スタニスワフ・レム『地球の平和』.書評

 大野万紀

 図書新聞22年4月2日号掲載


 本書は二〇〇六年に亡くなったポーランドの作家スタニスワフ・レムの最後から二番目の長篇であり、一九八四年に執筆された傑作SFである。出版は八七年であり、本邦初訳。

 主人公の〈泰平ヨン〉ことヨン・ティヒはこれまで多くのレム作品に登場してきた愛すべきキャラクターで、評者には中高生のころに読んだ初期作品『泰平ヨンの恒星日記』が強烈に印象に残っている。いわば宇宙ホラ話のテイストで、とんでもない事件が次々と起こる連作短編だった。コミカルに描かれてはいるが、SF的アイデアは新鮮で鋭く決して古びてはいない。近作では『泰平ヨンの未来学会議』、『泰平ヨンの現場検証』のようなブラックユーモアの勝ったシリアスな長篇があり、本書もその流れに沿った哲学的ドタバタコメディである。

 だが、予備知識なしに読む人は冒頭の第一章で戸惑うことだろう。話はあちこちに飛び、時系列もわからず、何がどうなっているのかと困惑する。何しろ語り手のヨン自身が混乱しているのだ。どうやらその原因はヨンの意識が右脳と左脳に分離し、それぞれが勝手に自分を主張しているためだとわかる(ただし語り手は言語を司る左脳のヨンである。右脳のヨンは表には出ず、左脳の邪魔ばかりする)。これは「脳梁切断術{カロトミー}後の分離脳」と呼ばれ、現実にもある症例である。ただレムの記述はあくまでフィクションであって、現在の知見とは異なる部分があるとのこと。実際、ヨンは手術を受けたわけではなく、あくまでSF的な方法により脳梁がつながったままで左右の脳が分離しているのだということには留意しておきたい。

 ここで提起されるのは「自分」とは何かという哲学的な問題である。同じ肉体を共有している二つの意識はどちらも自分なのか、それとも言語で思考できる左脳こそが自意識をもつ自分であって、右脳はただ本能的に行動する機械的なものに過ぎないのか。ヨンは専門家に相談しようとするが、右脳が左手や左足を動かしてその邪魔をする。外から見ると、何やってんのこのオッサンである。

 もう一つこの章では、そもそもヨンがこのようになってしまった原因として、ヨンが月で果たした任務のことにも触れられている。地球上の軍備拡張競争に耐えられなくなった国々は全ての軍備を月面に移すことを決定し、新兵器の開発をAIに任せて自動的に進められるようにしたのだ。つまり「地球の平和」である。ところがそれが今どこまで進んでいるのか誰にもわからなくなってしまった。その調査に国連の超国家機関ルナ・エージェンシー(LEM)がヨンを月面に派遣したのだ。ヨンは〈遠隔人{リモート}〉というパワードスーツ的ガジェットを使って(ここにも自己分裂のモチーフがある)状況を調べることになっていたのだが……。

 続く第二章、第三章ではもう少し具体的な内容が描かれるが、やはり話があちこちに飛ぶ。でもそのレムの脱線が抜群に面白い。例えば人類の歴史の中で毒かも知れない植物を初めて食べてみた人々のこと、遠隔人を使った性的関係の法律的・倫理的側面、戦争の無人化や急速な兵器の小型化、人工細菌による見えない戦争、そして戦争と平和の境界のあいまい化と敵味方の区別の問題などである。

 ストーリーのメインとなるのは地球に戻ってきたヨンから月の秘密を聞き出そうとする、様々な組織の暗躍である。左脳のヨンが記憶していない情報を右脳が持っていると思われているのだ。ヨンは常に監視されていて、それぞれの組織が裏の裏をかき、派手なアクションが繰り広げられる。それはまるでよく出来たスパイもののパロディのようで、とても楽しく読める。

 そして第四章以後、話はヨンが月に行く前に戻り、そこから月の自動機械たち、人間のものではない未知の知性との遭遇が描かれて怒濤のように厳しい結末へと向かう。圧倒的であり、本当に息もつかせぬ迫力がある。結末で描かれるのはいわばソフトウェア・パンデミックによる現代文明の崩壊であり、コロナ禍の今、強く心に響くものがある。

 月で出会う自動進化したAIたち、それは『ソラリス』のようにミステリアスで謎めいており、『インヴィンシブル』のように冷たく理解を超えたものである。人間の理解を超えた不可解な未知の存在との出会いこそ、レムの小説の最も魅力的な一面だといえるだろう。

 しかしああ何ということか! この原稿を書いている今、プーチンの蛮行により、レムの生まれ故郷、現在はウクライナ領のリヴィウにもロシア軍が侵攻している。現実の世界情勢や政治については常に慎重な態度を示したレムだが、もし生きていたら果たしてどう思ったことか。想像するだけでも辛い。心から祈ろう。地には平和をと。

 2022年3月


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