大野万紀「シミルボン」掲載記事 「この作者の作品を読もう!」

第4回 路地裏の奥にある異世界、人里離れた桃源郷――恒川光太郎を読もう


 恒川光太郎も日本ホラー小説大賞を受賞してデビューした作家である。大賞受賞作は2005年の「夜市」。書き下ろし「風の古道」と合わせて『夜市』として出版され、2005年の直木賞候補にもなった。

 このデビュー作2編が、後の作者の作風を代表しているともいえる。それはひと言で言えば、日本的でノスタルジックな異界、アニメ映画「千と千尋の神隠し」や、諸星大二郎のマンガを思わせる、怖いけれどもふと行 ってみたくなるような、懐かしさのある異世界である。決して奇抜で目新しいものではなく、昔からある言い伝えや伝説のような、心の底のどこかにある風景なのだ。日常の裏側にある、ごく普通の路地裏にいつのまにか現れている異界や、森の奥の少し雰囲気の異なるスポット、主人公たちはふとした心の迷いにとらわれ、そこに迷い込んでしまう。「夜市」では何でも売っている妖怪変化たちの市に、男と女が入り込むが、その後半で描かれる年老いた子どもの物語がいい。これはもはやホラーというより、SF的といってもいいシチュエーションである。「風の古道」は作者の後の作品にも繰返し出てくるものと同様な、日常世界と並行して存在する「古道」と、そこに棲むものたちの物語で、暗く幻想的でノスタルジックな雰囲気と同時に、複数世界が並立する、SF的な広がりが感じられる作品だ。

 次に出た短篇集『秋の牢獄』には、中編3編が収録されている。表題作は同じ秋の一日を果てしなく繰り返すことになった女性の物語で、リプレイものとして特に目新しい趣向はないが、異常な状況に置かれた主人公の孤独感や、他にもいたリプレイ者たちの描写に作者らしさが見られる。「神家没落」は異界とこの世の狭間にある神の家と、その家守となってしまった若者の話で、「夜市」にも通じる世界観があり、異界と日常の連続性と非連続性が鮮やかに描かれた傑作である。何よりごく普通の田舎屋のような家の描写がいい。幻想的で懐かしさがあって、住んでみたいと思わせる。物語は、しかしそこからグロテスクな結末へと向かっていく。「幻は夜に成長する」も傑作といっていい。人に鮮やかな幻覚を見せる能力を持つ少女の、非日常から日常へ、そしてまた非日常へという運命を描き、これまたホラーというに相応しいグロテスクな人間性が描かれる。SF的には超能力者ものといえるが、その能力はごく限定されたものであるにもかかわらず、圧倒的な力 と、その発現を思わせて物語は終わる。ここでも日常性と非日常との対比が強烈で、3編の中では超自然的なことから一番遠い話であるにもかかわらず、何とも異様な読後感を残す。

 『南の子供が夜いくところ』は、それまでの作品と趣を変え、南洋の島国を舞台とした短篇集だ。借金苦から一家心中しようとしていたところを、ユナという自称120歳の娘に助けられ、トロンバス島という、のどかな南の島で暮らすことになった少年。彼と、その周囲の人々にまつわる、時空を超えた7篇の短篇が収録されている。本書では、これまでのように日本的な日常性と幻想が入り交じるのではなく、南方の、より直接的で、不思議と日常とが普通につながっているという感覚がある。帯の「そこでは不思議はあたりまえ」というコピーがぴったりだ。恐ろしいことも起こるが、ホラーというよりは幻想的で、魔術的な世界である。沖縄よりももっと南。フィリピンとか、ミクロネシアやポリネシアの、海とフルーツと熱帯の植物と、魔法と呪術と海賊たちの世界だ。どこか諸星大二郎のマンガにも似て、ユーモラスな雰囲気にも溢れている。現代でありながら、遠い昔ともそのままつながっていて、家族や部族や島々の、祖先の記憶が人々の間で生きている。読んでいてとても心地よい。南国の風に吹かれているような作品だ。

