『天冥の標』が導くもの 

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」11年7月号掲載
 2011年7月1日発行


 『天冥の標T メニー・メニー・シープ』は2009年秋に全10巻予定のシリーズの第1巻として発表された。さらに『II 救世群』が2010年の春に、『III アウレーリア一統』が夏に発表され、そして2011年初夏現在の『IV 機械じかけの子息たち』と続いている。このシリーズは小川一水の入魂の大河SFであり、まだ未完ではあるが、2010年代の作者の代表作となるにふさわしい本格SFのシリーズである。
 小川一水は、言うまでもなく21世紀の日本SFを代表する作家の一人だ。新しい世代の優れたSF作家が輩出している中でも、とりわけ幅広いSFのベクトルの全域にわたって、全方位で展開している印象がある。本格的な宇宙SFを始め、仮想現実、大災害、日常の中の”少し不思議”、未来の技術開発、ロボット(機械)と人間、タイムトラベル、そういった様々なテーマに対し、ライトノベルでつちかったキャラクター重視のスタイルをもって、正面から挑んでいるように思える。
 『天冥の標』シリーズもそうだ。これまでの巻はそれぞれがまるで別のSFのようにテーマも文体も読み応えも異なっており、バラエティに富んでいる。

 第1巻『メニー・メニー・シープ』は29世紀の遙かな未来の植民惑星を舞台にした本格宇宙SFであり、多くの謎を秘めたシリーズのプロローグである。植民地は何らかの危機に見舞われており、様々な立場の人々、種族(異星人やアンドロイドを含む)が政治的に動き、あるいは戦う。最後に世界の成り立ちそのものに関わる大きな謎が立ち現れて、読者にこれからいったいどうなるのだろうと思わせ、わくわくするような期待を抱かせて終わる。

 しかし、その答えは今現在まだ書かれていない。第2巻『救世群』は1巻とまったくタッチの違う、ほぼ現在の地球でのパンデミックSFとなった。もちろんここで描かれる疫病《冥王斑》は、1巻の世界でも重要なキーワードであり、800年後の世界までもつながるだろう要素が色々と散りばめられていた。けれどもこの巻はそれだけで独立した、優れてリアルなパンデミックSFであり、そこにはちょうど現実世界での世界的なインフルエンザの流行に呼応するかのような問題意識が描かれていて、とても読み応えのある小説となっていた。ここでは1巻の謎は解けないままだったが、本筋とは違うところで、SFとしては別テーマであるネットワーク知性の存在にスポットが当たっており、そのことで一つの小説としては違和感があっても、シリーズ全体の中での意味合いが明確になったといえる。

 第3巻『アウレーリア一統』は一転して24世紀の太陽系が舞台となり、タッチとしてはきらきらとした派手目なスペースオペラとなった。宇宙海賊が跋扈する未来の小惑星帯。若き艦長による海賊討伐。異星人の異物を巡る宝探し。これは確かにスペースオペラだ。宝塚の王子様っぽい美少年が、派手な宇宙船に乗り込んで、宇宙海賊と戦う話なのだから。そこにシリーズとつながる《救世群(プラクティス)》や謎のネットワーク生命体同士の戦いや、太陽系を実質的に支配しているという保険機構《ロイズ》、そして羊たちがからんでくる。ここでは1巻につながるキーワードがたくさん出てくる。《アウレーリア》もそうだし、《酸素いらず(アンチ・オックス)》、《医師団(リエゾン・ドクター)》、《セアキ》などなど。しかしそれ以上に、エンターテイメントとしてのSFを読む楽しさがここには充ち満ちている。

 そして最新巻の『機械じかけの子息たち』は、何とセックスがテーマだ。セックスといっても生殖と全く関わりのない、観念的な性行為。主役は第1巻でも独特な存在感をもっていた《恋人たち(ラバーズ)》である。第3巻の直接の続編といってもいい、ほとんど同時期の太陽系での、閉じられた小世界での物語。人間そっくりなアンドロイドとして、人間の欲望に奉仕することを目的に作られた《恋人たち》。彼らは小惑星1つをまるまる娼館として改造し、ありとあらゆるシチュエーションでの性的なファンタジーを提供する。そこに捕らわれた《救世群》の一人の少年。彼専用に用意された《恋人たち》の少女が彼を満足させようと、様々なアプローチをするのだが……。なぜ彼なのか、この試みはそもそも何が目的なのか。説明はあるが、その真の意味はなかなか明らかにならない。本書の後半になって、戦いの真の姿が見え、彼女たちがこうまでして求めているもの、その具体的な意味合いが何となくわかってくる。そしてそれが1巻の登場人物に直結することとなるのだ。

 シリーズはまだ全体の半分にも達しておらず、この後どのように展開するのか予想がつかない。だがすでに見えているものから指摘できることもあるだろう。
 このシリーズで描かれているのは、いずれも何らかの欠損をもった人々の集団が、他の似たような境遇にある集団と関わっていく物語である。《救世群》はもちろんだが、《医師団》にしても《酸素いらず》にしても《恋人たち》にしても、普通の人類とは交わることの困難な、独立した集団としてそれぞれの道を歩んでいく。そして集団どうし互いに関わり合い、力を合わせあるいは敵対しつつ、《ダダー》や《ミスチフ》のようなレベルの違う存在が作った枠組み(それは運命と言い換えてもいいかも知れない)の中で、前向きに進みつづけ、その枠組みをも越えようとする。それが集約したのが《メニー・メニー・シープ》の世界であり、それが危機に瀕した今、さらにそれを乗り越える道を彼らは模索しなければならないのだ。

 これらの集団を個人に置き換えれば、小川一水の他の作品でも繰り返し描かれているテーマと重なるものが見えてくる。とんがった個性と社会との折り合いの付け方、非日常の中での日常の重視、世界を変えたいとする理想と、壁があっても工夫と努力で乗り越えようとする前向きな姿勢。例え青臭いと言われようが、未来を描くSFには絶対必要なものだと思う。小川一水はそれが書ける作家なのだ。

 そして、《羊》。やっぱり《羊》はとても重要ですね。本誌2011年2月号の「断章五 サインポストB」はこの壮大なジグソーパズルを解く大事な1ピースとなっている。見逃さないよう、要注意。

 2011年5月


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