくらべれば、この世界は科学技術も残っているし、見守る人もいるし、争いも少なく(皆無ではないが)、暮らしやすい世界のようにも思える。
 しかし、自分たちの未来や広い世界への関心をなくし、遠い先を夢見ることもなく、ローカルでミニマムな世界の中で完結してしまうことは、やはり寂しく、もの悲しい。
 最後に、「フェッセンデンの宇宙」を思わせるように、新たな展開が開ける。遺伝子は残らないかも知れない。しかしヒトの心は引き継がれ、残っていく。そして物語ははじまりへとつながって終わる。中には悲劇もある。だが、とても美しい物語だ。

 芥川賞作家である川上弘美は、お茶の水女子大学SF研の出身で、大学では生物学を学び、山野浩一らが主宰していたニュー・ウェーブSF雑誌『季刊NW-SF』でも活躍していた。生粋のSF者であり、すでにジャンルの枠は超えているものの、ここにあるのは紛れもない本格SFのセンス・オブ・ワンダーである。

(17年2月)


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