スタニスワフ・レム『インヴィンシブル』書評

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」21年12月号掲載
 2021年12月1日発行


 赤茶けた異星の大地に二十階建てのビルのようにそそり立つ一万八千トンの巨大な宇宙巡洋艦インヴィンシブル。「無敵」あるいは「不死身」という意味の名をもつ、琴座星域で最強の宇宙船である。百人近い乗員を乗せ惑星レギスⅢに降り立ったのは、消息を絶った同型艦コンドル号の捜索のためだった。
 陸上には全く生物の姿がなく、荒涼とした赤い砂漠が広がっているこの惑星。この艦の副艦長であるロアンは、年老いた艦長ホーパックの命により、最大級の安全基準に従って宇宙船の回りにエネルギーバリアを張り、調査隊を派遣する。やがて衛星写真より砂漠に謎めいた都市の廃墟が発見される。都市は人間のそれとは似ても似つかぬ金属製の構造物の集合体だった。科学者は遥か太古に機械が築いたものではないかと仮説を述べる。
 続いてコンドル号も発見される。乗員たちはみな異様な死に様で、彼らの脳には何の記憶も残されていないことが明らかとなる。
 山を溶かし海を干上がらせる強大な力をもつコンドル号に、一体何が起こったのか。
 物語は次第に高まるサスペンスと共に、硬質でミステリアスな冒険SFとして息もつかせぬ展開を見せる。
 本書は早川書房の『世界SF全集』の一冊として一九六九年『ソラリス』と合わせ『砂漠の惑星』のタイトルで翻訳された長編である。旧版はロシア語版からの翻訳だったが、本書はポーランド語版からの完全訳であり、現代的な知見も入って読みやすくアップデートされた訳文となっている。
 ぼくは高校生の時に『世界SF全集』で本書を読み、衝撃を受けた。『ソラリス』もすごかったが、当時のぼくには本書の方がストレートに心に響いた。何よりその端正さ。ややこしい世界設定や人間ドラマといった夾雑物を一切廃し、未知のものとの遭遇をひたすら科学的に考察するという一点に全集中する潔さ。そして科学的スペキュレーションの正確さと現代の最新技術にもつながる先見性。そしてもちろん、あの荘厳ともいえるエネルギーの炸裂する戦闘シーン。
 今読み返すと、それだけではないことがわかる。巻末の沼野充義氏の解説に詳しいが、人間中心主義的なヒューマニズムを越え、非人間的な宇宙と対峙する人間の倫理をも描いているのだ。
 コンドル号の乗員を死に至らしめたのは、まるで昆虫の群れのような無数の超小型機械の集合体だった。「雲」と呼ばれるそれは一体一体は無力だが、状況に応じて集合し人間や機械を襲う。遥かな昔に陸上の生命を一掃し、都市を造った大型の機械生命をも打ち負かして、この惑星の知性なき支配者となったのだろう。その武器は人間の脳機能を破壊する。赤ん坊のようになった人間はいずれ餓死するしかない。
 インヴィンシブルは搭載していた無人戦車キュクロプスを「雲」に向かわせる。この「無敵」な戦車と「雲」との機械同士の戦いは本書のクライマックスであり、まさに荘厳としかいいようのないものである。
 壮絶なキュクロプスの戦いの後、行方不明者の捜索に向かうロアンの単独行。静かな緊張感に満ちたとても印象的なシーンだが、その道行きで彼が思い至る、意思疎通不能な存在への人間中心主義を越えた思いは、そのまま作者レムの哲学だといえるだろう。

 2021年10月


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