 作者の作品傾向に様々なバラエティが広がりだしたのは、このころからだろうか。作者が住んでいる沖縄の、南国的でコスモポリタンな雰囲気をかもし出す作品、ファンタジーでありながら、はっきりとSF性を現すもの――その中には並行世界(パラレルワールド)を描くような作品と、異世界の動物(竜など)の生態を描く作品もある。そして、歴史に取材し、その裏で生きる知られざる一族を描く伝奇的な作品も。

 短篇集『竜が最後に帰る場所』に収録された「ゴロンド」は、空を飛ぶ竜の誕生から、竜が最後に帰る場所までの、竜と人間たちとの関わりを描いた、はっきりとSFといっていい傑作だ。同書の「夜行の冬」も、様々なパラレルワールドを巡るSFともホラーともいえる傑作で、そんな非日常の中からごく平凡なありふれた生 活が実は確率的なあやふやさの中にあるとわかる。

 そして、連作長編『金色の獣、彼方に向かう』では、歴史の中に隠れた異能者たちが描かれる。モチーフは樹海と流浪の民。始まりは元寇のころ。波乱に満ちた運命により、日本人でありながら蒙古軍の間諜となって博多へ潜入した主人公たちは、蒙古軍の敗走により日本に取り残される。時は流れ、樹海のふもとでレストランを経営する男は、都会から来た曰くありげな女と暮らすようになる。彼女は、異界へとつながる風天孔を探す集団と共に去り、そして彼もその後を追う。また、占いをするという鼬行者なる者がいる。人や動物の心に憑依する者がいる。そして金色の獣がいる。ここでは異界と日常は切れ目無くつながっており、生や死や哀しみが自然の中に混ざり合っている。自由に走り回る金色の獣がいい。全体を貫く金色の小動物のイメージが心に残る傑作だ。

 一方『私はフーイー』は南国ものの短篇集で、7編の〈沖縄怪談〉が収録されている。怪異や妖怪変化も描かれるが、それらは中心ではない(とはいえ「ニョラ穴」のようにクトゥルーものかと思うような話もあるが)。沖縄らしい、亜熱帯の海や森の色彩豊かな光景が描かれ、それゆえに闇もまた暗い。だがその暗さは、本土の田舎の因習に満ちた陰鬱さというよりは、やはり外洋に向かって開かれ、アジアの諸世界と通じる、風 の通り抜けるような暗闇なのである。それが最もよく現れているのが表題作の「私はフーイー」だろう。転生 を繰り返す少女の物語であるが、悲劇は描かれているものの、怪談というよりは美しいファンタジーだといえる。もうひとついえば、ここにはSF的な雰囲気もある。

 『金色の獣、彼方に向かう』で見せた、歴史小説的、伝奇小説的な雰囲気をさらに発展させたともいえる傑作が、第67回日本推理作家協会賞を受賞した『金色機械』だ。
 これは豊穣な物語である。江戸時代のとある地方の隠れ里を舞台にしたファンタジー。いや、遙か昔に宇宙から遭難してきた人々と、彼らに仕える金色機械が、人知れず山奥に隠れ住んでいるという、これはよくあるタイプのSFだともいえる。だが、そういう古くから親しまれたSFのイメージも含め、山奥の豪華な〈鬼御殿〉を拠点に、封建秩序に反抗する自由で剛胆な山賊たち、凄腕で正義感にあふれる役人らしからぬ同心、逞しさと優しさを併せ持ち女たちにも慕われている岡場所の大旦那、そして強くて美しい女たち、色っぽく魅力 的な女たち、戦闘美少女のような強さとしたたかさを示す女たち、そして彼ら、彼女らと関わり合う、謎の〈金色様〉。そういう、ちょっと山田風太郎を思わせる、ロマンティックな時代ものエンターテインメントの豊かさがある。物語を読む楽しさがある。〈金色様〉がいい。こちらを主軸に見ると全くのSFとなるのだが、あくまで周りの人々を中心に見るので、確かに変わった生き神様だ、となる。怖いだけじゃなくて、少しとぼけたところがある、とても魅力的な存在だ。

 また路線を変えたかなと思ったのが、『スタープレイヤー』と、続編『ヘブンメイカー』だ。 これはライトノベル風というか、オンライン・ゲームっぽい異世界ファンタジーであり、これまでの作者の作風からは少し意外性があった。でも読んでみると、ごくありがちな設定なのに、定番をずらしていて面白い。

 『スタープレイヤー』の主人公は、辛い過去をもつがごく平凡な女性。路上のくじ引きに当たり、いきなり異世界へ召喚されてしまう。彼女はこの世界のマスター、フルムメアというシステムにより、10の願いをかなえられる「スタープレイヤー」に選ばれたのだ。願いはスターボードというタブレットに、できるだけ具体的に入力することで審査され、それがこの世界のルールに矛盾しない限り可能となる。絶世の美女になることも、金銀財宝に満ちた御殿を築くことも、さらには死者を生き返らせることまで。
 明示はされないが、この世界がおそらくは仮想現実の世界であり、オンラインRPG的なルールとシステムによって動かされていることは想像がつく。しかし、その中にいる人々にとっては、仮想だろうが何だろうが、これが現実なのであって、そこには日常があり、愛があり、戦いがあり、悲劇もある。そんな中で絶対的な力をもつ「スタープレーヤー」であるということ。これは神を演じる人間の、罪と罰の物語なのである。

 続く『ヘブンメイカー』でスタープレイヤーに選ばれたのは、片想いの相手を殺されて自暴自棄となった大学生だ。彼はスタープレイヤーの力を理解すると、まず異世界に自分の街を再現し、そこに殺された彼女を復活させる。彼女と二人だけの世界で暮らそうとするが、そこへこの世界の歴史が、他の人々が、別のスタープレイヤーが介在してきて、彼はこの世界を知ろうと遍歴の旅に出かける。一方、この小説では並行してもう一つの物語が語られる。事故や事件で死んだ三千人以上の現代の日本人が、突然この世界に召喚されるのだ。彼らは後にヘブンと名付けられた街で、新たな日常生活を立ち上げていく。二つの物語はやがてつながるのだが、建設的で前向きなイメージと共に、おぞましく残酷な物語も語られる。本書もまた、その罪と罰、そして償いの物語なのである。

 最後に、最新短篇集『無貌の神』にも触れておこう。中短篇6編が収録されているが、それぞれの作品に直接のつながりはない。表題作には、作者の以前の作品と同じ雰囲気があり、この日本のどこかに存在する、忘れられた異界の地と、その神の物語だ。深い谷にかかった赤い橋を渡ってきた人々が密やかに暮らすこの地には、顔のない神さまがいる。その神さまは人を癒してくれるが、人を喰う神でもある。少年はこの神さまを打ち倒そうと挑戦するが……繰り返される連鎖を断つとき、そこに何が起こるのか。「死神と旅する女」はSF的・伝奇的な味わいのある作品だ。明治か大正のころ、村の少女フジは、時影と名乗る死神に捕らわれ、妖刀 を渡されて、言われるままに全国を回って人を斬る暮らしを続ける。死神は、彼が指定する七十七人を殺せば、フジを解放するというのだが。フジが男たちを殺すたびに、世界は少しずつ変わっていく……。最後に訪れるのは、まさにSF的な戦慄である。中編「カイムルとラートリー」は、古代の西域かインドを思わせる土地で、知能を持ち言葉をしゃべることのできる妖獣の子カイムルが、人間に捕らわれ、皇帝の第三皇女ラートリーに仕えるようになるという、幻想的で説話風の物語だが、これは傑作。何よりカイムルが可愛い。6編とも、神話的・伝説的な味わいが強い。帯には「大人のための暗黒童話」とあるが、奇怪で不条理な運命に立ち向かおうとする主人公たちの姿には、たとえその結果があいまいでやるせないものとなっても、力強い魅力がある。

(17年4月)


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